こんにちは。エディター兼ディレクターのケイ(@yutorination)です(※アイキャッチの写真は本記事の書き手の僕ではなく、弊社教育事業部のペイさんです)。LIGではクライアントのWebメディア/サイトの編集・運営サポート、コピーライティング、それとLIGのYouTubeチャンネル「LIGちゃんねる」の制作を担当しています。
さて、この連載は、もともとは動画の制作後記として書くはずでした。しかし今やそこから逸脱して、「ひとつのコンテンツについて批評的な視点を入れて書く」というのがメインになっています。そもそもWeb記事というのは1つの記事につき1テーマが原則であり、そのルールから逸脱するとGoogleでの検索順位が下がってしまう可能性があるので、何もいいことはありません。
しかし、このシリーズはすでに2回、LIGブログで殿堂入り(LIGブログの「殿堂入り」の基準は公開2週間で5000ユニークユーザーに読まれることです)をしており、評判自体はよいため、しばらくはこの形式で続けてみるのがよいかなと思います。
ちなみに、ここで取り上げる作品は必ずしも僕自身がよく知っているものではありません。「連載で取り上げてみよう」と思ったものをその都度、読んだり見たり周辺情報を調べたりしており、「自分自身のインプットをアウトプットする」という、セルフOJTみたいな企画です。
というわけで今回は、1939年に制作され、近年再び注目されるようになったアメリカ映画『風と共に去りぬ』を取り上げてみようと思います。
80年前の映画『風と共に去りぬ』がいま再注目されているらしい件
『風と共に去りぬ』といえば、多くの人がそのタイトルだけでも聞いたことがあるのではないでしょうか。アメリカでの公開年は1939年で、80年も前の映画です。
ちなみに、そもそも『風と共に去りぬ』という題名にある「ぬ」は、日本語の古文における「完了(〜した)」の助動詞ですので、現代日本語に直すと「風と共に去らない」ではなく、「風と共に去った」という意味です。原題も「Gone With The Wind」と、完了形で表現されています。
そして主人公スカーレット・オハラの名ゼリフ「Tomorrow is another day(明日は明日の風が吹く/新訳では「あしたは今日とは別の日だから」)」も有名です。近年、横浜DeNAベイスターズのラミレス監督が試合後の監督インタビューの際、勝っても負けてもこのセリフを頻用していることにより、野球ファンの間では「トゥモアナやぞ」「トゥモアナの精神」というふうに使われ、すっかり馴染みのある言葉になりました(*1)。
そもそも『風と共に去りぬ』とは?
『風と共に去りぬ』は、作家マーガレット・ミッチェルが1936年に刊行した小説です。アメリカで大ベストセラーとなり、その後1939年にハリウッドで映画化されました。小説の売上はなんと全世界で2,800万部にも及ぶそうです(*2)。
舞台は南北戦争(1861-1865年)時代のアメリカ南部。農園主の娘で豊かな生活を送っている主人公スカーレット・オハラは、想い人であるアシュレーが結婚することを知ります。アシュレーの婚約者メラニーに嫉妬するスカーレットですが、そこに謎の紳士レット・バトラーが現れて……? そしてスカーレット、アシュレー、メラニー、レットの4人は、否応なく南北戦争という時代の荒波に呑み込まれていきます。
ラブロマンスであり、1人の女性とアメリカ社会との葛藤を描く大河ドラマでもあるこの作品は、アメリカはもちろん、戦後に映画が公開された日本でも広く愛される作品となりました。
なぜいま注目を集めているのか?
しかし……今年2020年5月、ミネソタ州ミネアポリスで、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが警察官によって殺害され、それをきっかけに全米で「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター、以下BLM)」と呼ばれる、黒人に対する人種差別への抗議運動が巻き起こりました。
そして、BLMの余波もあり、今年6月に米動画配信サービス「HBO Max」が『風と共に去りぬ』の配信を停止する措置を取ったことが報道されました(*3)。
この「誰もが知る名作映画」がなぜ配信停止の憂き目に遭ったのかというと、劇中に「黒人差別につながる」「過去の奴隷制度を肯定している」と受け取れる描写が数多く登場するからです。
『風と共に去りぬ』で描かれたもの、描かれていないもの
私自身、両親がこの作品のファンであり、8歳のときに続編のTVドラマ『スカーレット』を親の横で見て面白かった記憶があるのですが、『風と共に去りぬ』は見たことがありませんでした。一度は見たいと思っていましたが、上記のように差別に関わる描写があるということを知り、メディアや表現に関わる者として一度は見ておきたいなと思い、今回取り上げてみた次第です。
さて、劇中でまず目を惹くのは、南北戦争以前の南部の白人たちがまるでヨーロッパの貴族のような暮らしをしていることです。広い邸宅に住み、華やかなドレスに身を包んでダンスパーティーに興じています。一方、黒人たちは奴隷として白人の経営する農園の綿花畑か、白人の屋敷で召使いとして働いています。
アメリカ南北戦争は基本的に、奴隷制度を維持したい南部と、それを廃止しようとするリンカーン大統領率いる北部との戦いでした。そして『風と共に去りぬ』では、南部が負ける前のその時代が「古き良き時代」としてノスタルジックに描かれています。
冷静に考えると、南北戦争以前に白人たちがそれほど豪奢な暮らしをできていたのは、黒人奴隷たちの労働力を搾取していたからにほかならないわけですが、そういった経済的な構造についてはまったくと言っていいほど触れられていません。
そして南部の白人たちは男女ともに高潔で知的な人物である一方、黒人奴隷たちは愚かで不誠実、もしくは白人の主人たちに忠実な「下僕」、というふうに描き分けられています。一言で言えば、登場する黒人キャラクターには「内面」や「主体」がないのです。
フェミニズムの物語
現代はポリティカル・コレクトネス(政治的公正性/PC)を求める声が大きくなっており、フィクションの表現にも差別的要素がないかが厳しく問われるようになっています。そのなかでも人種差別と並んで男女差別の問題も非常に重要になっています。
映画などのフィクションにおいて男女同権をきちんと描いているかを測る指標として「ベクデル・テスト」というものがあります。
ベクデル・テストの基準は3つあります(*4)。
- 作中に最低2名の女性が登場するか
- その女性同士は会話するか
- 会話の話題が男性以外のことか
これだけ見ると非常に簡単にクリアできる基準のように思えますが、実は現代の大作映画であっても、クリアしていない作品は多くあります。たとえば、この連載で以前取り上げた『テネット』はベクデル・テストの基準をクリアしていないですね(というかクリストファー・ノーラン作品の大半がクリアしていないんじゃないかという気がしますが……)。
しかし恐るべきことに、80年前の映画であり、人種差別的な観点からは問題の多い『風と共に去りぬ』は、このベクデル・テストを明らかにクリアしています。主人公スカーレットと恋敵であり親友でもあるメラニーは頻繁に会話しますし、「自分たちはこれからどうすべきか」を真剣に話し合っていたりもします。
実際、『風と共に去りぬ』はそのフェミニズム的な側面が女性に強く支持されていたようです。ジャーナリストの青木冨貴子氏はこのように評しています。
(『風と共に去りぬ』が)不朽のベストセラーになったのは、どの世代にも共感を呼び起こす強烈なメッセージがあったからである。
思春期の少女は十七インチのウェストをもつスカーレットのロマンスに心を躍らせ、二十代の読者は、二人の男性のあいだで揺れ動く女心に自分自身を投影して考えるかもしれない。三十代は「生き抜いてみせる」と立ち上がるスカーレットの自立した女性ぶりに共感し、四十代は妻を失って正気をなくした父親と病気の妹を抱えた一家の大黒柱としての重荷に同情を寄せるだろう。
(中略)
読者は、わがままで、反抗的で、自己主張が強く、勇敢で、不屈の精神の持ち主である主人公のなかに、自分自身を投影してこの物語を読み進むことができる(*5)。
そう、スカーレットとアシュレー、レット・バトラーとのラブロマンス的な側面も強くありますが、もともと温室育ちのお嬢様だったスカーレットが、南北戦争で荒廃したジョージアで、起業家として逞しく生き抜いていく姿も印象に残ります。
また、特に女性の生き方や行動に対する制限の強かった時代に、世間や常識に囚われず自由奔放に生きる姿も多くの人たちを勇気づけた、だからこそ、これだけ世界的に愛される作品に育ったのだと考えられます。
さらにいえば、原作者のマーガレット・ミッチェルは『風と共に去りぬ』の執筆にとりかかる以前、新聞社で記者として働いており、そこで1920年代当時の女性たちの多種多様なライフスタイルについて、数多くの記事を執筆していました。言わば、そういった「自由な生き方」をメディアで発信することによって、世の中を前進させようとしていたのだと考えられます(*6)。
「朝ドラ」との類似性
ちなみにやや脇道に逸れますが、今回『風と共に去りぬ』を鑑賞していて感じたのが、NHKの「朝ドラ」と物語構造が極めて近い、ということでした。多くの朝ドラは、ある女性の成長と仕事、恋愛、家族関係など「女性の一代記」として制作されていますが、非常に高い頻度で、主人公の女性が「戦争」=太平洋戦争の苦難の時代をどう生き抜き、焼け跡から再起していったかが描かれます。
一方、アメリカの近代文学や映画では、それに相当するものとして「南北戦争」が繰り返し描かれています。
つまりアメリカのフィクションにおける南北戦争と、日本のフィクションにおける太平洋戦争は似た関係にあるのではないか、ということです。
近代アメリカ/カナダの女性作家の大衆文学/児童文学の代表的なものとしては、
- 『若草物語』(ルイーザ・メイ・オルコット作)
- 『赤毛のアン』(L・M・モンゴメリ作)
- 『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル作)
が挙げられます。これらは戦後日本でも広く読まれており、「朝ドラ」的なプロットとも非常に似た構造を持っています。
実際にこれらの作品に触れているにせよいないにせよ、こういった近代アメリカ的な精神性は、私たち日本社会に生きる人間にも、深く根を下ろしているのではないか――そんなことを思いました。もし詳しい方がいれば、ご教示いただけますと幸いです。
原作者マーガレット・ミッチェルの差別意識
本筋に戻ります。前述のとおり、現代において『風と共に去りぬ』は人種差別の観点から批判されているわけですが、面白いなと思ったのは、小説の作者であるマーガレット・ミッチェル自身は、自身を差別主義者だと認識していなかった、ということです。
前述の青木冨貴子氏によればミッチェルは、主人公スカーレットに「自分たちがいかに黒人を理解し、共感を寄せているか」を語らせたりしているのはもちろん、実際に黒人のための教育機関に熱心に寄付をし、さらには長年彼女に仕えてきた黒人の召使いに遺産を分与したりもしています。
その一方で、すでに述べたようにミッチェルは『風と共に去りぬ』のなかで、黒人たちを愚かで不誠実、または忠実な「下僕」として、いわば「ナチュラル上から目線」で描いてしまっていたわけです。
『風と共に去りぬ』配信停止騒動の決着
結局、『風と共に去りぬ』を一時配信停止とした米動画サービスHBO Maxは、作品の内容の修正を行ったりなどはせず、同作のページに、専門家による解説動画を付ける、という対応をおこないました。
▼解説動画はYouTubeにもUPされています(※英語)
過去の名作のなかには、現代の視点から見たとき問題を含んだものが少なくありません。こういった解説動画を付けるという対応は、落とし所としてはベターなものです。日本でも手塚治虫の諸作品の文庫版・愛蔵版には「差別的表現が見られますが、作品が描かれた当時の時代背景を尊重し、そのまま掲載しています」といった注意書きがよく書かれています。
マーガレット・ミッチェルは男女同権の推進に貢献した一方、人種差別の問題には(現代の観点からすれば)無自覚でした。そのこと自体は、批判はされるべきですが、それだけで彼女の記事や著作の価値をまったく認めなくなってしまったら、それはそれでフェアではないように思います。
「差別や偏見はよくない」と言うこと自体は簡単ですが、知識がなければなかなか「自分は差別をしている/偏見を持っている」ということに気づけないものです。我々に必要なのは、「知る」ということに対して常にオープンであることではないかな、と思います。
*2 林文代(編)『英米小説の読み方・楽しみ方』岩波書店、2009年。
*3 「風と共に去りぬ」批判のわけ 奴隷制を錯覚させる?:朝日新聞デジタル
*4 興行収入が1000億円規模の大ヒット映画はいずれもジェンダーバイアス測定の「ベクデルテスト」をクリアしている – GIGAZINE
*5 青木冨貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ―南部と人種問題―』岩波新書、1996年。
*6 マーガレット・ミッチェル(著),早野依子(訳)『明日は明日の風が吹く』PHP研究所、2002年。
では、今週LIGちゃんねるで公開した動画3本を紹介していきたいと思います!
そして本文とは全然関係ありませんが、実は僕が担当している会社のYouTubeチャンネル「LIGちゃんねる」では週3本、月水金の朝8時に動画を更新しています!
週替りでLIG社員に登場してもらい、1つのテーマを決めてショートインタビュー&LT(ライトニングトーク)形式で話してもらうというものです。では今週出した3本を紹介していきます!
元クリエイターが企画営業職に転身した理由とその結果:ペイ(教育事業部リーダー)
今週登場するのは、教育事業部リーダーのペイさんです。もともとネットTVのディレクター、プロスポーツの音響など「クリエイター」の仕事を経験したペイさんが、今なぜLIGのWebクリエイタースクール「デジタルハリウッドSTUDIO by LIG」の運営に携わっているのか、その理由を聞いてみました。「クリエイター」の仕事に「見えない天井」を感じている方には、なにかヒントになる話なのではないかな、と思います。
LIGの教育事業部が急成長できてるのはなぜ?:ペイ(教育事業部リーダー)
LIGの事業の中でも、Webクリエイタースクール「デジタルハリウッドSTUDIO by LIG」は増床に増床を重ねるなど急成長中です。そこで担当のペイさんに、事業を大きくするために何を考え、どんな試行錯誤を重ねたのかを聞いてみました。
Webクリエイターが増えすぎたら人余りになったりしないの?:ペイ(教育事業部リーダー)
Webクリエイタースクールで卒業生を増やせば増やすほど、いま現役のWebクリエイターの市場価値が下がってしまったりしないの? そもそも今後、Webクリエイターは飽和状態になるのでは? という、ややネガティブな質問をぶつけてみました。ペイさんが考える、Web業界の未来予想が聞けたのではないかと思います。
まとめ:『ブラック・クランズマン』について
今週のLIGちゃんねるには、教育事業部のペイさんに登場してもらいました。打ち合わせをしていても思ったのですが、ペイさんはいつも物事に当たる姿勢が誠実なのだなと思います。
動画の中では語られていませんが、いろんな人を巻き込んで事業を推進する際、いつも感謝の気持ちを伝えることを忘れないそうです。物事の基本ではありつつも、そこを疎かにしていないか、我が身を振り返ったりしています。
そして今回のコラム部分では『風と共に去りぬ』を足掛かりに、差別や偏見、現代のポリティカル・コレクトネス(PC)の問題について考えてみました。
現代は「PC」「コンプラ」で息苦しい世の中になっている、差別や偏見を含んだ表現をした瞬間に袋叩きに遭う……という向きもあるかと思います。
ところが、そのPCを逆手にとった表現も可能なようです。代表的なものが、スパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』(2018年)です。
1970年代のコロラドを舞台に、初の黒人警察官となった主人公が、白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」に潜入捜査を試みた、実話を元にした作品です。なんと冒頭は『風と共に去りぬ』の1シーンから始まります。
さらには、本文では触れられませんでしたが映画史に燦然と輝く傑作かつ人種差別的な描写で極めて問題の多い『國民の創生』も頻繁に引用され、ちょっとした映画史のダイジェストのような作品にもなっています。
『ブラック・クランズマン』では、本来は「KKKに排斥される側」であるはずの主人公と、ユダヤ系出身の相棒の警察官の2人が、捜査のためにKKK内で白人至上主義的な言動を行う姿が、ユーモラスに描かれます。差別や偏見の問題に向き合うには、もちろんどうしても仕方ないときには「怒り」の表明が必要ではあると思いますが、「ユーモア」や「アイロニー」も、同じかそれ以上に必要なのかもしれません。
というわけで(……?)、引き続き、LIGのYouTubeチャンネル「LIGちゃんねる」、生暖かい目で見守っていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
「LIGちゃんねる」はこちらから
(チャンネル登録、ぜひお願いします!🙇)
また毎週土曜日に、今回のような謎の記事が引き続き更新されていく予定です!
これまでに書いた記事
『映画ドラえもん のび太の新恐竜』と、Webディレクターの仕事について 『チェンソーマン』で描かれる「傷つく」物語、そして新卒でベンチャー企業に入社するということ 『ゲーム・オブ・スローンズ』と多極化する世界、そしてアカウントプランナーの成長について 『激動の昭和史 沖縄決戦』と、フロントエンドエンジニアの生きる道 Netflixオリジナルドラマ『宇宙を駆けるよだか』と「見た目」問題、そして秋のまこりーぬ祭りについて クリストファー・ノーラン最新作『TENET テネット』について書くのが辛くて俺はもうダメかもしれない。そして登場する陽気なテクニカルディレクター 【社内視聴率調査】ハイパー最先端IT企業の社員ってどれぐらい『半沢直樹』を見てたの?そこに現れるさすらいのベテランWebディレクター 最強のコンテンツとしての「TikTok」、そして人事の仕事で一番大切にすべきこと