反省
しっかりと下調べをして断定表現の強弱にまで細かく配慮し、正式名称のミスなんてほとんどない。そういうライターさんもたくさんいらっしゃいます。こちら側の事実確認に割く工数が大幅に減るため、大変ありがたい存在です。
では、それができない方との違いはどこにあるのでしょうか。ライターとしての質の問題と言ってしまえばそれまでなのですが、結局のところ、やはり編集側にも責任があるのではないかと思います。
というのも、上記の原稿を書いた方と過去の編集担当者とのやりとりをさかのぼって確かめてみたところ、最初の頃はまだマシだったからです。
それがだんだんと悪化していき、編集側が気づけなかったのか注意しなかったことで、取り返しのつかないところまで来てしまったのではないかと思います。当時、そのメディアでは書き手が不足していたこともあり、「あまり細かいところまで厳しく指摘して、逃げられてしまったら困る」と、フィードバックを緩めてしまった背景もあったようです。
ただ、実際には「あまりに細かいところまで言語化して指摘するのは難しいし、面倒くさい」との編集担当者側の本音も見え隠れしているような気がしました。事実、わたし自身もスケジュールに追われているときに、「まあ、今回はこっちで修正しておけばいいか」と、細部へのフィードバックを省いてしまったことは少なくなかったからです。
編集がそういった姿勢で臨むからこそ、書き手もそういった姿勢で臨むことになってしまうのかもしれません。
まとめ
たしかに上記のような指摘をすると「細かいところまで、いちいちうるさいな」といったリアクションをされるライターさんがいるのも事実です、残念ながら。
ただ、そんな方に限って「わたしの原稿は句読点の位置にまでこだわっているから許可もなく修正しないでほしい」と言ってきたりするのが、面白いところでもあります。
もちろん、その要望自体が間違っているというわけではありませんが、「権利を主張するなら義務も果たせ」とはよく聞く言葉。
上述した通り、しっかりとできるライターさんも多いわけですから、まずはその責務をしっかりと果たせるように目指すべきなのかもしれないなあと、一概には言えませんが、そんなことを思ったりもしなくもないわけですね、自戒も込めて(←言い切ることから逃げているだけの悪例)。
【Web編集者の憂鬱を和らげたくて】
※ Web編集者の憂鬱(1)企画案とはまったく異なる原稿が届いたんです。
※ ライターから期待通りの原稿が届かなかったときに編集者が心がけるべき姿勢
※ ディレクターやWebメディア編集者ポジションで確認しておきたい、もらい写真素材のチェック項目