おじいちゃん、おばあちゃん、みんなが僕の曲に泣いてくれた
— 東京はやっぱり長野とは違いますか?
地元にいるときと違って、東京っていろんな人がいて、みんなもみくちゃになりながらも必死で頑張ってるじゃないですか。そんな中、初めて自分よりも年下のラッパーのライブを見て、「生きている期間は自分の方が長いのに、なんでここまで彼らはラップできるんだろ」って。お客さんをすげぇ盛り上げてたんですよ。もっと自分も頑張らなきゃと思いながら、悔しくて歌詞が書けない日が続いたりしました。
— ラッパーを諦めようと思ったりもしましたか?
ラッパーとしてやるために東京に出てきたので、諦めるなんてダサいじゃないですか。だから諦めようとは思わなかったんですが、めちゃくちゃ悔しかったですね。
だけど、「自分は自分」と気づくこともできました。というのも、僕はクラブでラップをやるときもあるし、おじいちゃん、おばあちゃんが集まる場所も、子どもたちの前でもラップをやったこともあるんですよ。そうしたら、見方が変わってきて。
人の死や、世の中に対して思うことなど、自分の経験してきたことを曲にしていて。それで僕、父親がいないんですけど、父親に書いた曲があって。この想いを伝えたいなと思って歌ったら、みんな泣いてくれたんですよ。
— それは嬉しいですね!
ホントに。そして「これは僕にしかできないことだな」って思うと勇気をもらえて。自分がイチからつくった曲に泣いてくれる人がいるんだなと思うと、嬉しいし、吹っ切れるようになっていきました。
自分は自分のやり方で世に音楽を伝えたいし、伝わればいいって思えるようになって。100人が100人、全員が「いい」と思う曲なんてないじゃないですか。だから自分の好きな通りにやって、歌詞も自分の好きなように書いて、それを「いい」と思ってくれる人が増えればいいなって。他の人には他の人の色があるし、僕には僕の色があるんだと。