「事と次第によっては」と「うまいことを言う」の違いは
またもや仮名の閉じるか開くかで、「コト」についてです。「コト」には“具体的なことがらを表す”実質名詞と、“抽象的なことがらを表す”形式名詞があります。
動詞のときのように、実質名詞は閉じ、形式名詞は開くことを覚えておきましょう。
例えば、「事と次第によっては」は実質名詞なので閉じ、「うまいことを言う」は形式名詞なので開きます。
実質名詞としての“事”は他に「考え事」「事の起こり」「見事」などがあり、形式名詞としての“こと”には「人のこと」「勝手なこと」などがあります。
この区別は正直つけにくいので、慣用表現になっているのはだいたい実質名詞(閉じる)、と思っておくとわかりやすい気がします。
「時として」と「困ったとき」の違いとは
同様に「トキ」にも実質名詞と形式名詞があります。
実質名詞の“時”には「書き入れ時」「梅雨時」「時と場合」などがあり、形式名詞の“とき”には「いざというとき」などがあります。こちらも開く場合の方が多そう。
「学生はすべからく勉学に励むべき」の意味は
閉じるか開くかばかりになってしまったので、趣向を変えて、言葉の誤用についてまとめてみます。
学生はすべからく勉学に励むべき
とはよく言ったものですが、この意味が、
- すべての学生は勉強を頑張りなさい
- 学生は勉強を頑張るのが当然だ
のどちらであるかはご存知でしょうか。
正解は2.の「学生は勉強を頑張るのが当然だ」です。平成22年度に文化庁が実施した「国語に関する世論調査」によれば、約4割が「すべからく」を「すべて」の意味に誤用していたとのこと。
本来は漢文の授業で習った「すべからく〜べし」に由来し、「当然そうした方がよい,是非ともそうすべき」という意味になります。
「立ち振る舞い」か「立ち居振る舞い」か
はじめに断ってしまうと、この2つは現在、同じ意味の言葉として使われています。しかし、そうなった経緯がとても興味深いです。
「立振舞(たちふるまい)」とは本来、“旅に出るにあたって、人を招いて別れの飲食をすること”の意味です。
「立居振舞(たちいふるまい)」は立居(立ったり座ったりすること)と振舞(動作・行動)が合わさってできた“身のこなし、日常の動作”の意味で、「立振舞」とはまったく別の言葉でした。
よく似たこの2つが混同して使われた結果、「立振舞」にもやがて“身のこなし、日常の動作”という、「立ち居振る舞い」と同じ意味が付け加わったそうです。
読者の方からのご指摘で、はじめて僕はこの経緯を知りました。
出典:立振舞 – コトバンク / 立居振舞 – コトバンク
「子供」か「子ども」か
間違って覚えていたのですが、“子供と表記すると大人の「お供」のような否定的な意味になる”ことはありません。これまでずっと“子ども”という表記にこだわっていたものの、それは“否定的な意味になる”と思い込んでいたからであって、時代は大きく動いていたようです。
「子供」の表記は1973年の内閣訓令で、漢字表記とされた。ただ「漢字より柔らかい印象がある」として、各省庁とも漢字と平仮名の交ぜ書きの「子ども」を使う例が増えていた。
文科省は、子供と表記しても大人の「お供」のような否定的な意味はないと判断し、公用文書は漢字表記との原則を再確認。7月刊行の文部科学白書では語句を「子供」に統一した。
出典:文科省、「こども」表記を漢字に統一 公用文書で – 日本経済新聞
こちらは2013年のニュースなので、現在は官公庁も「子供」表記に統一されたと考えてよいでしょう。
「友達」か「友だち」か
「トモダチ」は「友」に複数の人間を表す接尾語「たち」が結びついた言葉ですが、現在では「トモダチたち」という用法もあるほど、単数・複数に関係なく用いられます。ここで気をつけておきたいのは、実は複数を表す「たち」に「達」という漢字を当てるのは推奨されていない、ということです。
常用漢字表で「達」を「たち」と読むのは「友達」のときだけで、「私達」「君達」は常用漢字表に照らせば誤りとなります。(もちろん常用漢字表自体があくまで目安と前書きで断られていますが)
「たち」は「友達」のみ閉じ、それ以外の言葉については「私たち」「君たち」のように開く方がよさそうです。
出典:常用漢字表 – 文化庁 / 「友達」か「友だち」か? – 教育出版