「こうあるべき」という主張を他人に押し付けることってあんまり意味ないと思うんですよね。

「こうあるべき」という主張を他人に押し付けることってあんまり意味ないと思うんですよね。

Go Yoshiwara

Go Yoshiwara

こんにちは、ゴウです。

最近、TwitterやらFacebookなんかで色々な人が「こうあるべき」的な主張をしているのを見ていて、個人的に思うことがあったので一度記事に書いておこうかなと思って筆をとっております。

なぜ自分の主張を他人に押し付けるのだろう?

まず、先に言っておくと俺自身は人には様々な意見や主張、違いがあって、それは人種だったり宗教だったり、性的なことだったり、文化だったりするわけなんだけど、自分と違う考えだからといって否定したりするのは嫌だなぁと思っている人間です。

多様性を許容すること。

排他的でないこと。

この辺りを大切にしながら生きていきたいなぁと考えている人間です。ただ、こういうことを書いていると、「そもそもお前のその考え方を押し付けるんじゃねーよ」みたいなジレンマ的な話になるので、あんまり書きたくなかったのですが、それでも書きましょう。そういう矛盾を孕んだ主張だということです。

「こうあるべき」ってみんな言うけれど……

さて、そもそもネット上では個人レベルで色々な意見を主張することが可能なわけですが、そういうのに強いブロガーさんであったり、クリエイターであったり、経営者の方々がよく

 

「クリエイターはこうあるべき」

「編集者はこうあるべき」

「ブロガーはこうあるべき」

「経営者はこうあるべき」

 

みたいなことを主張しているのですが、あれって一体誰に向けて言っているんでしょうかね。俺はそこにいつもすごく違和感を覚えててですね。

もちろん、我々LIGに対してもいろいろな意見や要望が来ていて、なるほどなぁと考えさせられることもありますし、改善しないとなと素直に思うことも多々あります。愛のある叱咤激励ほどありがたいものはありません。ただ、そういう意見とは別に、ただのエゴ、拘り、自分自身のルールを他人に押し付けているだけなんじゃないかなぁと思うこともあります。

いろいろな人が、それぞれの思いや考えを持って様々な表現をしている。

それが自分にとって気に入らない、主張が相容れない場合もあるでしょう。でも、だからと言って「それは違う」「こうあるべきだ」と声高々に主張して、それを他人に押し付けることに意味があるとは思えないんですよね。あんまり健全じゃないし、優しくない。

いや、微妙なラインだってのは理解しています。相手のことを思って、もしくは業界のことを考えて、「もっと良くなってほしいから」という純粋な想いで言っている場合もあると思います。そういうのも分かるので、俺も何が何でもそういう人を批判したり意見を言うのは違う! と言いたいわけじゃなくて、うーん、うまく言えないんですけど、もう少しみんな、自分の考えと違う人がいる、そういう主張の人がいるっていうことに対して、許容できたら素敵なのになぁという感覚です。

俺自身はセクシャルマイノリティでもないですし、信じる神もいなければ、ベジタリアンでもないのですが、そういう人たちの考え方や主張を否定しようとも思いません。ただ、自分はそういう主張や考え方ではない。というだけです。

そういう人達に対して

「異性を愛すべき」

「神を信じるべき」

「肉を食べるべき」

という主張をすることに、意味があるとは思えないのです。その主張の先に、優しい世界があるとは思えないのです。

でも、俺も考えを押し付ける場合があります

と、ここまで俺の個人的な考え方を伝えたのですが、とは言え俺も「こうあるべき」という主張を強制的に押し付ける場合があります。

それは、自分自身が経営するLIGの社員に対してです。

自分自身が経営し、全責任を持って組織を預かっているので、そういう人達に対しては「こうあるべき」と言うことはあります。それは、LIGが組織として目指す方向があり、それを実現するためにもそうあってほしい、と心から思っていることに関しては言う場合があります。

LIGはこういうことを目指しているから、こうあってほしい。

組織としてこういうことをあなたに求めているから、こうあってほしい。

そういう主張の押し付けはします。それは組織を経営しているわけですから当然だとも思っています。その結果として組織がどうなるか、良くなるも悪くなるも、全ての責任を負っているという自覚があるからこそ言えるわけです。

自分ルールを他人に押し付けない方がいい

という考えであるからこそ、ネット上で散見される「赤の他人に自分の主張を押し付ける」ことに対して非常に違和感を覚えるんですよね。

なんというか、「自分で信じているルール」というのがあって、そのルールこそが正義! みたいなことを、自分が責任を負っている組織や仲間に求めるのはまぁいいと思うんですが、他人にそれを求めてもねぇ、というような。そんな気がするんですよね。

 

まぁ、とは言え、ずらずらっと書いてきたこの主張も、俺自身がそうだと思っているだけの俺ルールなわけであって、それを別に誰に押し付けているわけでもないんですけどね。いろんな人がいますからね。いろんな考えがあって当たり前だし、そうじゃないと面白くないと思うんですよね。

自分と違う考えの人と触れた時に、それを攻撃するよりも、認めてあげるような、そんな生き方をしたいなぁと。

他人の生き方について評論するようなことはしたくないなぁと。

そう、自戒を込めて書いてみた次第です。

 

 

ただ、まぁ書いてみて思ったけど、アドバイスと評論って線引は曖昧な気もするし、やっぱり矛盾を孕む主張だよなぁ。

うーん、難しいですね。

 

【でも、愛に満ちたご意見は嬉しいのです】

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1982年生まれ。信濃中学校卒業。フリーターとして23歳まで様々な職業に従事し数々のスキルを身につける。ウェブデザイナーとして活躍したのち、25歳で起業し代表取締役に就任(会長を経て2022年に退任)。自然あふれる場所で生まれ、アウトドアスポーツをして育ったが故にITの道を志したが、近年、再びアウトドアな環境、遊び、生き方を模索して長野県に移住。わくわくするものをつくり続けていたい。

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