LIGブログ編集長のまこりーぬです。
情報発信が非常に得意……というわけではない本人に代わりまして、本日も社長大山を紹介させていただきます。
前回の記事: 社長大山のTwitterはなぜ続かないのか
前社長でありLIG創業者であるゴウさんが以前、大山さんのことをこう表現していました。
―― 相当な信頼関係がないと代表は渡せないと思うのですが、ゴウさんにとって大山さんはどんな人なんでしょうか?
ゴウ:一言にまとめるなら、とにかくしっかりしてる。会社のことを隅から隅まで把握して、きっちりコントロールしながら経営したいっていう性格だね。(中略)俺は楽しいことしかやらないんだけど、大山さんは真逆で、つまらないことでも徹底してやり続けられる。そんなの普通はできないよね。
とにかくしっかりしてる。徹底してやり続けられる。
たしかに私から見てもそんなイメージがあります。
しかしなんと、そんな大山さんにはとある噂が存在します。
「地元栃木ではヤンキーだったらしい」
この真偽を探るべく、さっそく本人に聞いてみました。
社長が元ヤンは本当か
大山:そもそも、ヤンキーってなんだろうね。高校は卒業しているし、大学にも行ってる。暴走族にも入ってない。ただ、そういうやつらと仲が良かっただけなんだよね。だからヤンキーというか、ただやさぐれていただけなんだと思う。
まこりーぬ:たしかにそう言われると、元ヤンと噂されるほどの素行の悪さではなかったのかもしれませんね。たとえば高校時代はどのように過ごされていたのでしょうか?
大山:毎日昼まで寝てた。同居してたばあちゃんに申し訳なかったからちょっとだけ学校にいって、飽きたら途中で抜けて、友だちと遊んでたかな。
まこりーぬ:なるほど。元ヤンと噂されるのも納得です。
出会いは「金太郎」
まこりーぬ:やんちゃなお友だちのみなさんとはどのようにして仲良くなられたのでしょうか?
大山:所属していたサッカーチームの先輩や仲間の一部がどんどんグレていったのが大きかったかな。厳しい練習をともに乗り越えてきたからこそ仲もすごく良くて。当時足利市で一番悪かった人も「金太郎」の先輩だったんだよね。あ、金太郎っていうのはクラブチームの名前。
当時は俺も子どもだったから、悪い先輩にちょっと憧れていたところがあったのかもしれない。
それに変な話、小学校6年生ぐらいまで運動も勉強もほとんど1位だったんだよね。1位なのが当たり前で、そこから抜け出せなくて。多分抜け出すのが怖かった。そんなときに「グレるカッコよさ」みたいなものを見つけちゃったもんだから、「あぁ、こっちのほうがラクだな」と思ったんだろうね。1位じゃなくても自分のポジションを確立できる場所を見つけちゃった、みたいな。
まこりーぬ:お、大山さんからとても人間味を感じます……!(涙)
人生唯一の後悔が強みへつながる
まこりーぬ:そんな高校時代から、大学へ進学しようと思ったのはなぜですか?
大山:「このままズルズルと人生が終わっちゃうのは嫌だな」と思ったんだよね。根は真面目だから高校は辞めたくなかったし、そこまで親に迷惑かけたくなかった。昔の自分は、ただ調子にのっていただけなんですよ。ぜんぶ中途半端だった。
本気でプロになろうと思っていたサッカーですら高1で停学になったタイミングで辞めてしまって。大学に入ったあとも「もう1回サッカーをやろうかな」と部活の見学まで行ったんだけど、結局入部しなくて。当時「もっと遊びたい」みたいな気持ちがあったんだよね。
でも一緒にサッカーやってたやつらがプロ選手になったのを目の当たりにすると、「続けたらよかった」って今でも思うんですよ。人生で唯一後悔があるとしたら、サッカーを中途半端に辞めてしまったことです。
まこりーぬ:決断を正解にしていくタイプの大山さんにそんな後悔があるとは、意外でした。この原体験が「徹底してやり続けられる」いまの大山さんにつながっているのですね。
大山:それは本当にそうだね、間違いない。「コツコツやれないやつは一流になれない」っていうのが心のどこかにすごくある。仮に才能があったとしても、コツコツやるやつに勝てない。だから今は、コツコツやり続けてる。ずっとずっと、積み重ねている感覚だね。
おわりに
今回の取材では大山さんが元ヤンだったかどうかの答え、そして「徹底してやり続ける」ようになった背景を知ることができました。
今後も大山さんの人間性を発信すべく、ちょこちょこ記事を出してまいります。乞うご期待ください!