フリーエンジニア向け案件サイト『レバテック』と、看護師専門転職サイト『看護のお仕事』。全く異なる2つの職種を軸にサービスを運営している企業が、渋谷ヒカリエにオフィスを構えるレバレジーズ株式会社です。
人・メディア・技術・マーケティングなどの領域で、多角的な事業を展開する同社の創業者であり代表取締役の岩槻知秀氏は「未来永劫続くような会社づくり」に強い意欲を示します。今回は、その原体験となった出来事と、そこから派生した独自の経営理念、そしてレバレジーズの今後の展望についてお話を伺いました。
人物紹介:岩槻 知秀氏 1980年生まれ / 大阪府和泉市出身。早稲田大学社会科学部入学後、大学1年時からIT企業にて経験を積む。携帯コンテンツ開発会社での2年半のインターン経験後、システム開発会社の設立から関わり、要職を担当後退社。大学卒業後、レバレジーズ株式会社を設立し、現在に至る。 |
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「高価な脳波の測定器を借金して購入」給料の高い仕事がホストとプログラマーしかなかった
大学を卒業したころにレバレジーズを創業した岩槻氏。起業に興味をもったきっかけとなるインターン先での体験を振り返ります。
- 岩槻
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大学に入ってからいろんな起業家の本を読むようになって。「一度きりの人生なら、こういう生き方のほうがおもしろくなりそうだな」と思ったのが、起業に興味をもったきっかけです。
その後、有機野菜のネットスーパーを運営するベンチャー企業で、インターンをはじめました。当時はその会社が立ち上がったばかりのころだったので、メンバーも5、6人しかいなかったんです。
優秀なメンバーたちの考えに触発され、とある行動を起こした岩槻氏。しかし、その結果は意外な方向に進んでいきます。
- 岩槻
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「何をしなきゃいけないのかな」と、考えたんです。結果、賢くないとダメだなと思って、食品が脳に与える影響の勉強をして。そしたらもっと知りたくなって、高価な脳波の測定器を借金して購入しました。その次には、スーパーハーレーのバイクを買うのに150万ぐらい借金して。
月に7、8万返済すれば大丈夫だろうと思って買ったんですけど、その矢先に父親が経営していた会社がおかしくなって。仕送りがどんどん減ってしまって。
借金返済と大学のお金を工面するため、すぐに給料が入る仕事を手当たり次第に探しはじめます。大学には籍を置いていましたが、睡眠をとる余裕もなく働いていたため、この時期はほとんど学校に通えなかったそうです。
- 岩槻
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生活費を稼ぐために日雇い派遣のアルバイトをしました。ごみ収集、屋根の瓦をいじる仕事、ビルのアスベストの吹き付け、学校の掃除、いろいろやりましたね。
それでも次第に大学に通えない状況になって。せっかく入ったのに辞めるのは嫌だったから、給料の高い仕事をしようと探しました。そしたら、選択肢がホストとプログラマーしかなかったんです。
未経験でも高収入が期待できる仕事を前に、選択の余地はありませんでした。そして、当時のITバブルが後押しになり、無事にプログラマーの職に就きます。
- 岩槻
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必死にプログラミングの勉強をして、モバイルコンテンツの開発会社に雇ってもらいました。同時に、小さなスタートアップ企業でも委託契約で働きはじめたんです。
結局、他の仕事を全部断って、そのスタートアップ企業だけで仕事をするようになりました。将来的には起業したかったですし、スタートアップの主要メンバーとしてやっていくのは、おもしろそうだなと思ったので。
夜中に会社まで人が怒鳴りこんで来て「そこではじめて、経営理念の存在意義を考えるようになった」
しかし、システム開発を受託していた会社で待っていたのは、過酷な労働環境でした。
- 岩槻
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もう、むちゃくちゃな企業だったんですよ。保険も契約書もない。日常的に罵声が飛び交っていて、新しい人が入っても、あっという間に辞めていって。
プロジェクトがうまくいかなくて、めちゃくちゃ荒れて。僕らが開発しているところに、怖い人たちが20人ぐらい来て「お前、どこ行くんや」って囲まれて(笑)コンビニすら行けませんでした。
このような体験を通して「物事に対して、動じることがなくなった」と話す岩槻氏。では、当時は一体何をエネルギーにして、前へ進んでいたのでしょうか。
- 岩槻
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昔だったら強い奴はキツい環境に放り込まれて、競争して、切磋琢磨するから強くなれるって信じていました。そういう環境を呼び寄せるように、自ら逆境を望んでいたのかもしれません。
でも、わざわざ嫌な状況に追い込まれなくても、努力したり、志を高くもったりするのは並列できるんだと学びました。だから「これ以上、成長できない。ブレイクスルーできないかも」と不安に思うときはないですね。
そして、岩槻氏は会社の在り方、ひいては“経営理念の存在意義”を考えるようになります。
- 岩槻
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世の中に悪い会社がいっぱいあることを実感しました。そこではじめて、経営理念の存在意義を考えるようになったんです。それまで「会社は、売り上げが上がっていればいいんでしょう?」くらいに思っていたので。
根本にはどんな想いがあるかって大事なことなんだと考えて。逆境にいたからこそ得た教訓でした。
お金や権力のためだけに存在する会社に「どんな存在意義があるのか」と問う岩槻氏。退職した会社での仕事は、事業の構想を考えるうえでの原体験となります。
- 岩槻
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それまでの人生を振り返ると、自分はお金と仕事ですごく苦労してきました。だから、お金と仕事の問題を解消できるようなことをビジネスの床にしたいと思ったんです。課題の解決が対価になったり、人が集まるリレーがつくれたりするのがビジネスの意義。
お金と仕事の問題って何があるだろうと考えて、そうしたら人材と金融の2つが思い浮かんで。それで、システム開発とSESの事業で起業しました。
※SES:システムエンジニアリングサービスとは、システムやソフトウェアの開発・運用などで行われる委託契約の一種で、対象物の完成などを目的とせずに特定の業務への技術者の労働の提供を行う契約。
引用元:システムエンジニアリングサービス 【 SES 】 System Engineering Service
そして、身近な問題が自社のサービスで解消されていったことにより、岩槻氏は「ビジネスに手応えを感じられた」と話します。
- 岩槻
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お金を払ってくれるということは、自分の価値を社会が買ってくれるってことです。じゃあ「社会に買ってもらいやすくて、貢献できる“価値”は何だろう」と考えたときに、自分のバックグラウンドである営業と開発に関係があるなと思って。そうすると、やっぱりIT人材事業がベストだった。
あとは、エンジニアをやっていた経験から、こういう案件やりたいだろうなとか、今の技術トレンドはこれだなとか、ユーザーと同じ目線で理解できたんです。知り合いでフリーランスになった人たちは、みんな収入がアップしていったので、これはやりがいがあるなと思いました。