訪日外国人の増加やグローバル企業の国内進出など、私たちの生活に海外製の製品やサービスは欠かすことができません。一方で、日本には中小企業が全企業数の99.7%(※1)を占めていますが、まだまだ海外でその力を充分に発揮することができていないように感じられます。
そんな歯がゆい状況の中で『Launch Cart』という、次世代のECサイト運用パッケージを運営するスターフィールド株式会社の代表取締役を務める星野翔太氏は「これから日本のECサイトはどんどんグローバル化し、日本を支える産業になる」と語ります。では、星野氏はどのように日本のECとグローバルビジネスを見据えているのでしょうか。今後の展望とともにお話を伺いました。
(※1):FAQ「中小企業白書について」
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人物紹介:星野 翔太氏 1985年生まれ。2006年ベンチャー起業家養成基礎講座にて優秀賞を受賞。早稲田大学在学中に当社を設立。日本に限らず、世界に挑むベンチャー企業を目指している。 |
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「高田馬場の雑居ビル群で、ピンポンを押しまくった」自分では制作できない案件も受注していた飛び込み営業時代
大学在学中にスターフィールドを起業したという星野氏。起業前には学生としての生活を送りながら、とある大手企業にプログラマーとして働いていた経験があるそうです。
- 星野
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もうガチガチのインフラ系です。C、C+、.NETとかの制御システムをつくっていました。なぜお堅い会社に入社したのかというと、ビジネスモデルを考えたり実行したりするのは、ある程度自信があったんです。
そうなると、やっぱり自分に強みがないといけないと思い立って、プログラミングを学びたくて入社しました。
そして、企業でプログラミングを学びながら、大学では“ベンチャー起業家養成基礎講座”というビジネスプランコンテストに参加します。
- 星野
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早稲田大学内の授業で行われる、ベンチャー起業家養成基礎講座というビジネスコンテストがあります。その授業は半期で(通常の2倍の)4単位ももらえるので、かなり人気がありました。授業にはゲスト講師としていろんな人が来るんですよね。当時だったら、DeNAを創業した南場さんとか。
夏休みに入ると2泊3日の合宿をして、そこで自分のビジネスアイデアをプレゼンします。最終的には軽井沢でビジネスプランコンテストが開催されて。コンテストに優勝すると、実際にビジネスを起こすための事務所を提供してもらえるんです。
もともと起業しようと思っていたし、単位も一気に取れるので、この講義はいいきっかけだと思って受講しました。
当時の星野氏が提案したビジネスアイデアは、C to Cのマーケットプレイス(取引市場)をテーマにしたものだったそうです。
- 星野
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今でこそFacebookなどの実名制サービスがたくさんありますが、当時のインターネットは匿名性が強かった。これがどんどんオープン化していくとなると、市場もC to Cになっていくだろうと思っていたんですけど、今ようやくその流れが来ていますね。
結局、その2006年のビジネスプランコンテストの最優秀賞は、実業家の与沢翼さんだったんですけど。事務所は彼がもらったので使えなかったんですよ。
このような経験を通して、大きな組織の縦社会の構造など「社会の一端を見れたのが学び」と振り返る星野氏。そして、大学在学中の2007年に起業を決意します。
- 星野
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最初の1、2年は猫の手も借りたいくらい忙しくて、身体的にきつかったですね。在学中に起業したんですけど、本当に忙しくて大学を中退しました。
例えば、当時は飛び込み営業もしていて。事務所のある高田馬場の雑居ビル群で、ピンポンを押しまくっていたり。社員は自分しかいないですから、受託開発の仕事を取ってくるのも自分、制作するのも自分です。2年目には手伝ってくれる人が増えてきたんですけど、やっぱり最終的な制作は自分でやらなきゃいけませんでした。
めまぐるしく毎日がすぎる環境の中、最も印象的だった案件についてお聞きすると「航空券を予約するようなシステムの開発」と星野氏は答えます。
- 星野
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今考えると、とても小さな体験だなと思うんですけど、1ヶ月から2ヶ月くらいかけて予約システムを全部つくりました。それが会社を設立して、たった数ヶ月後の出来事だったんです。依頼してくれた会社からは「お金を払うから、当時流行っていたFlash制作をやりたい」と言われたんですけど、僕にはFlash制作ができない。それなのに「できます」と言って受注したんです。そこで、なんとかしてFlash制作できる人を探しだして、開発をお願いしました。
当時は若かったのでリスクを想像できていなかっただけだと思いますが、今思うとメンタルが本当に強くないと、絶対こんなふうに仕事はできない。頭がおかしくなるだろうなって思います。