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2016.05.17
第16話
調べてみた

これは愛に溺れる自分と健全な常識人の感覚の違い――『失楽園』(下)の情事シーンまとめ

ナッツ

「からだ」をという言葉を変換すると、「軀」という漢字に変換されます。
こんにちは、ナッツ(@nuts612)です。

軀とは一体なんでしょうか? 生とは? 働くとは? 愛するとは?
そんなことを思いながら、先週に引き続き、本日も渡辺淳一氏の代表作『失楽園』の下巻に登場する久木と凛子のセッ◯スシーンを数えていきましょう。

失楽園(下) (講談社文庫)
失楽園(下) (講談社文庫)

 
▼上巻編はこちら

※久木と凛子がはじめて交わってからの回数ではなく、あくまでも小説内で明確に表現されている箇所のみをカウントしています。

久木と凛子が交わったシーン(下巻編)

1戦目:渋谷の逢引部屋

男はようやく、女のなかに侵入する決意を固め、いよいよ最後の、滅茶苦茶の仕上げへと突進する。

「羞恥心と興奮」「遮二無二」「凄絶な戦い」「完膚なきまでの破壊」
このシーンでは画数多めの漢字が飛び交い、久木と凛子の激しい交わりを表現しています。さて、下巻で二人はどれほど交わるのでしょうか。次々と見ていきましょう。

2戦目:伊豆・修善寺近くの宿

ここまでにいたる狂態のすべてを見詰めていたのは、窓ぎわの満開の桜しかない。






満開の桜!
あとは散るだけの満開の桜に見守られながら、桜よりも先に乱れる久木と凛子。春爛漫なシーンです。

3戦目:渋谷の逢引部屋

久木のものを受け入れてからは、悦びを訴えながら、何度も上体を起こして鏡を覗きこみ、「凄いわ、凄いわ」と、囈言のように叫び続ける。

買い物中にふと見つけて購入した鏡。それをベッドサイドに置き、二人は自らの行為を鏡越しに楽しみます。
このとき、久木は “凛子はどこまで溺れていくのか” と恐怖を覚えます。さあ、凛子。アナタはどこまでいってしまうのか。

4戦目:渋谷の逢引部屋

充分、潤った秘所は男をしっかりととらえ、そのまま久木がリードするというより、凛子が一方的に動く形で奔り出し、やがて「火がつく……」とつぶやき、「灼ける」という声に耐えきれなくなって、久木が果てると、それに誘われたように凛子が叫ぶ。
「死のう……」

昭和11年(1936年)に起こった、”阿部定事件” 。阿部 定(あべ さだ)は愛する石田と窒息プレイを行い、絞殺。石田の局部を切り取って逃げるという事件です。
伊豆への旅行中、阿部定事件の調書を読み聞かされた凛子は、だんだんと「死」を意識し始めます。

5戦目:軽井沢の別荘

「するなら、ずっと、やめないで」(中略)男は満を持したように入っていく。
まさに待ち望んだ進入だが、男が女を支配し、コントロールしていけるのはそこまでである。

凛子の「いつまでも、やめないで」というオーダーのもと、必死に継続的なプレイに集中する久木。継続した時間は “一時間ほど” と記されています。
“男はついに刀折れ、矢尽きたように” プレイは終了。このとき、久木は果てずに終わりました。

6戦目:軽井沢の別荘

静まり返った夜、二人はそんな麻薬が欲しくて、樹々につつまれた家で、ひたすら獣のように求め合う。

「死」について考えすぎた反動で、「性」による「生」の実感を求める二人。
家庭や仕事といった東京での日常から離れ、軽井沢という地で二人だけの世界をより強固にしていきます。

7戦目:渋谷の逢引部屋

真夏の夜、ふたつの軀はあふれでる汗でぬめぬめと光り、肌と肌というより、汗と汗がはじける感じで、改めて男は女の上になり、女は下からしかと締めつけ、(中略)凛子が髪ふり乱して狂ったように叫ぶ。
「殺して、このまま殺して……」

季節は、あっという間に夏。
いよいよ凛子の求め具合が激しくなってきます。情事のあとは「どうして殺してくれなかったの」という始末。そして、とうとう久木も、凛子と死ぬことを覚悟していきます。

8戦目:軽井沢の別荘

いよいよここからは、ともに死へ旅立つための最後の饗宴である。(中略)久木のものは女体の肉と壁に吸い寄せられ、巻きつけられたまま、最後の精が火玉とともに散っていく。

至福。
とうとう二人は人生のクライマックスを迎えます。

 
二度と戻ってこれない「生」の世界。




その20時間後、二人は挿入したまま死体として発見されるのでした。

【結果】『失楽園』(下)では8回、久木と凛子は交わっていた

終始、交じり合う久木と凛子。上巻では14回交わっていましたが、下巻では上巻よりも少ない

8回

という結果でした。
上下巻あわせると、22回交わっていることが分かりますね。

おわりに:「阿部定事件」昭和11年の三大事件

僕は『失楽園』を読むのは今回で2回目だったのですが、あらためて「愛」というものを考えてしまいました。

上記でも少しふれた阿部定事件。
当時の新聞では、

《待合のグロ犯罪/夜会巻(やかいまき)の年増美人/情痴の主人殺し/滴(したたる)る血汐(ちしお)で記す「定、吉二人」/円タクで行方を晦(くらま)す》(『東京日日新聞』)
(引用元:阿部定事件、予審調書を全文公開

という、衝撃的な見出しで取り上げられました。「上野動物園クロヒョウ脱走事件」「二・二六事件」とあわせて「昭和11年の三大事件」に数えられているそうです。
さらに、逮捕後の予審調書で阿部定はこう語っています。

私はあの人が好きでたまらず、自分で独占したいと思いつめた末、あの人は私と夫婦でないから、あの人が生きていれば、ほかの女に触れることになるでしょう。殺してしまえば、ほかの女が指一本触れなくなりますから、殺してしまったのです(第1回尋問より)

これだけ見ると、どれだけ阿部定は怖い人物なのかと思ってしまいますが、殺された石田は「俺はお前のためならいつでも死ぬよ」と語っていたと調書では書かれています。そう、二人は愛し合っていたのです。そして、阿部定は石田を殺害した後、自らも命を絶とうとするも勇気が出ずに逃亡。逮捕という流れになります。

 
こんなこと、仕事中に考え始めたらもうどうしようもないのですが、「愛」ってなんでしょう。一度、溺れてしまったらぬけ出すことができないもの、それが愛なのでしょうか。

「自分は常識人である」そう思っていても、愛は人を狂わしてしまう力を持っている――そんなことを思いながら、今日も常識的に仕事に励もうと思います。