こんにちは。LIGライターズの新川です。普段はライター兼コピーライターをしています。
保険比較・見積もりサイトを運営するウェブクルー。その子会社でWeb領域を軸とした広告代理業務をおこなうウェブクルーエージェンシーの代表をつとめる日野富士男さん。ウェブクルー入社後、わずか1年足らずでグループの新会社FXキング代表に就任。しかし、リーマンショックの影響で、会社はわずか2年で事業廃止に。
その後、日野さんはウェブクルーエージェンシーの営業職に転籍。しかし転籍から2年後には取締役、そして2014年には代表取締役に就任。たった5年で再び代表取締役になった敏腕ビジネスマン。
経営する会社が解散するという特別な経験を経て、今あらためて代表をつとめている日野さんに、経営するということ、人を引っ張っていくこと、そして会社のこれからについて展望を伺いました。
人物紹介:日野富士男 大学卒業後、金融業で営業経験後、2005年に株式会社ウェブクルーに営業職として入社。その後、複数のサイト立上げ責任者を経験し、2007年ウェブクルーグループの子会社の代表取締役を経験。しかし2009年に事業廃止に。2009年から、営業・マーケティング・プロモーション経験を活かしてウェブクルーエージェンシーの営業職に転籍し、2014年に代表取締役就任、現在に至る。 |
取締役は自分より1歳年上。「この会社なら、若くても活躍できる」と確信した!
— 日野さんは、もともと経営者になりたいという願望はお持ちだったのでしょうか?
昔から「経営者になりたい」と思っていました。20代のころは、具体的な仕事というより、社長や経営者という、おぼろげなかっこいいビジネスマンのイメージがあって、それに近づきたいと思っていました。なんでも一人でこなしたいタイプでもありましたね。
— ウェブクルーに入社されたのは、その道に近いと思ったからでしょうか?
ウェブクルーは3社目です。最終面接をしてくれたのが、のちの私の上司なのですが、当時取締役で私より年齢は1つ上なだけ。私はすごく学歴コンプレックスがあったのですが、IRを見ると特別に有名な大学でもないのに上場企業の役員ですごいなと思ったんです。面接では「入社何年目ですか」「どうしたら取締役になれるんですか」と、反対に質問攻めに(笑)この会社なら若くても活躍できるんじゃないかと思いましたね。
— そして実際に入社して、ウェブクルーのグループ会社FXキングの代表になられたわけですね。
代表になる前は、責任者として1年間立ち上げに加わっていました。金融の知識も会社経営のノウハウもまったくない私に「じゃ、今日から会社立ち上げて」という感じのスタートで。私自身は、“0から1を生み出すか”“1のものを10にするか”という選択肢があれば、0を1にすることにチャレンジしたいタイプなので、楽しかったです。自分が思うようにできるのもあるし、0から1の方が確実に難しい。難しいことと簡単なことなら、難しいことにチャレンジした方が達成感もあるし楽しいと思うので。
— 任命されたときのお気持ちは?
嬉しかったですね。任命してくださった当時ウェブクルーの代表の期待に応えたいという思いは強かったですね。でも、率直な感想としては「トントン拍子にきているけど、俺大丈夫かな」という不安もありました。
お前が辞めてもどうにもならない。「責任を取る」とはそういうことじゃないと知る
— リーマンショックの影響を受けて、FXキングは2年で事業廃止という決断をくだされますね。
実際には、楽しかったことしか覚えていないんです。結果的に解散しているので、うまくいかなかったのですが、、自分のできる限りの能力や考えで、一つひとつ解決していったという何らかの達成感は得られています。それに関しては満足しています。
ただ、当時の数字を見れば明らかなんですが、元代表から「もう会社、清算した方がいい」と言われたのに、「まだできます」と無駄なあがきをして、判断を遅らせてしまったんです。すぐ決断できなかったことは強く反省しています。
— 事業廃止の経験で、一番辛かったことはなんでしょうか?
一番辛かったことでいえば、在籍していた8人の社員です。みんな私が最終面接をして「このメンバーでいける!」と採用したのに、自分の力が及ばず、結果的にダメだとなったときは、ただただ申し訳なかったです。人生を狂わせてしまったんじゃないかとも思いました。
実は、当時の経営会議で「どう責任取るんだ」と言われて、最初に出たのが「私が責任取って辞めます」という言葉でした。そのあと代表にひどく怒られました。「お前が辞めてもどうにもならない。責任を取るというのはそういうことじゃない」と。当時の代表は、多くは語らないのですが、とても言葉が深いんです。その言葉でいろいろ考えさせられました。
そのときにわかったのは、自分が引っ張っていく立場なのに一番に逃げ出すのは、あまりにも無責任だということです。自分のことは後でいい。まず社員のことを考えてやるべきなんじゃないかなと。かっこつけるのではなく、本当にそう思ったんです。
— その後、8人の社員たちは?
まず「この人は、この部署でやっていけるな」と思う人は、ウェブクルーのグループ会社に頭を下げてお願いして、グループ内に適切な部署がないFX専業の方たちは、十数社いろんなところに駆けずり回って再就職を相談しました。1〜2カ月後、ようやく全員決まったときは、「よかった」と胸をなでおろした。「あぁ、やっと自分のことを考えられるな」という感じでした。
人生で、これ以下はない。だからこそ、今が巻き返すチャンスだと思った
— その後、日野さんはウェブクルーエージェンシーに転籍になりますね。
周りは、私が辞めると思っていたようです。社内的な評価や待遇的なことを考えても、普通は辞めるパターンですよね。でもやめたらカッコ悪い。
27歳の若さで良い経験をさせてもらったし、数億の資本金をいただいた会社だったし、何とかそれを取り返したかったんです。それに恩をなくしてまで次に行くのは、今後の将来のことを考えても後ろめたい気持ちになるだろうなと。ここを乗り越えないといけないという気持ちでした。
実は、解散が決まってあと1週間で廃業申請を出すころに母親が亡くなったんです。「人生には、いろんなことが重なるんだな。でも、もうこれ以下はないだろうな」と感じていていました。だからこそ「この今の状況は、逆にチャンスでもある」と思ったんです。
— 営業職に転籍されるにあたって、会社には何か要望を出したりしたのでしょうか?
上司からチームを持たせてくれるという話があったので、「成果が上がっていない人、難しい人を私のチームに入れてください」と言いました。一度失敗しているので、“すぐ成果を出したい、自分のパフォーマンスはこれだけできるんだ”という気持ちは強かったですね。より難しいことをやりたいと思っていましたので。
— 難しいと思われている人を活躍させることが、自分の成果でもあると。
そうです。普通じゃ言わないことなので、びっくりしたでしょうね。実際にそんなメンバーになりました(笑)チームがスタートしてからは、本人の希望に沿わないと成績が伸びないなと思ったので、個人との面談を多くして、自分がやりたいことで数字をつけるにはどうしたらいいか、という視点で指導をしました。営業なので、うまく回り出せば数字はいずれついてくるので。
チームとしての成果はボチボチだったかもしれませんね。私自身も広告代理業は初めてだったので、自分の能力をメンバーに示さなければならないし、マネジメントもしないといけないので苦戦していましたね。その後、事業ドメインが一気に変わって、大きく広告代理業に舵を切ったので、チーム編成も組織も大きく変わっていきました。その中で、私は営業のリーダーとマネジャーを担当してきました。
— 「成果を出したい、取り返したい」と思って再スタートして、それが達成できたと感じたのはいつごろですか?
いまだに思っていないです。“まだまだ恩を返せてない”という感覚はずっとあります。私はウェブクルーエージェンシーに配属になったとき、周囲や上の人に「もう1回社長になりたい」と言い続けていました。この体験で“社長になるのは誰でもできる。でも、継続拡大していくのはどれだけ難しいことか”を痛感したんです。だから、次はもっと長く、責任もってやりたいんです。「悔しい思いをしたからこそ、もう1回やりたい」と毎日上司に言い続けました。きっと、その気持ちを汲んでくれたんだと思います。
今、再び代表になって1年しか経っていませんが、かつて、私に投資してチャレンジさせてくれた恩を部下にも同じ経験をさせてあげることで、返せていけたらと考えています。
社員が退職するときに必ず問う。「採用した責任を全うできただろうか」と
— 転籍から5年後、もう一度代表という立場になられて、以前と違うところはありますか?
そうですね。変わったのは、“従業員はいろんな不満を抱えている、それを自分が上に立つことでそれをなんとか解消したい”ということです。「採用する責任は重い」と上司がよく言っていました。私もすごく共感していて、「採用するということは、その人の人生を背負う」ことなんだと。「この部下は仕事ができない」と決して諦めたくない。むしろ、こちらの教育のやり方ができてないんだと。
退職するメンバーがいると、いつも「私はこの人に教育できたんだろうか。自分の責任を全うできたんだろうか」と問いかけます。もちろん新しい環境で頑張ってほしいとも思いますが、自分が変えられなかったんだなとか、思いが伝わらなかったんだなと反省はしています。
— 日野さんにとって、会社の人間関係とはどのようなものでしょうか。
会社の同僚は、普通に考えて、確実に家族よりも長く同じ時間を過ごしていますよね。どんなに仲がいい親友や恋人よりも、隣にいる上司や同僚の方が同じ時間を過ごしています。だから、お互いに“その人のために頑張ろう”とか、“この部下のためにこうしよう”という思いがないと、良い関係で仕事はできないと思っています。そうじゃない人とは、きっと一緒に働けないかな。
中には、それは違うとか、感情移入しすぎという意見はあると思いますが、そういう人はうちの会社の文化に合わないので、すぐ辞めてしまう。大企業なら割り切りも必要ですが、うちは規模が小さいので一人ひとりのつながりが深いんです。
毎朝、カンパニープロミスを唱和するんですが、僕はこの最初の「あなたを想い、あなたと対話し」というフレーズが大好きなんです。“あなた”とは、クライアントやクライアントのユーザーであり、クライアント、ユーザーのために頑張っている営業担当者や運用の担当者も含めて、その人たちのために“私も”頑張りますというこの感じが、本当に好きなんですよね。相手のことを思って、会話でなく“対話”を、面と向かってする。この精神が、うちのメンバーにはあると思います。
人の成長なくして会社の成長はない。能力を発揮できる機会を生み出したい
— ウェブクルーエージェンシーの展望について教えてください。
事業拡大や数字的な部分については、目標の130%以上の成長は当然のことですが、組織は最終的に”人“なんです。「人の成長なくして会社の成長はない」と思っているので、人の拡大という視点で、個々の能力を上げていきたいと思っています。
例えば、今の業務がその人の天職でない場合もあるので、いろんな可能性を見ていきたいなと。新しい領域をやることで、その人が最も発揮できる能力が見つかるかもしれないし、単純に仕事の領域を広げるという点でも、取り組んでいきたいと思っています。
私自身がそうだったように、新しいことにチャレンジした方が成長度合いは高いですし、その成長や権限移譲の部分が重要ですから。事業ドメインの範囲内であっても、人に教わるより、手探りでも自分でやった方が絶対に成長できます。
— “人”という点では、社内にはどんな方が多いですか?
気遣いができるメンバーが多いです。まさにカンパニープロミスを実現できているメンバーです。でも、その気遣いは、本当にちょっとしたことで、仕事をお互いにやりやすくする気遣いですね。
私の元上司がよく言うんですが、相手はこちらの考えを100%は知らないので、何かを依頼したときに普通であれば70〜80点ぐらいで返ってくる。それが100点で返ってきたら“満足”、100点以上だったら“感謝”。そうすると「ここまでやってくれたんだね、ありがとう」という言葉が出る。その先に“感動”があり、その“感動”は、自分が想像を大幅に超えたときに感じるもの。感謝のさらに上の300点、400点と返ってくると、涙を流して感動する。
「それを、僕らはやらなきゃだめだよね」とよく話しています。「感動をあたえる」というのが、言葉の上でも行動の上でも、私たちの仕事の基本になっています。
インタビューを終えて
20代の若さで、会社の経営を任され、事業廃止という強烈な体験をした日野さん。しかし、そこで決して終わることなく「今ここを乗り越えなければいけない」と自ら難しい道を選び、着実に歩んでこられたことに感動を覚えました。「簡単なことより、難しい方がずっと“楽しい”」という貪欲な姿勢が、どんな困難にも立ち向かう頼もしいリーダー像に必要な素質なのかもしれません。