医療のIT化に挑み「999回倒産しよう、1000回頑張ろうと思えた」| エストコーポレーション

まゆこ


医療のIT化に挑み「999回倒産しよう、1000回頑張ろうと思えた」| エストコーポレーション
(編集部注*2015年2月26日に公開されたインタビュー記事を再編集したものです。)

“医療×IT”という大きなテーマを掲げ、日本初の健診結果電子化サービスや病院検索・予約サイト「エストドック」の運営に取り組むベンチャー企業として「革新ビジネスアワード2014大賞を受賞した株式会社エストコーポレーション

多数の賞を受賞するサービスを生み出す一方、現在に至るまでは「地獄の日々の連続だった」と話す同社で代表取締役を務める清水氏。創業時から成功までの事業展開の歴史を知ると、決して大げさでないことがわかります。そこで今回は、過酷な状況でも清水氏が「最高を更新し、新しい未来を創る」ことを諦めなかった理由を中心に、起業ストーリーをお聞きしました。

エスト様_PF写真 人物紹介:清水 史浩氏
1984年、岡山県生まれ。2007年に神戸商科大学を卒業後、22歳で株式会社エストコーポレーションを設立。代表取締役に就任する。順調に業績を伸ばし、2009年に関西支社、2011年に福岡支社、仙台支社を開設。3年後は株式上場を目指し、革新的な新規事業の確立、既存事業のさらなる拡大をおこなう。

余命半年の父親が、独自に薬を輸入して3年半生きて「日本の医療にもまだチャンスがある」と

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清水氏が社長になると決めたきっかけは、お父さまが患った癌という病気でした。

清水
起業家には2つのタイプがある。1つ目は身内が会社をやっていた人、2つ目が貧しい環境だった人で、僕は後者ですね。「もう男はお前だけになるから、お前がどうにかしてやれよ」と父に言われて。

(父が)闘病生活に入ると、母親がパートをし始めて。当時、住んでいたマンションも引っ越して「ええ、こんなアパートに住むの? 友達も家に呼べねえ」みたいな。

そんな環境の中、「中学の頃にはもう明確に社長をやるというのが固まってた」と清水氏は言います。

清水
家が本当に貧しくなったので「金稼ぐしかない、社長しかない」っていう思いですよね。父の唯一の教えが「どの業界に行ったとしても、自分の進んだ道のてっぺんを取れ」でして。

亡くなった後も、「社長をやるからにはてっぺんを取らないといけないな」みたいな思いが、中学のときにはもう明確に固まったんですね。

清水氏が医療を事業領域に決めた理由には、やはりお父さまの影響がありました。

清水
余命半年の宣告を受けていた父親が、独自にアメリカから薬を輸入してきて。で、それで3年半生き長らえまして。日本の医療はすごいと言われていたけど、まだまだこんなにもチャンスもあるんだと。

健康診断の法律が変わるという話を聞いて「これ、ビジネスチャンスじゃん」

起業に当たり「まだまだ営業力が足りないよね」と思い至った清水氏は、内定予定の企業でインターンをはじめました。

清水
まだ当時大学生でして、できることならすぐ会社を起こしたいけど、最後に営業力が必要だとわかって、大学4年の秋に東京に出て来まして。

内定先の会社でインターンしてたんですけどそこもかなり過酷な環境で。1日3時間睡眠とかでテレアポしまくってみたいな。

「医療しかない」という思い、それはこの営業でも貫かれていました。そしてエストコーポレーションが誕生します。

清水
医療法人とか医療機器メーカーとかをなるべく回るようにしていまして。営業力を養いつつ、実際の医療現場のニーズを聞いて、がむしゃらにやっていたんですよ。

そこで、現場の医師から「来年から法律が変わる」、つまり健康診断の手続きが切り替わるという話を聞いて、厚労省に調べに行って。「先生はお忙しいので、僕が代わりに勉強しますね」と。

一件の営業で出くわした医療現場の問題に、「これ、ビジネスチャンスじゃん」と清水氏。「僕、入社するの辞めます。会社を立ち上げます」と言って、起業に踏み切ります。

清水
今まで医療現場が国に対して紙で提出していたものが全部、紙提出禁止になりまして。「紙で出していたのが急にダメになったら、現場は無理だよね」みたいな。

従来の紙をうちに提出していただいて、うちが全部電子化代行をして国に報告する、というビジネスをやれば流行るんじゃないかと思って。それだけを胸に、この会社を立ち上げました。

起業した1年後には5000万まで借金が膨れちゃって、ジャンプを枕にして寝る毎日で

「医療業界で会社を起こすというのは本当に大変」と語る清水氏。苦労の裏には、医療業界の非常に特殊な慣習が存在していました。

清水
B to BでもB to Cでもなく、医療業界ってB to D(B to Doctor)で、すごく特殊なんですね。閉鎖的で他者を排除するような風習で、実績も経験も何もない新参者というのもあって、先生にアポイントすることすらできなかった。

国も、国民全員データベース化しようという初めての試みなので、とんでもない開発費用がまずかかったんです。

ここからエストコーポレーション、そして清水氏の「地獄の日々」がはじまります。

清水
3年間、本当に売上が上がらない、借金だけかさむみたいな地獄の日々でしたね。社員は辞めていきますし、マンションの家賃も滞納がひどくて。ジャンプを枕にして寝る毎日で。電気も止められているし、布団もなく、暖房をつけられないので、仮眠しても寒くて2時間後に起きて「じゃあ、仕事しよう」みたいな。

23歳で起業して、1年後には5000万まで借金が膨れちゃって。キツかったです、本当にキツかったです。

「999回倒産しようと思ったんですけど、1000回頑張ろうと思えた自分がいて」と語る清水氏。やがて希望の光が差し込みます。

清水
毎日一生懸命頑張っていると、ある医療機関さんが「そういう医療情報の電子化ビジネスは、医師会を通してやれば早いんだよ」みたいなことを教えてくださって。もともと国に電子化報告をすると、電子化補助金が1名につき500円、医療機関に下りることを知った。医療機関は医師会に紙を提出して、電子化の委託費用を350円払っていたんですね。この時点で医療機関は150円儲かるんですよ。

であれば、医師会がうちに対して300円払って、業務再委託してもらえれば、医師会は中抜きで50円儲かるみたいな。ビジネスモデルを一気に転換しました。

「ただ紙を集めるだけというスキーム」を完成させたことが、現在の躍進につながります。

清水
とある医師会と契約をしたら、「何そのビジネスモデル、おもしろい。うちも導入するよ」というので一気に広がりまして。

2008年に20医師会と契約を結ぶことができたので、3〜4000近くの医療機関さんの医療情報をごそっといただく契約になったんですね。

しかし、ここで国からのストップが入ってしまいます。

清水
厚労省にとっても初めてのシステムだったんで、受理できなかったんですよ。それから半年間、地獄のような仕様書変更が始まって、また開発費用がかさんで。

他社が軒並み撤退していく中で、2008年に「うちが提出したやつが受理できました」と言って、厚労省ももう大喜びで。うちが初めてだったんですよ、受理が成功した企業というのが。

親戚からも勘当されて「もう結構つら過ぎて、記憶を忘れているんですけど」

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「多分、あと1ヶ月はもっていなかったんで」と清水氏。当時、間一髪の状況を次のように語ります。

清水
報告持って行っても通る見込みないですし、システム変更するお金もうちはなかったんで。もう借金マックスじゃないですか。親戚とかからも片っ端から頭を下げてお金を借りていたので、僕、親戚からも勘当されて。

当時付き合っていた彼女があまりに不憫に思って、クレジットカードを貸してくれて。それを使わざるを得ない日々が続いて、もう何かもういたたまれなかったですね。

「1ヶ月ぶりに自宅に帰った」ときのエピソードは、本当に忘れてしまいたいほど壮絶なものでした。

清水
そのとき、その彼女と一緒に住んでいたんですけど、テレビがあるはずの場所にないんですよ。家具が全部なくて、「えっ?」みたいな。お風呂入ろうと思って裸になったものの、水も出ない、バスタオルもないんで。もう1回服着てみたいな。もう涙出そうで。

ただでさえつらすぎるのに医師会から呼び出しくらって、理事の先生から「訴訟を起こすから準備をしておいて」と。理事会とかで重鎮に並ばれて詰められて。その7、8月が一番どん底でした。

そんな中での厚労省から出た「通った」の一声には、「その日、夜泣いていましたね、多分(笑)」と清水氏は言います。しかし、本当にうれしかったのは「医師会に対して請求書を発行したとき」でした。

清水
1万円使うのは超簡単ですけど、1万円稼ぐのってこんなに難しいんだって。通ったのももちろん嬉しかったんですけど、その倍以上、お金が入ってきたっていうのが「うわぁ!」みたいな。

おかげさまで5億円調達できそうで、今でこそようやく、良くなりました

「もうソフトバンク超えなきゃとかの意識がすごくて」と語る清水氏。“てっぺんを取る”というお父さまの言葉は、今も心に刻まれています。

清水
孫さん(ソフトバンクの孫社長)、僕と同じ歳のときにもう既に160億超えていたのに、うち、まだようやく10億だ、みたいな。「うわー、ダサー」って、日々葛藤ですね。

独立採算制をとる中で、「絶対に譲らないのは、年間の計画ですね、数字です」と語ります。

清水
毎月、実績報告会って結構シビアにやるんですけど、年間の予算をその事業の最初に出してもらって、それをかなり時間をかけてディスカッションをするんですね。僕も僕で見ている事業があるので、みんなに報告をちゃんとして、他の役員も役員で見ている数字を報告して、全員で詰め合うみたいな(笑)

同じお金の使い方でも、それがコストか、あるいは投資になるのかって、本当の支出と投資に分けられると思うので。本当に必要だったら、もう目をつぶってやろうとか言うんですけど。

苦闘に次ぐ苦闘の末、「上場に向けて今、VCの資金調達というのもまさに佳境」と語る清水氏。

清水
今、5億円調達しようとしているんですけど、おかげさまで出来そうで、今でこそようやく良くなりました。

「人として当たり前」なことって、「ありがとう」って言えてますかとか

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「医療という分野で、世界に対してチャレンジしたい」と語る清水氏。そのために必要なのは土台作りだそうです。

清水
医療機関のネットワークをどれだけ持っているかというのが、医療のベンチャーで成功できる会社の最終的な要因になると思っているんですよ。

今、医療情報の電子化だけで8000、「エストドック」という病院検索予約サイトで3000の登録になりまして。全国には医療機関が16万施設あって、ここのサイトだけでそれを取りにいこうと。

日本の病院の問題点として、清水氏は「IT化が全然進んでない」点を挙げます。

清水
先進国は医療のIT化がすっごい進んでるんですよ。医師といつでも24時間スマホで相談できますし。で、なおかつ先進国では病院に対して予約を入れて行くって当たり前、スタンダードですけど、日本ってウチがようやく頑張って展開するぐらいです。

日本では個人のカルテも病院間で共有されていないんで、新しい病院に行くと「すいません、あなたのカルテがないんで、もう1回血液検査からやりましょう」と。でも、先進国ではカルテの共有が当たり前なんで「あ、○○さんカルテちょっと調べますね」「じゃあ同じような診察だけしますね」っていうように、すぐに出されるんですけど。もろもろ全部、インフラの構築をしていこう、っていうのがウチのゴールですね。

「成功するか否かを決めるのはやっぱり人のよさ」ということを、「地獄のような日々」から学んだと語る清水氏。それは社員育成・採用にも徹底されています。

清水
うちのメンバーには「人間力がすべてだからさ、人を良くしていこうぜ」とか、そういうのを大事にさせようって思いが人一倍強いんで。人が良くて、目標が大きい、そういう思いがある人は僕の中でほぼ採用なんですけど。「ありがとう」って言えてますとか、当たり前のことが当たり前にできている人がリーダーに上がってます。

新卒の研修では「ああ、こういう人、嫌だなっていう人の特徴を書き出して」と指示して、「よーし、書いたか。じゃあその反対のタイプの人を書いて」ってまた書かせて、「じゃあ、そういう人になれたら、うちではもう幹部候補」って言ってます。

聞く人が思わず感嘆の声を上げるほど、決して大げさでない「地獄の日々」を過ごした清水氏。そのどこまでいっても諦めない気持ちの根底には、お父さまの「てっぺんを取れ」という言葉と、学生時代から揺るがない「医療しかない」という確信がありました。その圧倒的な人間力が、エストコーポレーションの発展を支えているのではないかと思います。


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まゆこ
この記事を書いた人
まゆこ

エディター

2013年入社

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