「このままでは赤字を黒字にするだけで大変な、労働集約型のビジネスモデルになってしまう」考え抜いた末に、スマートフォン広告へと業態変更を決意
代表の山内氏はこれまで、株式会社マイクロアドや株式会社CyberX、そして株式会社CyberZと、3社の立ち上げを経験。株式会社CyberXでは役員として経営に携わってきました。恵まれた環境であったにもかかわらず、なぜ株式会社CyberZを創業したのでしょうか。
- 山内
- CyberZを設立する頃、フィーチャーフォン向けの広告市場が大きくなってきた時期でした。PCを含めた広告代理事業であれば、国内ではサイバーエージェントがNo.1のシェアだったのですが、フィーチャーフォン広告となるとそうはいかず、また、メディア側に情報が集まっていました。そこで子会社を立ててモバイル分野に参戦することになったときに、ぼくの名前が挙がった。それがCyberZ創業の経緯です。
2009年に同社を設立してから、8期目を迎えるCyberZ。ターニングポイントは2012年の業態変更です。
- 山内
- 立ち上げのきっかけとなったフィーチャーフォン向け広告代理業ですが、最後発組でしたので、このまま続けていくと赤字を黒字にするだけで忙しい労働集約型のビジネスモデルになってしまう。それを続けていくよりも、どうせ会社としてやるのであれば、一番リスクがあるけど利益が大きいスマートフォン広告事業へ業態変更してみようと考え抜いて、決めました。親会社に融資を受けるためのプレゼンで拒否されれば、CyberZをたたむしかない。「GO」がでたら全力でやる覚悟ができていました。
こうして、スマートフォンに特化した広告マーケティング事業に舵を切り、国内だけではなくアメリカや韓国、台湾などのアジア地域で展開することになったのです。
- 山内
- 業態変更してからは好調でした。しかし市場の調子がいいと、他の広告代理店が参入してくるようになります。そこで独自の強みを作るためにスマートフォン広告の効果把握・分析が可能なソリューションツール「F.O.X」を開発しました。「F.O.X」は国内で初めてスマートフォンアプリ向け広告の効果測定を実現したこともあり、このツールを強みに業績を伸ばしていきました。しかし、同様のツールが世の中にでてくるようになり、「F.O.X」以外の強みをつくろうと次の一手をいつも考えていました。そんな当時、日本のクライアントがちょうどアメリカ展開を視野にいれており、このタイミングでアメリカ支社の立ち上げをやろうと心に決めました。事業においてタイミングは非常に重要ですので、渡米の準備を進め、すぐに数名のメンバーをつれてアメリカに行きました。
アメリカ支社立ち上げに対する多くの反対を押しのけて渡米した山内氏。現地ではどのような取組みをしたのでしょうか。
- 山内
- いろんな媒体社の人と会って、「F.O.X」と計測連携できるように提案する日々でした。私自身が決裁者なのでその場で大きな金額の話ができるし、相手のメリットも鑑みながら営業していたので、結果として当初掲げていた目標数字を大きく上回ることができました。
- 中村
- 日本では長い間山内が不在だったので、社内では権限委譲が進みました。今まで山内が管理しなければいけなかった仕事を、部下が担わなければならないわけですから。
- 山内
- 社内はお尻に火がついた状態です。ぼくはアメリカにいますが、物理的に日本に社長がいないとなると、みんな焦る。後ろ盾がいなくなるような空間をつくることで、人は育つのですね。
「デートでサッカーの試合を観戦しに行きますよね?」ゲームも市民権を得た、エンターテインメントの一大産業にしたい
スマートフォン広告事業への業態変更、さらに社長不在期間を経て、組織として強くなったCyberZ。同社が今後注力していく「OPENREC」の展望について、「ゲームの一大産業をつくる」と山内氏。
- 山内
- 2016年の1月に、当社で開催する初めてのe-Sports大会「RAGE」があります。e-Sportsとはエレクトロニック・スポーツ(Electronic Sports)の略で、コンピューターゲームやビデオゲームで行われる競技です。テレビよりも、ネットで動画を閲覧する時間が長くなる時代の流れは、スマホと動画がハブになって一気に加速しています。「OPENREC.tv」が動画のプラットフォームとして、ゲームをプレイしているユーザー同士の熱狂をいかに画面上で伝えられるかが鍵になります。この大会を成功させて、K-1のような一大産業にしていきたいですね。
日本でe-Sportsが成立する要件の一つに、「良質なコンテンツの調達」が鍵になると山内氏は説明します。ユーザー自らゲームのプレイ動画を投稿するか、大会の映像を流すかのパターンがあるそうです。
- 山内
- オフラインで、実際にゲームを観戦しながらプレイヤーを応援する。その場の興奮を味わうなら、当然Webはリアルには勝てない。だからこそぼくらは「RAGE」を開催したり、2年連続で東京ゲームショーに出展したりしています。他の大会の映像を配信するだけなら他のプラットフォームだってできる。だからこそ自分たちがプラットフォーマーでありながらコンテンツも生み出していく環境づくりをする。e-Sports業界全体にもポジティブな影響を与えられるような存在でありたいと思っています。
ライブのように日本の全国各地を回って行くのはもちろんですが、いずれは世界でゲーム大会を展開していきたいですね。
同社が「OPENREC」事業を通してe-Sports業界全体にまで視野を広げているのは、なぜなのでしょうか。この理由について、「海外はゲームがスポーツとして認識されているから」と中村氏。
- 中村
- 任天堂やソニーなどの大企業が何社もいる日本はゲーム大国です。なのに、なぜかエンターテインメントとしてのゲームの産業は、まだまだ一般消費者に認知されていない現状があります。ゲーム人口そのものは多いにもかかわらず、ゲーム大会に足を運んだり、プロゲーマーになったりする習慣があまりない。ぼくらは素直に、ゲーマーが輝ける場をつくりたい。
「OPENREC」が目指す社会におけるゲーマーの立ち位置を、サッカーに例えて中村氏は説明します。
- 中村
- サッカーをやったことがない女の子でも、好きなサッカー選手がいることもあります。場合によってはデートでサッカーの試合を観戦しに行きますよね? ゲームも同じ立ち位置のエンターテインメントまで持っていきたいです。今は話がうまい人のゲーム実況動画が流行っていますが、たとえそのプレイヤーの話がおもしろくなくても、純粋にプレイの巧さだけで際立っている人にファンが生まれ、子供が憧れるような場所にすることが「OPENREC」の考える世界観です。
- 山内
- Jリーグは、サッカーをやらない人も含めて人気ですよね。あんなふうにチームができて、リーグが形成されていけば選手もスポンサー企業も儲かる。循環するエコシステムができると思います。e-Sportsが“市民権を得る”と言えばいいかもしれませんね。ぼくらはプレイヤーやゲームを観て楽しむユーザーを多方面からバックアップしながら、業界全体を盛り上げていきます。日本ならではの、e-Sportsの形を探っていきたいですね。
従来の一人で遊ぶゲームから、人との繋がりによって生まれる熱狂を楽しむゲームへ──オンラインゲームへと、日本人のゲームとの関わり方は徐々に変化してきています。
ゲームの名作を生み出してきた日本で“e-Sports”という新しいゲーム文化が根付く日は、間近にあるだろうと感じました。