1人の人間の価値観を変えたマンガ
2005年、僕は18歳だった。青春のど真ん中にいるはずだった。高校生活を楽しんでいるはずだった。
なのに、僕は中退して、いつも家にいた。起きたいときに起きて、インターネットをして、寝たいときに寝る。そんな生活が2年続いていた。消費らしい消費もせずに、インターネットを見るか、インターネットが薦めた本を図書館で借りるか、ブックオフで買ってきて読んでいた。
インターネットが薦めてくる本以外は、読んでいなかった。
唯一の例外が、父親がいつも買ってくる『ビッグコミックスペリオール』だ。いつも風呂で漫画雑誌を読む父は、読み終わったものをその辺に放置していた。それを拾い上げて読んでいた。
そこに『社買い人岬悟』は載っていた。作者は国友やすゆき。
……国友やすゆき?
聞いたことない。パラパラとめくる。どうやらM&Aをテーマにしたマンガらしい。
しばらくは社会派マンガとして読んでいた。しかし、突然、本当に突然、岬の上司が岬を誘惑し始めるのだ。
社会派のテーマと、下世話なセックスの融合。ストーリーと関係のないセックス。意味のないセックス。セックスのためだけのセックス。ただただ、セックス。
衝撃的だった。
今までに読んだことないタイプのマンガだった。僕はそれまで、インターネットの人たちが薦めてくれるマンガがすべてだった。
『国民クイズ』(加藤伸吉、杉元伶一)。『富江』(伊藤潤二)。『ルサンチマン』(花沢健吾)。
インターネットにいる、ちょっと年上の、「わかってる」人たちが教えてくれるマンガたち。
国友やすゆきは、それらとはちょっと違っていた。下世話だった。突き抜けて下世話だった。そして、それがたまらなく笑えた。
インターネットで「国友やすゆき」と検索してみる。ほとんど情報は出てこない。僕はその頃、「はてなダイアリー」という日記サービスや「赤兜」というウェブサイトをよく見ていた。そこにはサブカルチャーに対して一家言ある人たちがたくさんいて、僕は彼らの文章を読んで「面白いもの」を教えてもらっていた。
だけど。
自分の視界の外には、こんな衝撃的なマンガがあるということが、すごくショックだった。そして、思った。きっと、この世界には死ぬまで気づかずに過ごしてしまう面白いものがいっぱいあるんだろう。
引きこもりでインターネットばかりやっていた僕が、少しだけ「外の世界」に興味を持った。そのきっかけが、国友やすゆきだった。
それからの僕は、国友やすゆきが気になってしょうがなくなってしまった。国友やすゆきを読みながら生きてきた。
国友やすゆきと、生きてきた。
少しずつ、国友やすゆきについて書いていこうと思う。それで少しでもあなたが国友やすゆきに興味を持ってくれたら、いや、国友やすゆきが生きているこの世界に興味を持ってくれたら、僕は嬉しい。
Tさん、読んでいますか。
【定期】国友やすゆき先生ありがとう、いつも面白い漫画を描いてくれて。
— 菊池良 / Kikuchi Ryo (@kossetsu) 2015, 1月 24