こんにちは、LIGの「生成AIコンサルティング」チームのかけるです。
プロダクトグロースからメタバース、最新AIテクノロジーまで、常に先端を走り続ける梶谷健人さん。
Xでの発信やメディア出演で知られる彼の名前は、テクノロジー界隈では誰もが一度は目にしているはずですが、その素顔はベールに包まれたまま……。
東大卒、グロースハッカー、そして弊社をはじめ複数企業の顧問を務める戦略アドバイザーという肩書。高すぎる情報キャッチアップ能力とその精度。そして経営からテクノロジーまで、さまざまな専門分野を横断する知見の広さも相まって、「本当に実在するの?」という声すら上がるほど。
今回、謎に包まれた”テクノロジー戦略家”の素顔に迫ります。
株式会社POSTS代表 梶谷 健人氏1991年6月30日生まれ。生成AIなどの先端テクノロジーやプロダクト戦略を軸にしたアドバイザーとして10社以上の顧問に従事。株式会社VASILYでのグロース担当や、新規事業立ち上げとグロースを支援するフリーランスを経て、2023年8月まで株式会社MESONの代表としてXR/メタバース領域で事業を展開。著書『生成AI時代を勝ち抜く事業・組織のつくり方』『いちばんやさしいグロースハックの教本』X、note。 |
この記事を書いた人:株式会社LIG 柳 翔(やなぎ かける)生成AIコンサルタントとして、生成AIの社内推進・生成AIコンサルティング事業を担当。以前はメディアディレクターとして、オウンドメディアの記事広告企画を手がけ、クリエイティブな企画からコンバージョン重視の施策まで幅広く担当。 |
梶谷父、昼寝のために独立する
――梶谷さんのプライベートなことはほとんど知らないのですが、まずご出身はどちらなのですか?
▲幼い頃は「ノリで英語を話せていた」という梶谷少年。
出身は神奈川の横須賀です。近くに米軍基地があって、日本だけど海外要素も入ったような環境でずっと育ってきました。近所に住んでいた米軍将校の家族とすごく仲良くさせてもらっていて、アメリカの家庭が週末にするようなバーベキューをよく一緒にしていましたね。
――幼少期から海外が身近な存在だったんですね。その頃、なにか夢とかあったのですか?
小学生の頃から「社長になる」と言っていました。きっかけは、僕がまだ物心ついていないくらいのときに、父がサラリーマンを辞めて測量事務所を開業すると言い出したんです。開業には国家資格を取る必要があったので、1年間無収入で試験勉強をするっていう意思決定もしていました。
――なぜお父様は仕事を辞めてしまったんでしょうか?
もともと営業職だったのですが、生産性を高めるために15分間のパワーナップをしていたら職場に怒られたことがあったそうで。それに納得がいかず、好きなように生きるために独立したということを小学校のときに聞いて、「なんか社長って生き方いいな」って思ったんです。
それから松下幸之助さんや鈴木敏文さんなど経営者の本をよく読んでいました。周りにも言ってたんで、卒アルにも「社長になりそうな人」として書かれていましたね。
――実際に2社の創業社長になられて、まさに有言実行ですね!
「努力」と「怠けない仕組み」で東大合格!
――学生時代はどのように過ごされていたんですか?
お調子者で、努力とは無縁の「毎日を楽しく生きられればいいや」というタイプの学生でした。
――「起業家」のイメージがあるので、なんか意外です!
それが、中学3年生のときに出会った塾長の影響でガラッと変わったんです。
とにかく熱い方で、毎回授業が終わったあとに泣きながら熱い話をするんです。周りからは「吉田松陰」と呼ばれていました。最初は「大人が泣いてるわ」と引いていたんですが、それを数ヶ月続けられるうちに、「なんか努力っていいかも」って思い始めて、めちゃくちゃ勉強するようになったんです。
昼に食べたものも思い出せないくらい勉強して、地元の上位校(横須賀高校)に入ることができました。吉田先生のおかげで、努力することを身に着けられたと思います。
――先生との出会いが大きな転機になったんですね。高校では部活など入られていたんですか?
▲東大を目指すきっかけになった友人は「リョウマ」という名前だったそう。なにかと幕末に縁があった梶谷青年。
文武両道の学校で、テニス部に入って部活三昧の毎日でした。高校2年のときに、仲の良かった友達が急に「俺、東大に行くわ」って言い出したんです。こんなに身近な友達が行くんだったら自分も行けるかもと思い、東大を目指し始めました。ただ、部活ばかりしていたので現役では落ちてしまい、1年頑張って浪人して受かりました。
――東大合格に向けて、浪人時代はどんなふうに勉強されていたんですか?
「自分は怠ける」という自信があったので、怠けない仕組みを作ろうと考えました。浪人1日目にエクセルで「レベル表」を作るところからはじめました。
――レベル表?
勉強時間が増えれば増えるほど、徐々にレベルが上がっていくっていうレベル表です。最初はちょっと勉強したらレベルが上がるんですけど、ゲームと一緒で徐々にレベルが上がりづらくなって。レベル60に到達するまで勉強すれば、誰でも受かるような時間設計にしました。
レベル80を目指して頑張った結果、東大模試でも8位までになり、最終的に合格することができました。それが仕組み化の最初の成功体験かもしれないですね。
――ゲーム感覚で勉強されていたんですね。レベル表、いったいどうやったら思いつくんだろう……。
三度死にかけた、世界での武者修行
――大学に入られてからは?
大学は経営学科に進みましたが、ほぼ行かずに株式会社VASILY(2017年にZOZOグループにバイアウト)でフルタイムで働いていました。
3年生のときにはデジタル広告事業の責任者として、2桁億の資金調達をして、社運をかけたプロジェクトを任せてもらえることになったんです。エンジニアと一緒にシステム設計をして、代理店を回ってパートナー作りをし、メディアの参画もやって、広告主への営業も自分でやって……。だいぶ鍛えさせてもらいましたね。
▼在学中に本まで出版されています。
――すごい。もうぜんぶやってるじゃないですか。卒業後はそのままVASILYに新卒入社されたんですか?
いえ、フリーランスとして独立しました。「大きな結果を残すならアメリカかインドで起業すべき」という考えがあって、トータル9ヶ月くらいの武者修行に行きました。
――インドとアメリカではどんなことを経験されたんですか?
インドではリクルートの紹介で現地スタートアップの手伝いをしていました。まだグロースハックという概念がなかったので、翌週リテンション率を4倍5倍にできたりと、かなり手応えを感じましたね。
アメリカではビジネススクールで3ヶ月間のブートキャンプに参加しました。UberやAirbnbなど当時イケイケのスタートアップのサービスデザイナーが毎日講義に来てくれるんです。学びながら並行して、実際に仕事を受けて無給でコンサルワークをしていました。
――環境的に大変ではなかったですか?
▲インドでは毎日のように停電していたが、慣れたそう。
一番苦労したのはコミュニケーションの面で、インド人の見積もり意識があまりにも日本とは違ったことですね。エンジニアじゃないんですけど、GitHubとか見ながら自分で工数を見積もったりしていました。
――梶谷さんがエンジニア領域に詳しいのは、インドでの経験があったからなんですね! その後世界一周をされていますが、それは旅行目的だったのですか?
実は、インド時代に二度死にかけまして。日本では感じることのない死をリアルに感じて、「やりたいことはぜんぶやろう」と決めたんです。まずは世界一周からはじめて、いつかしようと思っていた起業も、早めることにしました。
――二度死にかけたエピソードが気になります……。
一度目は、トゥクトゥク(三輪タクシー)での移動中に横転事故に遭って、なぜかドライバーに逆上されて轢かれそうになりました。二度目は現地の友人のバイクに同乗したら、高速での危険運転で死にかけました。
ちなみにその後の世界一周中にも、ブラジルのリオで死にかけました。いきなりナイフを5、6本突きつけられて、荷物を持っていかれたんです。
――壮絶な体験をされたんですね……。明るい話も。世界一周ではどこの国がよかったですか?
メキシコです。人が温かくて友達もたくさんできました。ご飯もめちゃくちゃ美味しいし、カンクンの美しい海、光のカーテンが差す地下水のセノーテ、素晴らしいアート……魅力がぜんぶそろった国でした。
梶谷流!情報キャッチアップの秘訣
——AIの分野に興味を持たれたきっかけはなんだったんでしょうか?
きっかけは2つあって、1つはAR/VRの会社を経営しているときに、必然的にAIを使う機会が多かったんです。ちょうどGPT-3が登場して注目していたというのもあります。
2つ目は、会社を辞めて暇になった絶妙なタイミングで、ChatGPTとStable Diffusionがリリースされたんです。ひたすら使い込んでアウトプットを発信していたら、あれよあれよと仕事が舞い込んできて。実務のなかでさらに知識を深めていきました。
——趣味が仕事につながっていったんですね! 最初の依頼はスムーズにこなせましたか?
そうですね、最初はデザイン会社からAI勉強会の依頼をいただきました。
▲「POSTS」の社名には、次世代の「ポスト」な技術を扱えるプロフェッショナル、客観的な視点から最先端技術のアドバイスを「ポスト」する、という2つの意味が込められている。
以前のAR/VRもそうでしたが、新しい技術をキャッチアップするのが得意なんですよ。技術だけでなく、経営やサービス作り、サービスグロースといった僕のバックグラウンドと組み合わせて話せるのが強みだと思います。技術の本質的な理解と、企業が本当に知りたい実務的な情報、両方を提供できているんじゃないでしょうか。
▼梶谷さんの最新著書。生成AIを「ビジネス」に役立てる具体的なノウハウが詰まっています。
——新しい技術やトレンドをキャッチアップするときの工夫があれば教えてほしいです。
まずインプットとアウトプットの両輪が重要で、インプットに関しては、たくさんある情報のなかから自分に合うものを見つけて、それを習慣的に見る仕組み作りまでしています。具体的には、ニュースレターやRSSリーダーで良質な情報だけを集めて、カレンダーの予定をブロックしてインプット時間を確保しています。
アウトプットはすべてXに投稿して、自分の外部ストレージのように使っています。他人にわかるように言葉を整理しながらアウトプットすると、それが脳に刻まれる感覚があるんですよね。僕、記憶力はないほうなのですが、このおかげでいろいろな情報を即座に引き出せるんです。
――たしかに! 梶谷さんってなにを聞いてもすぐに答えが返ってきます。
実際の使い方としては、たとえばデザイン生成系の相談を受けたとき、Xで「デザイン from:kajikent」と検索して、「そういえばこういうの書いてたな」と引っ張り出して、現在の文脈に応用したりしています。
――僕もよく梶谷さんのXを検索しています(笑)! 発信するときに注意していることはありますか?
あくまで「自分用のメモ」として発信することです。変に役立つことを書こうとすると、「これでデザイナーいらなくなる」みたいな煽りになってしまうかもしれないし、自然な発信スタンスが、かえって信頼を得て仕事につながっていると感じますね。
毎朝届く「自作バイブル」で、迷いなき意思決定を
――梶谷さんが大事にしている価値観があれば教えてください。
海外生活で、自分が「無宗教」であることの弱さを感じていたんです。「最後のよりどころ」「意思決定の柱」として宗教を持っている人たちを見て、自分もバイブルを作ろうと思いました。
▲梶谷さんのエピソードが強すぎて、途中から「へー」しか言えなくなっている、LIGのかける。
――バイブルですか? どんな内容が書いてあるんでしょうか?
主に「信念」と「意思決定の軸」を定めて、毎日Slackで通知が来るようにしています。
- 梶谷さん自作バイブル
- ▲毎日Slackに通知が来る
信念(Belief)の例
- 見返りを期待せずに人に施す
- 共にいる人を楽しませ、共に楽しむ人の数を増やす
- 人に嫌われることを恐れない
意思決定の軸(Decision Making)の例- より険しくても、より高い成果が得られる方を選ぶ
- 同じ結果を得られるのであれば、より楽ができる方法を探す
- 迷ったら今の苦労と無縁な10年後の自分だったらどっちを選ぶかを考える
意思決定の軸は10個くらい定めていて、これを毎日刷り込んでおくと、めちゃくちゃ意思決定が早くなるんです。自分の軸がはっきりしているから、どんな状況でもブレずに決断できる。それが一番のメリットですね。
――判断の精度も上がって、迷いもなくなりそうですね! さいごに、梶谷さんが今後挑戦してみたいことを教えてください。
▲もっとも影響を受けたSF作品は『三体』だそう。
小説を書いて、それを映画化するところまで持っていきたいです。
僕のモチベーションの根源は、自分の手で作品を生み出して、世の中に影響を与えたいというところにあるんです。会社経営やサービス作りのような組織ワークでなく、今度は個人の創造性だけで勝負をしてみたくなったんです。
もともと映画が趣味で、「原作者」というルートであれば、映画制作に関われるのではとも思いました。すでに短編は2つ書いていて、次は長編にチャレンジしているところなんです。
――梶谷さんの作品を見られるのが楽しみです! 本日はありがとうございました!
さいごに
テクノロジー戦略家の梶谷健人さんに話を伺いました。取材を通して見えてきたのは、システマチックな思考と純粋なクリエイターとしての情熱を併せ持つ、意外な横顔でした。
取材中も終始温かな笑顔で、一つひとつの質問に丁寧に答えてくれる姿から、その誠実な人柄が伝わってきました。テクノロジーの最前線に立ちながら、人間的な温かみを失わない。そんな梶谷さんの在り方は、AI時代のロールモデルの一つになるのではないでしょうか。
梶谷さん、ありがとうございました!
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