お久しぶりです。外部メディアコンテンツ制作チームのエディター、バズーです。
気づけば7月となりました。令和が始まってはや2ヶ月です。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
私はというと……実は約3ヶ月間の休職を経て、6月末にようやく復職しました。休職の理由は「うつ病」です。休職する前の3ヶ月前の記憶はほとんどありません。
すこし驚かれたかもしれませんが、ご安心ください。現在は、お医者さんや家族、友人、会社の先輩のサポートのおかげでとても元気になりました。
休職中は自分と向き合う時間が多く、日々「なぜ自分がうつ病になってしまったのか」ということを考えていました。ときにはカウンセラーさんの力を借りて、客観的に判断してもらうことも。
客観的な判断は自分が見えていなかったことを教えてくれました。その結果、自分についてわかったことが4つあります。
- 自分についてわかった4つのこと
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- 自分に自信がなさすぎた
- 褒められても嬉しくなれない自分がいた
- 力の抜き方を知らなかった
- 謙遜が良いと思っていた
今回は、どうして自分がうつ病になってしまったのか、客観的な判断をもとに振り返ろうと思います。そして、休んでいた期間に元気になるためにしたこともお伝えしていきます。
この記事が「うつ病」で悩む方にとって、すこしでも役に立てたらうれしいです。
うつ病になった4つの要因
なにをやっても自信がつかない
休職する前の私は、なにをしても自信が持てませんでした。なにかやっても出てくる言葉は「できなかった」などのネガティブな言葉ばかりです。
たとえばこんな感じです。
(目標を達成しても)ここの作業がスムーズじゃなかったからできなかった
(誰かから褒められても)ここの部分はちゃんと動けていなかったからできなかった
(努力しても)こんなことで苦戦しているのか……
どうしてこんなネガティブ思考になっていたのでしょうか。理由を考えてみました。
私は、なにかをするとき「100点じゃないといけない」という、変な脅迫観念がありました。
完璧主義の人の特徴としては下記があるそうです。
- 特徴
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- 物事をはじめるときに慎重になる
- 人に頼ることが苦手
- 俯瞰的に見ることが苦手
- 思考は常に0か100
- 途中で投げ出してしまうことがある
- 失敗をいつまでもくやみ続ける
みなさんは当てはまるところはありましたか? 私はほとんど……いえ、ぜんぶこの特徴にあてはまっていました。この、変に完璧主義な性格があだとなり、なにをやっても永遠と自信が持てない負のスパイラルへと落ちている自分がいたことに気づきました。
いくら褒められても嬉しくなれない自分がいた
誰かに褒められたとき、ふつうの人ならすごく喜ぶと思うし、嬉しくなると思います。私は残念ながらそういう人ではありませんでした。
では、先輩や上司から褒められたらどう感じていたかというと……。
- 「この人本心でいってるのかな?」
- 「できてないから褒めて伸ばそうとしてるのかな?」
- 「モチベーションを上げるためにいってるのかな?」
- 「怪しい」
- 「嬉しくない……」
このように……どんなに人に褒められても、素直に喜ぶことができず、自分を認めることができませんでした。そして驚くことに、休職前の私はこの状態に気付いていなく、自分は褒められて伸びるタイプだと勘違いしていました。
なにをしても自信がもてない私は、人から何を言われても自信が持てないので行き着く先は「……嬉しくないなあ」くらいにしか思わなくなっていました。
「いやいや、自分なんて……」が口癖だった
謙虚であることや、謙遜することってときには大事なスキルだと思います。だけど、いらないスキルでもあると気付きました。前の見出しでは「褒められても嬉しくなれなかった」と書き、褒められたときの心中を書きました。では実際に褒められたときの私の反応はどんな感じでしょうか。
議事録読みやすくなったね。
自分なんてまだまだですよ……
企画案通ったのよかったね。
いえいえ、本当にたまたまです……
バズーやるやん。
同期のあいつのほうが……
バズーのおかげだよ。
あ、あああ、ありがとうございます(引きつった顔)
……かわいくないですよね。
せっかく褒められたのに、自分を否定する言葉しか出てきません。なぜ、こんなに謙虚になっていたのでしょうか。それは、謙虚なことや謙遜することが良いことだと思っていたからです。自分が発した言葉は、たとえ本心でなくてもダイレクトにくるんだなと感じました。
これは友人から教えてもらった話ですが、謙遜や謙虚は、時には自分を否定する行為になり得るらしいです。今回はその典型的な例でした。
力を抜いて仕事をするなんてナンセンス! と思っていた
一つひとつのタスクを変に完璧にやりたかった私。できないながらももがき続け、力の抜き方を知らないまま突っ走っていました。そうすると、どうなるのかは一目瞭然です。
気がつくと武器を持っていない身一つで相手の陣地へと爆走している自分が誕生します。
一種の自殺行為ですね。
そもそもなぜ力を抜くことができなかったのでしょうか? 変に完璧主義な性格のほかにも原因がありました。それは、「力を抜くことが悪だ」と思い込んでいたことです。
なにをするにも自信がない私は、「一生懸命にすればなにかは必ず報われる」とふわふわなことを唱え、なんでも全力でやればいいだろうと考えていました。それが怒られないための手段だとも思っていました。
いまあらためて思い返してみると、これは異常なことだとわかります。小さなタスク含めすべてを全力でしてしまうと、休むことを知らなくなり、力の抜き方がわからなくなり、麻痺していきます。
月並みな表現になりますが、「バランスって大事」。これにつきると思います。
このタスクは3割の力でできるってなったら3割の力でやればいいし、なんなら片目をつぶってやればいい。仕事って意外にも気楽な気持ちでもできるタスクばっかりだと気づきました。
ちょっと休憩
ちょっと重たいですかね……? 上記の4つ以外にもいろいろなことが重なり、休職をすることになりました。いまでは異常だとわかりますが、当時の私はそれに気づけずにいました。
会社にいけなくなってから約1ヶ月間の記憶がなく、休職して1ヶ月後、お医者さんやカウンセラーさんのおかげでようやくなにが起こっていたか理解できるようになりました。