谷山さん、企業の「らしさ」ってなんですか
自分らしさだとか、個性だとかということをあまり強く意識しすぎると、自覚できている小さな自分のなかでしかものを考えなくなってしまって、自分でわかっていない自分が外に出てこなくなる。
─ LIGブログでは5,000万PV達成を目標に掲げ、「LIGらしい」コンテンツとは何かを常に考えています。ただ、この「らしい」「っぽい」というコトバはともすれば曖昧で、多用することで思考の停止を招く危険性もあるのではないかと思っています。このような企業の「らしさ」をしっかりと言語化して全体で共有していくことについて、どのようにお考えになりますか。
それはまさに、わたしの「仕事」ですね(笑)
企業のスローガンを考えるときには、企業の方の話を聞いて、その企業らしさを見つけ出して、言語化していきます。
きっと「LIGらしさ」というものについては、みんながモヤモヤとイメージしている空気のようなものが今でもあると思います。それをコトバにしてあげることによって、ある一つの方向に向かえるようにするわけです。
ただ、一つの方向に向かえるということによって、ひょっとしたらデメリットもあるかもしれません。
たとえば、「LIGらしさはこうだ」と決めることによって、そうじゃないものを「LIGらしくない」と否定することになり、変化が起こりにくくなる危険性も当然あるでしょう。
ただ、大勢の人間が集まっている会社という組織においては、どのように方向性を決め込んだって、そこに当てはまらない曖昧なものは自然に出てきちゃうものですから、仕方がないとも言えます。
たしかに、書籍にも書いたように(上記引用箇所)、個人レベルで「自分はこうだ」と決めてしまうことは弊害のほうが大きいかもしれません。一方で、企業レベルではそういった方向性を決めるということの弊害はより小さくなりますので、一つの手段としては有効でしょう。
でも、やっぱり、なにかシンボル性のあるものをつくるときには、すべてが良くなるというわけではありませんね。80のいいことはあるけれど、20の弊害もあるかもしれない。そういう疑いの目を常に持ちつつやっていかないといけないんじゃないかという気がします。
─ ちなみに「LIG」は「Life is good」がスローガンなのですが。これって……どうですかね??(笑)
どうですかねって(笑)
LIGのことを完全に知っているわけではないので、ちょっとなんとも言えないところはありますね。
ただ、すごく広い意味で肯定的であろうとされている会社なんだなっていうのはわかります。まさに広告屋というのも、批判精神を持ちつつも、広い意味で肯定的であるというのが根本なのかなと思いますので、少なくとも「ええ……」とは思いませんでしたよ(笑)
- 感想
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いま思えば、これもまた「不完全な指標との向き合い方」に通じるものがあるのかもしれません。
企業スローガンというものは100%完璧なものではないけれど、いいものをつくるためには必要な指標でもある。社員としてはその不完全さを受け入れながら、そのなかでいいものをつくろうとする。企業としては、100%完璧ではないと常に自省しながら外れていくものにも目を向け、よりよい指標をつくろうと努力する。そんな関係性が望ましいのかもしれないと感じました。
谷山さん、Web業界におけるコピーライティングの価値を高めるにはどうすればいいですか
─ Web業界においてはコピーライティングの価値が低いとの声も聞こえてきます。たとえば、Webサイトの制作案件にコピーライターというコトバのスペシャリストが介在しないことも多いです。このような状況のなかでコピーライターとしてどのように動いていくべきでしょうか。
あ、そんなに低いんですか?
まあ、最初にWeb業界が台頭してきたときには「Webは完全にコトバのメディアだなあ」って思うところがありました。だから、コピーライターの仕事は増えていくのかなって考えてましたね。
ただ、これまでのメディアだったら、お客さんに目にとめてもらってこっちに連れてくるまでがものすごく大切だったので、コピーライターとしての活躍の場がありました。一方で、Webでは、その部分をシステムでまかなえる部分も大きいかと思うので、コピーライターも大変かもしれませんね。
でも、お客さんを連れてきた「あと」の部分で、滞在しているあいだにちゃんとコンテンツを読ませて、企業のブランディングや買いたいという気持ちにつなげていくためのコピーワークっていうのは、本来はWeb業界においてもっと洗練されていくべきなんじゃないかと思います。
だから、誰か。その部分のコピーワークにおいて画期的なアイデアを示すような人間がWeb業界に現れたら、ずいぶん変わるんじゃないかなという気がしています。ここは明らかに「未開」でしょ。だからこそ、新しい画期的なことをやる人が現れるはずなんですよね。絶対に、その必要があるから。
コピーに糸井重里さんが現れたように、アートに大貫卓也さんが現れたように、CMに佐藤雅彦さんが現れたように。Webにも「こういう書き方があったんだ!」って驚かせてくれる人が出てきてほしいと思います。
従来型のメディアとそんなに変わらない書き方をするのではなくて、もっとWebメディアなりの「おいおい、こんなのありかよ!」っていう新しい書き方で、コピーに革命を起こしてほしいですね。
─ たとえば、SNSで記事を拡散する文言において、いわゆる従来型のコピーライティングをしっかり重視すべきだ。いや、やはり等身大の目線のコトバで書くべきだ。仮に、このような二つの方向性があった場合、どちらが谷山さんのイメージとしてはより近いでしょうか。
うーん、まあ、どっちもアリじゃないですか?(笑)
新しい方法が生まれても古い方法の価値がなくなるってことはないと思うんですよ。やり方のバリエーションが広がるだけなんじゃないかなって。
たとえば、テレビが出てきたときにラジオがなくなるなんて言われたかと思いますが、実際にはなくなっていないですよね。たしかにメインメディアではなくなりましたが、むしろラジオとしての独自性は高まり、志をもった作り手たちもどんどん出てきている。
要は、「古い」と「新しい」って「甘い」と「辛い」みたいなものだと思うんです。どっちにも価値があると思ってるんで。まあ、「古い」が「古臭い」であってはダメでしょうけど。
なんだか、新しいことばっかり気にしすぎだよねって思うときがあります。古くからある方法を使ってもいいじゃんって。なんでそんな革新ばっかりしなきゃいけないわけ?って。もちろん、新しいものを拒絶して昔ながらのやり方じゃなきゃダメなんだってかたくなに拒むのもダメですが。
単純に、やり方のバリエーションが広がっていると考えて、古いものも新しいものも関係なく、いろいろと自由に選択していけばいいじゃんって思いますけどね。
まあ、質問に対する一つの答えとしては、いわゆる「完成形」で書いちゃダメなんだろうなってのは思います。半完成品として出しておいて、それに読者がコメントをつけて、それにまた答えていくなかで完成していくものなんじゃないかなってのは感じました。
半完成品で世の中に問いを投げかけて、世の中の人にどうやってつっこんでもらうかを計算して書くという方法は、従来のコピーの作り方でもあるので、そこはつながっているのかもしれません。
ただ、その「生焼け具合」のようなものが従来よりは強くなったと感じています。昔は、ミディアムかウェルダンくらいだったのが、いまはミディアムレアくらいにしていかないと伝わりにくくなっている。そんな気はちょっとしますね。でもね、ウェルダンにはウェルダンの価値があるよ(笑)
まあ、広告って多神教のような世界ですから。いろいろなやり方があっていいし、それぞれにレベルの高いやりかたもあるわけなので、それぞれがそれぞれのなかでがんばれば「全部アリ」なんじゃないかなって思います。
- 感想
- 実は、インタビューの冒頭で「これまでの仕事で一番大きな挫折はなにか」と聞いたのですが(最初にそんな不躾なことを聞くってどうかしてたんじゃないかと思いますが)、谷山さんは「こんなこと言うと嫌われちゃうかもしれないんですけど、仕事で挫折したことないんですよ」とおっしゃっていました。
そのコトバの衝撃をうまく消化しきれないままインタビューは進むことになったわけですが、最後に「古いも新しいもバリエーションに過ぎない」というコトバを聞き、勝手に腑に落ちました。もしかしたら「挫折も成功もバリエーションに過ぎないのかもしれない」と思ったからです。
そう考えると、挫折で落ち込む必要もないし、そもそも「挫折」っていうコトバに潜む、後ろ向きなイメージ自体も消えてなくなってしまうのかもしれません。