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2015.10.29

PXCフェザー級世界チャンピオン・矢地祐介流 勝ち癖のつけ方【前編】

ケン

こんにちは、LIGMOチーム・編集者のケンです。

前回は、自分で経験してきたことを元に、編集者の職業の話を書かせていただきました。今回は、世界チャンピオンでプロ格闘家の矢地祐介選手に、ビジネスにも役に立つ勝ち癖のつけ方を聞いてきました。

ヤジ 人物紹介:矢地祐介
25歳。職業、プロ格闘家。18歳にして、日本の格闘技「修斗」のプロ格闘家となり、新人王とMVPを獲得。その後第5代ライト級修斗環太平洋チャンピオンを獲得。

現在は海外格闘技団体「PXC(Pacific X-treme Combat)」世界フェザー級チャンピオンである矢地選手。
順風満帆に見える格闘技人生ですが、実はそうではないようです。敗戦を重ね、その度に自分の欠点を克服し、次戦に備え相手を討つ。そのための準備に余念がありません。彼の総合格闘技人生から見える“矢地祐介流”勝ち癖のつけ方を学びます。

格闘技の中で何が最強かって「やっぱ、総合でしょ!」

 
ー今日は矢地選手の格闘技をはじめたきっかけと、矢地選手にとって人生が変わったターニングポイントを聞きたいなと思ってます。

はい。

 
ーではまず、矢地選手の高校時代は?

高校は……そこが格闘技をはじめる転機というか。中学の野球を卒業してから、格闘技をはじめたんで。

 
ーその転機を詳しく聞きたいです。中学校では野球をやってましたよね?

そう。高校でも野球やるつもりで、がっつり甲子園を目指してやってました。高校のスポーツ推薦で入学するって内定してたんですけど、いざ入るってときにそのスポーツ推薦枠が、もう埋まっちゃっていてスポーツ推薦で取れないと言われちゃったんです。そこで、なんか俺の中でも結構野球への熱が冷めちゃて。なんかそこまでお金出してまで、野球をやらなくてもいいかなって。それを理由に「僕、野球やめます」って感じでやめて。そこで、昔からの憧れの格闘技やっちゃおうかな、みたいな(笑)

というのも、仲のいい友達がすでに格闘技をやってたんですよ。「KRAZY BEE」とは違うジムで。それで友達からいろいろ格闘技の話を聞いて『いいなぁ〜』って思ってはじめたんです。

 
ー友達が格闘技をはじめたっていう単純な理由から?

そう。昔から格闘技が好きだったっていうのもあるし、友達から「面白いよ」とか、やってみたらどうのこうの〜っていうのを聞いてなおさら『いいな〜』って。それではじめた感じですね。

もちろん、芯にはひとつあるんですけど、本当に格闘技が好きだったし、それこそ話をもっと遡ると中学校に入学するときに、空手や柔道をやろうかな、なんて思ってたくらいなので。友達の話を聞いてなおさら『俺もやりたいな』って。どんどん格闘技をやりたい気持ちが強くなっていって、格闘技をはじめました。

 
ーでも未成年だから、親の許可が必要でしたよね? そのあたりはどうでしたか?

うちの親って結構「やりたいことをやれよ」ってタイプで。でも「自分で責任は取れよ」と。「失敗したら自分のケツは自分で拭けよ」って何でもやらせてくれてたんですけど、野球を辞めて格闘技をやるときは、母親が「あんたここまで一生懸命やって、お金もかけてきたし、ここでやめちゃうの?」って。
「本当に格闘技をやるの!?」と反対はされていたんですけど、もう俺の意思が固いから『もう絶対やる』って言って、勝手に自分で見学行って。『ジム見学行ってきたよ。ここのジムはここがよくて〜』って全部話をしました。そうしたら、親父が「そこまで言うならやれよ。将来、格闘技がダメで路頭に迷っても、俺たちは何もしないよ。自分で責任取りなさい。それでよければ、やりなさい」と。で、『わかった』って言って、はじめたんです。

 
ーでは、格闘技をはじめるときに数あるジムの中で、「KRAZY BEE」(当時はKILLER BEE)を選んだのはなぜですか?

そこは、本当に適当なんですけど(笑)でも格闘技をやるなら総合格闘技だなって。

格闘技の中で、なにが最強なんだ?って考えたら、魔裟斗よりも(エメリヤ・エンコ)ヒョードルだな、みたいな、何でもありの総合格闘技ほうが強いだろうなと。格闘技をやるなら1番強くなりたいので、総合格闘技のジムを探しました。

「総合格闘技 ジム」で検索したら、一番はじめに「KILLER BEE」(現KRAZY BEE)が出てきたんですよ。総合格闘技では、ノリさん(山本KID徳郁の愛称)もTVにバンバン出ているときだったので、「あ、こんな有名な人がいるんだ、とりあえず行ってみよう」って思って、他のジムを調べずに「KILLER BEE」に決めました。

 
ー総合格闘技のジムは、「KILLER BEE」しか見てなかったんですか?

そう。ここしか見てない。ネットでバーっと調べてたら、一番最初に出てきて『あ、ここ!』『じゃあここ行ってみよう』『あ、いいじゃん』って入りました。で、来てみたらノリさんがいて、朴(光哲)さんがいるし「あ! あのテレビに出ている人だ」って。「ここすごいじゃん!」みたいな。

同じ相手に2回負けるか3連敗で、即引退……どん底からの再起

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ー無事に入会できて、総合格闘技をはじめていつぐらいから試合に出るようになったんですか?

ジムに入って半年〜1年ぐらいで柔術の試合はもう出ていた記憶はあります。総合格闘技の試合は年齢制限があるんですよ。18歳以上だったかな。

 
ールールで、18歳までは試合に出れないんですね。

そうです。試合に出られないから、最初の2年ぐらいはずっと柔術だけですね。で、18歳になったときに初めて総合格闘技の試合にでました。格闘技をはじめて2〜3年で試合に出るようになりましたね。

 
ー柔術は片岡さんや小野瀬さんなど柔術クラスの先生から技術を教えてもらっていたようですが、総合はどのように練習してましたか?

総合も、なんとなく総合のクラスに出ていました。はじめてジムに行ってクラスに参加したときは、寝技クラスだったと思います。最初に知っている人たちで打ち込みの練習(技の反復練習)をやっていて、俺はその間に腕ひしぎ十字固めと三角締めを教えてもらって。で、「はい、じゃあスパーリングやろう」みたいになって。おれ、十字と三角しか教わってないんですよ(笑)? 

まわりは1年〜2年ぐらい格闘技をやっている人もいるし、体デカイやつもいるし。「はい、スパーやろう」ってポーンと入れられて、ボコボコにされて……(笑)練習で何度もやられて、悔しくて……その悔しさをバネに技や体の使い方をどんどん覚えていく感じですね。

 
ー矢地選手は、昔から負けず嫌いですか?

もちろん負けず嫌いです。負けず嫌いなのは、幼稚園〜小学校〜中学校ずっとです。めちゃめちゃ負けず嫌いでしたね。

 
ー練習で負けると家に帰っても「くそー!」ってなるんじゃないですか?

なる。帰りの電車でも悔しくて、「絶対明日やり返してやる」って。

 
ー家に帰って、負けないように格闘技の勉強をしていたりとかありますか? 例えば格闘技の本を読んでいたとか。

そういうのはなかったですね。とりあえず毎日毎日練習に出ていたんですよ。学校もあったので、朝学校に行って、帰ってジム行って。ジムが休みのとき以外、毎日月〜金まで週7日でジムに通ってました。

当時のジムは、クラスの運営がうまく回ってなくて。よくも悪くもプロとアマチュアの壁がありすぎて、プロの人に話しかけれないくらいでした。話かけられないし、目も合わせられないような雰囲気だったんです。当時プロもたくさんいたし、怖い人ばかりでした。だから逆にアマチュアはアマチュアですごく団結力があったんですよ。

アマチュアの選手の中でも、キックボクシングをやっていた人、ボクシングをやっていた人、レスリングをやっていた人もたくさんいたから、アマチュア同士で集まって教えてもらったりしながら、だんだん上手くなっていったって感じですね。

だから、アマチュア同士の試合で技術を身につけて、スパーリングに出てましたね。アマチュア同士で団結して強くなっていった感じ。

 
ー18歳で初めて総合格闘技の大会に出て、どういう経緯でプロになったんですか?

最初に出た試合は、ワンマッチ(注1)でした。大宮フリーファイトっていう名前の大会。そういうのに2回ぐらい出たのかな。2回出て、2回とも勝って。その次の年かな。ワンマッチを出た次の年にアマチュアのフレッシュマントーナメント(注2)という、戦績が2勝未満のアマチュアが出場できるトーナメントがあるんです。その大会に出て。さらにその次の年に別のトーナメントに出たんです。当時は、アマチュア修斗が全盛期のときだから大変でした。

(注1)トーナメントではない1戦のみの試合のこと

(注2)アマチュア修斗公式戦 5戦2勝以下の戦績を持つ選手による階級別トーナメント