社会人6年目。上司に言われて、今でも覚えている言葉たち

社会人6年目。上司に言われて、今でも覚えている言葉たち

Go Yoshiwara

Go Yoshiwara

大学4年生のときに、LIGの社長(当時)であった吉原ゴウに弟子入りし、翌年に新卒入社して今年6年目を迎える野田クラクションべべー氏。The Saunaを立ち上げ、現在、LAMP野尻湖の支配人として辣腕を振るう氏の言葉は、最近重みを帯びてきた。

彼が自身のキャリアを積み重ねる中で複数の上司から受けた薫陶を、本記事では紐解いこうと思う。

 

こんにちは、LIGの会長のゴウです。

今回は俺がインタビュアーとして、社会人6年目を迎える野田クラクションベベーに「これまでの上司から言われた言葉で、なんか心に残ってる言葉を教えてもらう」という企画です。

果たして、俺が長年にわたり伝えてきた言葉たちは、彼の心に今でも響いているのでしょうか。確かめてみましょう。

 

野田クラクションベベーと、LIG社長の大山さん。

大山さんはインタビューを途中まで聞いていたのですが、寝てしまいました。まぁ特に関係ないのでこのまま寝かせてあげましょう。

交通費を払いたくなる人間になれ

野田クラクションベベー(以下べべ):最初に弟子入りという形で関わらせてもらったときの話なんですが、僕は下北沢の実家から上野にあるLIGまで通っていて、交通費が往復で毎日1000円以上かかっていたんですよ。入って1ヶ月くらいでゴウさんに「あの……交通費とかって出ないですかね?」って恐る恐る聞いてみたんですね。そしたら、「お前は大学に学びに行っていると思うんだけど、大学では交通費ってのはもらえるものなのか?」と聞かれたのを今でも覚えてますね。

 

ゴウ:あー、言ったかも(笑)。何にもできなくて学びに来てるくせに、交通費の話されたからイラッとしたの覚えてるわ。

 

べべ:で、そのときに「どうすれば俺が交通費を払いたくなるかを考えろ!」って言われました。それで結構ハッとして、どういう働きをしたら交通費を出してもらえるのかを考えるようになりました。そもそも交通費だけじゃなくて、給料ももらっていなかったのですが、まずは交通費を払ってでも来て欲しいと思える人間にならないと、と。

 

ゴウ:良いこと言ってんな俺。

 

べべ:さらにゴウさんに「与えられた環境でどう稼ぐかを考えろ!」って言われたんですよね。そこで僕は当時LIGのオフィスに40人くらいですかね、人がいたんですけど、その中で僕のことを面白がってくれる人のところを回って、「喉乾いてませんか? コンビニ行ってきましょうか?」って話しかけて。そうすると大体、コーヒー買ってきてとかで500円とか1000円をくれるんですよ。それでお釣りを渡すときに「あ、これ……おつりです」って少し伺うような感じで聞くと、大抵「いいよ、やるよ」ってなるんですよ。そうやって、毎日交通費を稼いでました。与えられた環境でいかにお金を稼ぐか。周りをよく見て、どんなニーズがあるのかを考えて、実行する力を養えたかなと思っています。

なんとかする力を、身につけろ

べべ:弟子時代に、ゴウさんとアメリカ大陸を横断するっていう企画をやったときのことなんですけど。NYについて3日間、野宿をさせられて。ちょっとさすがにそのときは無茶振りが過ぎると思って、嫌な気持ちになったんですけど。

 

ゴウ:確かにあのとき、お前すげー嫌そうな顔してたよな。

 

べべ:そりゃなりますよ。NYですからね。でもそのときに「お前はNYの人たちを怖いと思うかもしれないけど、向こうだってお前のことが怖いんだ。だから大丈夫だ」って言われて。今考えると意味がわからないんですけど、当時はそれなりに納得しちゃって。

で、そこから30日間とかですかね、NYからサンフランシスコまでの横断する間はずっと野宿させられて。でも、最初はすげえ怖かったし、どうしたら良いのかわからなかったんですけど、途中から僕も慣れてきちゃって。新しい街に着くと、ここのベンチが寝やすそう、とか、ここは危なそうとか、そういうのがわかるようになってくるんですよね。

その旅を通じでゴウさんにずっと言われてたのが、寝床だけの話じゃないですけど「なんとかする力」が必要だぞ、と。旅をしていると色々なトラブルが起きるわけなんですけど、このなんとかする力を身につけておくと、なんとかなるんだよ、と。これは今でもビジネスをする上でもすごく意識している考え方になっていますね。

 


▲大学4年生 NYにて

助けてくれる人はいる

べべ:アメリカ横断から帰ってきて、じゃあ次にLIGで何をやるかってなったときに、当時ゴウさんがタイからTシャツ仕入れててそれを売るぞってなって。それをどうやって売るかを考えろって言われたんですよ。

でも当然Tシャツをどうやって売るのかなんてわからないですし、困ってたんですね。そのときに、当時の上司から「LIGにはどれくらいのクライアントがいると思う? 担当しているディレクターに相談したら紹介してくれるんじゃない?」って言われて。確かにその通りだなと。僕一人だと声をかけられる人は限られているけれど、LIGとして考えたら僕の活動を助けてくれる人はもっともっとたくさんいるじゃないかと気づきました。

 

ゴウ:周りを見て、適切に助けを求めるって大事だよな。

 

べべ:そうなんです。そこで声をかけられるであろう企業のリストを作って、一つひとつ営業していって、当時仕入れた数百枚のTシャツを全部売り切りました。このとき、ようやく自分としても何かものを売って、お金をいただく、というビジネスの基本を経験できました。

 


▲Tシャツ販売イベントにて

YES NOで答えられるまで考えろ

べべ:最初の頃からよくゴウさんに、「俺がYESかNOで答えられるような聞き方をしろ!」って言われ続けてたのも今でも覚えてますし、実践してますね。最初の頃は無意識にオープンクエスチョンをしてしまっていて。でもそれって自分で全然物事を考えられていない証拠だなって気付かされました。そこから、上司に何かを相談するときは、その上司がYESかNOで答えられるようになるまで自分でしっかり考えてから相談するようにしています。

 

ゴウ:相談するのはいいんだけど、全部考えてください、答えください、ってのは俺は嫌いだからな。自分で考えろよって思っちゃう。

 

べべ:なので僕も今は自分の部下に、そうやって言ってます。ゴウさんよりは優しく言ってますけど。

結局、行動することが大事

べべ:弟子を1年やって、翌年から新卒で入社したんですけど、4/1にゴウさんから言われたのは「この軽自動車に乗って日本を回ってこい。1年間帰ってくるな。LIGがある台東区と、お前の実家がある世田谷区は出入り禁止な。」でした。

 

ゴウ:今のLIGだと、管理部門からめちゃくちゃ怒られそうなこと言ってるな俺。

 

べべ:ほんとですよ。で、そのときのミッションが「1個15000円するベースエッグって言うポータブルスピーカーを売れ」だったんですけど。本当にそれしか指示がなくて。どうやって売るのか、誰に売るのか、そもそも軽自動車に乗ってどこにいけばいいのかも含めて、全部自分で決めろって言われて。その上、相談しようにも台東区が出入り禁止ってなって。

 

ゴウ:ウケるなw

 

べべ:なので、弟子のときに学んだ、どうやったらお金を生み出せるのか、助けてくれる人は誰なのか、相手がYESと言えるような提案はなんなのかを必死で考えて。あとはとにかく行動しました。毎日毎日、車中泊をしながら、SNSで情報発信をして旅を続けました。

幸い、みんな面白がってくれて、どんどん人を紹介してもらえて。地方に行くと、本当にみなさん優しく迎え入れてくれて。ご飯もご馳走になるんですけど、ご馳走になった後に「すいません……このスピーカーなんですけど……」って切り出して売るんですよ。そんな生活を1年続けて、トータルで1300個売ったんですけど、そのときに、考える力を身につけたら、もうあとは毎日行動するだけだなってことを学びました。圧倒的な行動量の積み重ねが、成長や結果に繋がるんだなって。おかげさまで、車の運転と、車中泊の技術がめちゃくちゃ上がりました。

 


▲行動し続けた1年間

やりたいことをやる

べべ:2年目からLIGへの出社が許されたんですけど、ゴウさんからの次の指令は「ラッパー」でした。ラップやれ、と。ラップ、やったことないし、やりたいことじゃなかったんですけど、僕は根が真面目なので、一生懸命やりました。たくさん曲を作って、フェスとかにも出させてもらって。でも、その中でやればやるほど、「本当にこれがやりたいことなのか?」って悩むんです。だって周りを見ると、ものすごくハングリーな気持ちでラップをやってる人たちがたくさんいて。自分はサラリーマンで給料をもらいながら仕事としてラップをやってるんです。そこにすごい違和感を感じて。

 

ゴウ:でも、めちゃ頑張ってたけどな。曲も良かったし。

 

べべ:で、悩みに悩んで、「ラップやめたいです」って伝えて。じゃあ、何か他にやりたいことがあるのかと言われると何もなかったんですけど、ラップをこのまま続けるのは違うなと。そのときに感じたのは、やっぱり仕事はやりたいことをやらないとだめだって思ったんです。でも、やりたいことなんてないし、自分は全然半人前だから、もちろん上司に言われた仕事をやるんですけど、僕はラップでは稼げないなと。それだと会社にも迷惑かけちゃうし。なので、何か違う仕事をやらせてくださいってなりました。

 


▲悩んだラッパー時代

立ち止まって考えろ

べべ:ラップをやめた後はLIGのメディア事業部で、ブログを書いたり動画作ったりしてたんですけど、そのときに同僚から「べべくんって、本当に動画やりたいの?」って聞かれたことがあったんです。僕は仕事でやってる動画制作だし、それが嫌いな訳でもないから、そう聞かれても「本当にやりたいです」って答えるしかなくて。

そんなときに別の上司から「一回ゆっくり立ち止まって自分が本当にやりたい事を考えてごらん」って言われたんです。当時の自分は、与えられた仕事をとにかくがむしゃらにこなす、やりきるって言うことしか考えていなくて。多分それを見透かされたんだと思うんですけど、そんなアドバイスをいただいて。そのときに色々考えて、まだやりたいことは見当たらないけど、少なくとも今やっていることは自分が心の底から納得してやりたいと思っていることではないな、と思ったんです。

 

ゴウ:やりたくねーことやっても辛いもんな!

 

べべ:与えられた仕事を全力でやるのは当然ですけど、本当にやりたいことは何なのかをちゃんと考えるのも大事だなってことを学びました。

やりきる

べべ:その後、ある人から「べべくんはサウナの話しているとき、すごい熱量だよね」って言われて、確かに自分はサウナに入るためなら遠くまで出かけるし、人にサウナの良さを話すときは力入ってるなと思って。そこからサウナ事業の構想に繋がるんですけど、それまでの数年間で学んだことを総動員して考えました。

一回立ち止まって本当にやりたいのかどうかを考え、どうすればお金が稼げるかも考えて、周りで助けてくれる人のことも想定し、YESかNOで答えられる提案をしよう、と。そしてゴウさんにサウナ事業やらせてください! と言う提案をしにいくんですが、いきなりそれを言っても判断できないと思ったので、「一緒にフィンランドに行きましょう!」と言いました。

 

ゴウ:それだとYESって答えるわなw

 

べべ:それでサウナの良さを体感してもらって、まずは会社の中でゴウさんに味方になってもらって、そこからはとにかく一人で考えて行動して、やり切りました。ここで学んだことは、まずは自分がしっかり腹落ちするまで納得すること。納得するまで考えきること。あとは本気でやりきること。自分がやりきれば、周囲の人たちも本気だと気が付くんですよね。

そうすることで徐々に応援してくれる人が増えてくる。今は、たくさんの人がThe Saunaに共感してくれて、一緒に働いてくれていますけど、最初は僕一人の情熱だけでした。その情熱を伝播させるためにも、「やりきる」ということが何よりも重要なんだと思っています。

 


▲The Sauna建築中の一コマ 

自分のお金は気にするのに、会社のお金を気にしない奴が多い

べべ:そこから3年ですかね、The Saunaを運営させてもらって、今では支配人としてやらせてもらっているんですけど、経営をする中で社長の大山さんに言われてすごく響いた言葉があって。それは「世の中の人は、自分のお金のことはすごく気にするのに、会社のお金になると急に気にしなくなる。それだと経営は甘くなるし、どこまでいっても会社のお金を自分ごとにできないやつに経営はできないよ」と。

 

ゴウ:ほんといいこと言う。

 

べべ:この数年間は大山さんからしっかりと数字について学ばせてもらってますね。自分も昔に比べたら本当に細かい数字が見えるようになってきて、数字が読み解けるようになると、そこに経営課題が見えてきたり、その解決方法が思い浮かんだりするのが面白くて。周りからするとすごく細かいやつって思われてるかもしれないんですけど、その細かいところにこだわらないと、やっぱりビジネスはやりきれないと思ってて。

何事もバランスが大事ですが、数字から見える側面もとても大切なんだなと感じています。こんなの、日本一周してたときとかラッパーしてたときだととても理解できなかった考え方でしょうね。

 

ゴウ:大山さんのいい話してるのに、ずっと寝てるな……。

 

 

べべ:いいんですよ。大山さんが安心してくれるように、これからも仕事頑張ります。上司を不安にさせたら、部下の負けだと思ってるんで、僕。

 

 

ゴウ:いいこと、言うなぁ。

 

 

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1982年生まれ。信濃中学校卒業。フリーターとして23歳まで様々な職業に従事し数々のスキルを身につける。ウェブデザイナーとして活躍したのち、25歳で起業し代表取締役に就任(会長を経て2022年に退任)。自然あふれる場所で生まれ、アウトドアスポーツをして育ったが故にITの道を志したが、近年、再びアウトドアな環境、遊び、生き方を模索して長野県に移住。わくわくするものをつくり続けていたい。

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