こんにちは、LIGのころもです。
前回の記事では、メディアであまり紹介されていない母島の魅力にスポットを当てました。後編では、2020年に発足した新プロジェクト「母島部活堂」についてご紹介していきます。
これは東京宝島事業の取り組みの一つとして行われている母島独自の取り組みで、前編に登場したジャイアンさんとゼッキーさんが中心となって活動しているそうです。果たしてどんな取り組みなのでしょうか? 前編に引き続き、お二人にお話を伺っていきましょう!
- ジャイアンさん<宮城雅司さん>(左)
仙台市出身。観光で訪れた小笠原の自然と人に魅せられ、21歳のときに母島のユースホステルに勤務。一度父島に移住し、その後理想的な暮らしを求めて母島に居を構える。現在は、“島の便利屋”をしながら東京宝島事業の地域コーディネーターとしても活躍中。宝島プロジェクト「母島部活堂」メンバー。ゼッキーさん<小関耕紀さん>(右)
仙台市出身。2015年に母島での介護職募集に申し込んだことをきっかけに千葉県から移住。2017年からは観光ガイドに転身し、内地から訪れる人々に母島の歴史や地形の成り立ち、自然の素晴らしさなどを伝えている。宝島プロジェクト「母島部活堂」メンバー。母島部活堂公式サイト
https://hahajimabukatsudo.jimdofree.com/
目次
島の未来に願いを託して。積極的な対話をめざすプロジェクトの今とこれから
波乱の幕開け!?東京宝島事業のはじまり
ころも:「母島部活堂」のWebサイトにも書かれていますが、当初は東京宝島事業そのものに懐疑的だったそうですね。
ゼッキー:もともと母島は、人材不足や住居不足など将来的な課題を多く抱えています。それが少しでも改善できるならと思って話を受けたのですが、詳しく聞いてみるとかなり観光特化型の事業で、想定する観光客のペルソナも「文化的富裕層」と決められていたんです。
ジャイアン:島の風景や星空、農作物の魅力で富裕層をとり込む観光向けのブランディング事業。僕らはそんなことを望んでいなかったから、「その条件を撤回しなければ事業はボイコットする」とつっぱねました。
ころも:ひええ、一気に険悪なムードに!
ジャイアン:それで改めてゼロスタートする運びになり、東京都の職員と話をしたときに、同席した二十歳の島っ子が「そもそもなぜこの事業を始めたんですか?」と質問したんです。すると「東京の島の将来に対する危機感からです」と……。
ころも:あれ? 目的は同じじゃないですか!
ゼッキー:実は、僕らも東京都も島の未来を考えていた。そこでやっとわかり合えて、ゼロから再スタートを切ることになったんです。
ジャイアン:遠回りはしたけれど、一度衝突がありながらも、話し合うことで修正できたということは意味のあるプロセスだったと僕は思っています。
何でも話せるガジュ下のような場所を!母島部活堂に込めた思い
ころも:東京宝島事業が始まり、そこから「母島部活堂」が誕生するにはどんな経緯があったのですか?
ゼッキー:事業の一環で、島のことを相談できるエキスパートを紹介してくれるという話があったので、まずは島の課題をみんなで話し合える場所を作ろうと思ったのが始まりでした。
ジャイアン:母島の前浜には大きなガジュマルの木があって、その下には自然といろいろな人が集まってきます。そんな“ガジュ下”のような感覚で、気軽に島のことを語れる場所が欲しくて母島部活堂を立ち上げました。カタい会議ではなく、誰でも自由に参加できる“部活”のような雰囲気にしたくてつけた名前です。
ころも:たしかに、放課後の部室ってダラダラと何でも話せちゃう雰囲気ですよね! ところで部活堂の「堂」にはどんな意味が?
ジャイアン:これは、部活堂を始めるきっかけとなったエキスパートのひとり、泉一也さんの会社「場活堂」から。泉さんとは2019年に参加したスタディツアーで直接お会いして、話し合いの場を活性化させる“場活”のテクニックや哲学を教えていただいたのですが、まさに「島に必要なのはコレだ!」という内容で非常に刺激を受けたんです。泉さんはお寺のお堂のように人々が寄り集まる場づくりを目指して「堂」にしたそうなので、そこにあやかっています。
ゼッキー:積極的に何でも言いあえる場を作っておけば、島の課題にも魅力にも気づくことができる。みんなに共通意識を持ってもらうことが部活堂の狙いでもありました。
コロナ禍を乗り越えてオンラインでつながった人々&島々
ころも:母島部活動では島民の方々とどんな話をしているのですか?
ジャイアン:それが、2020年に発足してまもなくコロナ禍になって、ガジュ下のようにリアルでの対話が難しくなってしまったんです。
ころも:じゃあ、対話は主にオンラインで?
ジャイアン:島民の多くはオンラインが苦手で、参加者は僕とゼッキーとあと数人ということがほとんど。それでも、話し合いの中で企画されたイベントが実現したこともあります。2020年の夏には、島遊びを子どもたちに伝える「島っ子タコ捕り大作戦」で盛り上がりましたよ。
ゼッキー:東京宝島事業を通して、母島と同規模の離島とオンラインでつながる機会も増えています。最近は香川県の豊島(てしま)の方や北海道の天売島(てうりとう)の方と話をして情報交換&交流をしました。
ころも:なかなか行けない地域の方と繋がれるのはオンラインならではのメリットですね。
ジャイアン:豊島では、「瀬戸内国際芸術祭」という観光イベントを行ったことで移住希望者が増え、それが次世代の人材に繋がったそうです。観光と地域づくりを同時進行できることに驚いたし、可能性を感じましたね。東京宝島会議で話をうかがった鹿児島県の甑島(こしきじま)では、多くの事業を展開してきた山下賢太さんの話を聞きました。島民と対話をしながら販路を広げ、反対されても時間をかけて何度も説得したそうで、すごく勇気をもらえたなあ。
ゼッキー:それをすぐに母島に活かすことはできませんが、こうした活動で自分たちの島を客観的に見る機会を得られたことはよかったと思います。
1対1の対話、コロナ後は訪島も……母島部活堂は次なるステージへ!
ころも:コロナの影響はまだ続きそうですが、今後はどのような活動をしていくのでしょうか?
ジャイアン:部活堂としては “場活”に力を入れて、学校や職場といった日常生活でも建設的に話せる場を作っていきたいですね。そして僕個人では、島民と1対1で対話していこうと思っています。直接会って取材して、相手のストーリーを聞きながら、その人が思う島の課題を拾い上げていこうかなって。
ころも:ええっ! 島民一人ずつと1対1はなかなか大変なのでは?
ジャイアン:全員は難しいですが、できる限りご縁のある島民にはお願いしていこうと思っています。と言っても、これは単年じゃなく20年スパンで僕が考えている目標。宝島事業の取り組みのひとつとして、八丈島に暮らす人を取材してInstagramで紹介する「七色八丈図鑑」というプロジェクトがあるのですが、それがすごくよかったので、いつか母島版を作ってみたいんですよね。
ころも:たしかに素敵な企画ですね。これなら密にならないし、1対1だからこそ話せることもありそうです。
ジャイアン:あともうひとつ、いつかコロナが収束したら東京宝島事業でつながったすべての島へ行ってみたい。コロナ禍で苦しい中、オンラインでいろいろな思いをぶつけあった相手と、今度は直接会って飲み交わしたいです。
ゼッキー:部活堂はさんざんコロナに邪魔をされてきたけれど、これほど邪魔が入るということは乗り越えるべき試練であって、部活堂はきっと“やるべきこと”なんだと思うんですよね。
ジャイアン:そう、ピンチはチャンス。乗り越えればきっと新しいスキルを得られると思うから、これからも試行錯誤しながらやっていこうと思います。
母島部活堂:イベント編~子どもたちに残したい島遊び「タコ捕り」~
母島部活堂のイベントとして開催された「島っ子タコ捕り大作戦」の提案者は、母島で飲食店を営むミッチーさん。そのはじまりと当日の様子、故郷・母島に生きる子どもたちへの思いまでを語っていただきました!
- ミッチーさん<折田充広さん>
母島の人気食堂「お食事処めぐろ」のマスター兼シェフ。母島で生まれ育ち、内地の料理学校を卒業後、10年間の料理人経験を経て再び母島へ。2016年に開設したYouTubeチャンネル「ミッチーの母島観光&料理教室」では、母島の農作物や海産物を使ったレシピ動画などを配信中。
厳しい条件も全員クリア!昔ながらの遊びに挑む次世代の島っ子たち
ころも:母島部活堂のお話に出てきた「島っ子タコ捕り大作戦」を提案したのはミッチーさんだそうですね。
ミッチー:「部活堂でやりたいこと」をジャイアンに聞かれて、自分が子どもの頃に親しんだタコ捕りを提案しました。岩場の水たまりに入り込んだアナダコを捕まえる遊びです。今は子どもだけで磯に行くことは禁止されているので、じゃあ大人が同行してやってみようと。
ころも:禁止されているということは、それだけ磯は危ないということですか?
ミッチー:そうです。だから「フィンなし、着衣で1キロを余裕で泳げる子じゃないと連れて行けないよ」と前提条件を出しました。
ころも:大人でもかなり厳しい条件では……。
ミッチー:それが、希望者7人、全員が泳げるという(笑)。さすが島っ子ですよね。
島っ子のDNAが覚醒……はじめての島遊びで大量のタコをGET!
ころも:当日の子どもたちの様子はいかがでしたか?
ミッチー:僕らは子どもたちを預かる立場だったので、泳げるとは聞いていても不安でしたが、子どもたちはすごく楽しんでくれていましたね。ちょっと教えただけでどんどん捕まえていましたよ。
ころも:実際、アナダコ捕りは大人でも難しいそうですね。
ミッチー:岩場を歩いてもなかなか見つけられないことが多いんです。だから、ダメなら普段は行けない磯で遊ぶだけでも十分楽しめるだろうって思っていたら、とんでもない。大人よりも上手に見つけて、最終的には11杯のタコが捕れました。
ころも:YouTubeの映像では、高い岩から海へ飛び込むたくましい姿も見られました。
ミッチー:本当はもっと高いところから飛びたかったようです。さすがに危険なのでやめてもらいましたが(笑)。僕らも子どもの頃は10m位の岩場から飛びこんでいたので気持ちはよくわかります。
ころも:10m! もはや飛びこみ台ですね。捕れたタコは食べたのですか?
ミッチー:僕のYouTubeチャンネルにアナダコの調理動画をたくさん上げているので、それを参考に各自で調理してもらいました。おすすめはやっぱり生。ぬめりだけ取ってブツ切りにして、島唐辛子を漬け込んだしょうゆで食べたら最高です!
ここでしかできない遊びを通して伝えたい母島の魅力
ころも:タコ捕りの他にも、島っ子たちと一緒に体験したい島遊びはありますか?
ミッチー:竹で作る竿を使った釣りとか、泳ぎながら糸を垂らす「泳ぎ釣り」をやってみたいですね。店の営業もあるので時間が取れないこともありますが、今後も部活堂には全面的に協力していきたいと思っています。
ころも:こうした遊びを通して、ミッチーさんが次世代の島っ子に伝えていきたいことは?
ミッチー:うーん、たとえば島の遊びを知らず、スマホゲームに夢中になったまま大人になると、結局「内地のほうがいいよね」となって島を出てしまう。でも、母島の自然の中でしかできない遊びを知って、楽しかった記憶が残っていれば、島を出ても帰ってくる子が増えるんじゃないかな。誇れるような島の魅力を、これからも伝えていけたらいいですね。
ころも:母島の将来を担う子どもたちが増えればいいですね! YouTubeチャンネルの動画も楽しみにしています!
ミッチー:ありがとうございます! まだ個人のチャンネルですが、いずれは島のガイドさんや島民とコラボをして、観光に貢献できるような動画も作ってみたいです。
内地からの移住者が見た母島の暮らしと母島部活堂
「母島部活堂」の誕生によって変わろうとしている母島の暮らし。移住者の目には一体どのように映っているのでしょうか?
島へ来て間もないフレッシュな島民・山岸李花子さんからコメントをいただきました!
- リカコさん<山岸李花子さん>
東京都・三鷹市から1年前に転職を機に移住してきたばかりの島民1年生。海外留学経験で培われたグローバルな視点で母島の未来を見守っている。
ころも:李花子さんが母島へ来て一番驚いたことはなんですか?
リカコ:まず驚いたのは島の人たちですね。すれ違うと笑顔で挨拶をしてくれます。相手が知り合いでも知らない人でも、もちろん観光の方でもします。それまで自分が住んでいたのと同じ「東京」とは思えなくて、新鮮でした。
ころも:旅先で挨拶してもらえたら嬉しいですね! 島というと勝手に閉鎖的なイメージを持っていました……。
リカコ:ぜんぜん、来る者拒まずといった感じです。それに、みんな本当に“粒”が大きいんですよ。
ころも:え、“粒”ですか? 粒が大きいとは?
リカコ:特に母島にはいろいろな背景を持つ人が暮らしているような気がします。世界中を回って流れ着いた人や、定年まで内地で働いて老後を過ごしにきた人……ひと粒ひと粒が多彩で、大物なんですよね。
ころも:そんな人たちと一緒に母島で暮らして、ご自身にも変化はありましたか?
リカコ:私はそれまで、普通に学校を出て、仕事をして、結婚をするのが幸せだと考えていました。でも、島へ来てからは、それがすべて与えられたもので、自分が考えた結果ではないことに気付いたんです。ここでは、自分が何を好きで何をしたいかに従って毎日が過ぎていきます。同じ1日はありません。朝日も夕日も、その日によって違うんですよ。
ころも:ぐっ……心に刺さる言葉です。李花子さんは母島部活堂にも参加したことがあるそうですが、その取り組みについてはどのように思われていますか?
リカコ:昔からガジュマルの木の下は島に欠かせない憩いの場だといいます。コロナ禍でなかなか人と人とが集いにくくなってしまっている今。だからこそガジュ下のように、島を想う人たちが自由に語りあえる部活堂の場は非常に大切な時間だと考えています!
ころも:では、最後にご自身の目標をお聞かせください。
リカコ:いつか自身の経験を生かして母島と内地を繋げていく活動をしたいと思っています。
ころも:素敵なビジョンですね! ありがとうございました!
まとめ
島を挙げてのプロジェクトというと、それまでの何かを変えたり、新しい何かをアピールしたりするようなイメージがありました。しかし、いきなり大きな変革を求めるのではなく、「まずは島の人同士の“話す場”が必要だ」というシンプルな答えに辿り着いたところに、私は”母島らしさ”を感じています。
島の人たちは、ひとりひとりのやり方で動きだそうとしています。それは、「島の未来のために何かを守りたい」という願いがあるからです。こんな素晴らしい人たちが支えている母島に、やはり直接訪れてみたいなと思いました!
早くコロナが収束しますように。以上ころもでした!