こんにちは。観音クリエイション(@kannnonn)です。
僕は2020年に埼玉県から長野県の信濃町に拠点を移して、仕事をしながら田舎暮らしをしています。
移住してから仕事も生活も思っていた以上にいい感じになって、「田舎最高ー!」というブログを書いたりツイートをしたりしていたら、「うちの村の良さもぜひ伝えてほしい!」というご依頼をいただくことが増えてきました。ありがたい話です。呼ばれたら全力でスケジュールを調整して遊びに行きます。
で、今回お誘いいただいたのは福島県の奥会津(おくあいづ)にある人口1,200人ほどの「昭和村(しょうわむら)」。
目次
昭和村ってこんなところ
福島県の西側、「奥会津」と呼ばれる地域に昭和村はあります。ちなみに昭和のはじめにできた村だから「昭和村」だそう。由来めっちゃシンプル。
周囲は1,000m級の山々に囲まれていて、THE・原風景。のどか〜〜〜。
東京から新幹線とバスを使って昭和村にアクセスするルートはこんな感じ。
ただ昭和村内には鉄道が通っておらず、バスのダイヤも数時間に1本。到着後の村内の移動の利便性を考えると、車で行くのがおすすめ。
車だと高速道路に乗ってしまえば東京から大体4時間ほどで到着。1泊2日のドライブ旅行にちょうどいい距離感ですね。
というわけで今回は、昭和村の名前にちなんで昭和に大流行した使い捨てフィルムカメラを相棒に、村に住む移住者の方々の話を聞きながら、昭和村の魅力を探しにいきたいと思います!
昭和村の昭和レトロ①:昔懐かしい木造校舎「喰丸小」
昭和村に着いたらまず訪れてほしいのが「喰丸小(くいまるしょう)」。
昭和55年に廃校となった旧・喰丸小学校が改装されたフォトジェニックなスポットで、現在は地域の方々の交流や、観光拠点施設として活用されているんだそう。
さっそく校舎を使い捨てフィルムカメラで撮影してみました。レトロ!
この喰丸小、外観だけでなく中の雰囲気もまた良くてですね。木の床を鳴らしながら歩くと、不思議と小学生の頃の記憶がよみがえってきます。
廊下を走ったら怒られるから精いっぱいの早歩き。10分の休み時間をフルに使って校庭でドッジボール。給食の時間は友達が牛乳を口に含んだ瞬間に笑わせようとして変顔。放課後はポケットいっぱいにダンゴムシを入れて帰ったら母親が聞いたことない声量で叫んで、そのリアクションが面白くて翌日同じことをしたら死ぬほど怒られました。その節はマジでごめん。
喰丸小の2階には当時の教室をそのまま再現した部屋も。ここまで昔の雰囲気が残っていて、かつ一般の観光客が予約なしでスルッと中に入ることができる小学校の跡地ってなかなか珍しいのではないでしょうか。
階段踊り場の「トントントン ひそみ足」の標語と背景の大自然の組み合わせがグッと来て使い捨てフィルムカメラでパシャリ。こんな豊かな環境の学校に通ってたら絶対いい子に育つと思う。
昭和村の昭和レトロ②:温かみを感じる「からむし」
喰丸小の中には地域の人による物販コーナーがありました。こちらは苧麻(からむし)という植物の繊維を草木染めした材料と、それを手で綯った縄紐のアクセサリー。
昭和村はこの苧麻(からむし)を栽培生産している本州唯一の村で、「からむし織」は昭和村を代表する伝統産業のひとつ。
▲からむしを織った反物
昭和村にはこのからむし織をきっかけに移住される方が年に何名かいらっしゃるそうです。今回はそのお一人、名古屋から移住された水野さんにお話を伺いました。
観音:水野さんはからむしがきっかけの移住とのことですが、具体的にどんな経緯で昭和村に来られたんですか?
水野さん:昭和村にはからむし織の技術を伝承するための「織姫・彦星」という体験生の制度があるんです。からむし織の一連の工程を学びながら、村の人たちと交流して、山村生活を送る11ヶ月間のプログラムで。私はそのプラグラムの19期生の頃にその制度に応募して合格したのをきっかけに、昭和村に引っ越してきました。こっちに来てから、今年で10年になります。
観音:10年! もともとそんなに長く住むつもりだったんですか?
水野さん:いえいえ全然。毎年「来年もここにいられるかなあ」と思いながら1年暮らす、というのを繰り返していて、気づいたら10年経ってたって感じです(笑)。
観音:なるほどなるほど。移住されてから10年間、ずっとからむし織に携わり続けてるんですか?
水野さん:生活費を得るため、他の仕事もあれこれと経験させてもらいながら、何らかの形でからむしとは関わり続けている感じです。昭和村はからむしの栽培地なので、素材を育て、繊維を取り出すところから糸にして、布に織り上げ、それを作品や製品といった形にするまでの全ての工程を手作業で、自分の責任で素材作りから形にすることができるのが魅力的でここに来ました。
そんな一つひとつの手仕事が、何気なく生活の一部として溶け合っている、そんな村のおばあちゃんたちの暮らし方に憧れをいだいている「織姫」は多いと思いますし、私もその一人です。
▲からむしから繊維を取り出す「からむし引き」という作業。この工程は今も手作業で行われています
▲草木染で染色されたからむしの繊維
▲糸を重ねて、手織り機で織りあげて一枚の布になっていく様子。こちらは、コースターを織っています
▲からむしで作られた製品の一例。質感は軽くしなやかで、麻をもっと上等にした感じ。「からむしを一度着るとほかの織物は着られない」と言われています。
観音:からむしに携わりながら昭和村に10年住んでみて、こっちでの暮らしってどうですか?
水野さん:名古屋に住んでいたら絶対に気づかなかったことばかりで、面白いですよ。「日本って四季がこんなにはっきりしてるんだ……!」という1年目の感動は忘れられません。春! 夏! 秋! 冬! って感じで、季節の移り変わりがパキパキっとしていて。今は真緑の夏の山々が、冬になると雪で一面真っ白になりますからね。
観音:映画『リトル・フォレスト』の世界だ。
昭和村の昭和レトロ③:移住者としてはじめた「かすみ草」栽培
続いては昭和村のもう一つの主要産業の、かすみ草農家さんのご自宅へ。
聞くところによると昭和村でのかすみ草栽培は「稼げる農業」として注目されはじめていて、年収1,000万円以上という成功者も多く、中には夏と秋だけで2,000万円を稼ぎ出す方もいるのだとか。目を¥マークにして話を伺います。
お話を伺うのは5年前に福島県の会津若松市からかすみ草農家になるために昭和村に移住されてきた林さん。「はじめまして。これ、ご挨拶の印によかったらどうぞ!」とかすみ草の花束をくれたので花言葉の「幸福」そのままの表情になりました。
観音:出会い頭にこんな質問するのもアレなんですけど、昭和村のかすみ草農家さんってなんでそんなに稼げるんですか?
林さん:理由は3つあります。
観音:稼げる人の話し方だ。
林さん:やめてください(笑)。まずひとつ目の理由として、かすみ草って単価が高いんですよ。他の品目だと1本10円とかも全然ありえるんですが、かすみ草は時期によっては1本200円とかで卸せたりします。
観音:超高単価! なんでですか?
林さん:栽培工程の作業の大半が機械化できないからですね。かすみ草って苗植えから収穫まで、ほぼ全ての工程が手作業なんです。
観音:なるほど、手間がかかる分高く売れると。機械化できないってことは逆に考えたら機械を買ったりする初期投資が安く済むってことなので、それはそれでメリットと言えるかもしれませんね。
林さん:ですね。2つ目の理由は収穫時期の長さです。昭和村って標高が高くて涼しいので、6月から11月までの長期間にわたって安定して収穫、出荷ができるんですね。
観音:他の地域の農家さんが出荷できない期間にも売れると。
林さん:そうです。そういう時期はさらに単価が高くなったりしますね。最後の3つ目の理由として、行政からのサポートが手厚いんです。僕は昭和村に来るまで農業未経験だったのですが、かすみ草農家になるにあたって、村役場に研修先の指導農家さんを紹介してもらったり、研修後に農地を斡旋してもらったり、いざ自分で本格的に栽培を始める際にはかすみ草の苗の購入費用の半額を補助してもらったりと、いろいろと助けていただきました。
観音:めっちゃ手厚い!
林さん:実は昭和村のかすみ草って夏秋期日本一のシェアを持っていて、村全体でそれを維持するためにいろいろと施策を打ってくれているんですね。その後ろ盾もあって、新規就農者としては参入しやすいほうなんじゃないかなと思います。
ただ、気象条件によっては、どんなに管理をしていても花が一斉に咲いてしまったりして、寝る間を惜しんで収穫と調整の作業をしたりと、自然が相手なので、大変なところももちろんあります。
収穫後のお仕事の様子を見学させていただきました。決められた規格に合わせて選別・カットする作業で、この工程を終えたら晴れて全国の花市場に出荷されていくとのこと。
かすみ草農家としては、この作業を早くこなせるようになればなるほど、栽培する本数も増やせる = もっと稼げるようになる、という勝利の方程式があるそうです。
観音:めちゃくちゃスピーディーに作業されてますけど、コツとかあるんですか?
林さん:ひたすら無心でやることですね。「これはもしかしたら上位の規格で出荷できるかも……』『もうちょっと収穫時期を遅らせたほうがよかったかな……」みたいな迷いや雑念が生まれると生産性が落ちちゃうので。自分をマシーンだと思いこんで作業しています(笑)。
かすみ草農家についてもっと知りたい方は昭和村の新規就農者募集のページをチェックしてみてください。昭和村で農業を始める強い覚悟がある人にとっては、とても有益な情報が網羅されています。
最近はかすみ草を染めてドライフラワーとして販売することにも挑戦しているそうで、お土産にカラフルな花束を頂きました。きれい!
使い捨てフィルムカメラで撮った写真はこんな感じ。焦点距離をミスってる上に指が映り込んでしまった。
昭和村の昭和レトロ④:古材を使った古民家風カフェ「里山カフェ 星のやど」
さて、そろそろお昼ご飯にしましょう。
やってきたのは里山カフェ 星のやど。こちらはかつて兵庫県芦屋市にあった有名レストラン「サロンドキュイジーヌ千暮里」でスーシェフを務めていた昭和村出身の小林さんが、2019年にUターン移住して営業されているレトロカフェです。国道400号沿いに看板があって、そこから坂道を登るとたどり着けます。
看板メニューの岩魚サンドを注文。えごまが練り込まれた手作りのバンズは軽い口当たりでふかふか。そのバンズで揚げたてサックサクの岩魚フライをサンド。味付けは香り高い自家製のタルタルソース。
これめっちゃうまいので昭和村に来たら絶対食べてください。昭和村に来る予定がない場合はこれを食べるために今すぐ昭和村旅行計画を立ててください。その価値があるぐらいうまいです。
窓から見える緑いっぱいの森をバックに1枚。現像に出した使い捨てフィルムカメラのデータをチェックしたら写真を撮れば撮るほど下手になっていてちょっと意味わかんなかったですね。(室内で撮る場合は、フラッシュ焚かないと暗くなっちゃうらしい。反省)
食後、 星のやど店主の小林さんに「兵庫からのUターン移住についてお話を聞かせてもらえますか?」と声をかけたところ、「父親がここでカフェをやっていたので、昭和村に帰ってきたタイミングで乗っ取ったんです(笑)」「こっちって都会的な遊びがないから仕事ばっかりしてて、経営は気づいたらなんとかなってました」、「去年からカフェと別に、新しくパンを販売する事業もスタートしたんですよね」と、ひょうひょうと話してるけど会話の内容がスーパービジネスマンでした。ギャップすごい。かっこいい。
小林さんが作っている地元のお米を使ったパンの数々。田舎に移住した人だとわかると思うのですが、「おいしいパン屋が近所になくて……」という悩みって結構あるあるですよね。昭和村ならその心配もなさそう。
昭和村の昭和レトロ⑤:移住したい人におすすめ「SHARE BASE 昭和村」
移住者の方々の話をたくさん聞かせていただいて大満足。宿へ移動します。
今回泊まらせていただいたのは「SHARE BASE 昭和村」という、築150年を超える古民家をセルフリノベーションしたお宿。
びっくりするほど広い畳の居間で寝転がりながら、風が木々を揺らす様子を眺めていたら、都会で溜まった疲れや悩みは自然とほぐれていくことでしょう。
個人的におすすめなのがこのソファ。窓から入ってくる風が気持ちいい。ここで永遠にだらだらしてたい。100泊101日で予約するべきでした。
SHARE BASE 昭和村のスタッフの方から「実はここ、天体撮影する人にはたまらないロケーションなんですよ」と教えてもらって、深夜に庭に出て撮影した星空。
こんなに天の川がはっきり見えたのは生まれて初めて。感動してちょっと泣きそうになってしまった。
そんなこんなの1泊2日でございました。
取材後の帰り道、「今回の記事を通して昭和村を知ってくれたり、旅行のきっかけになったり、そこから移住に繋がったりしたらいいですねー」って話していたら、東京から同行してくれたカメラマンさんが「俺、今まで一生都会で暮らすイメージしかなかったけど、今回一緒に来させてもらって初めて『移住アリかも』って思った」って言ってて、記事公開前から価値観変わってる人がいて面白かったです。
うん、この環境を生で見たら移住思考になるのはわかる気がします。
そんな魅力あふれる昭和村、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
さてさて、次はどこに行けるのか楽しみです。以上、観音クリエイションでした。
おまけ
最後に、今回本文中で紹介しきれなかったおすすめスポットをまとめておきます。
長年カツ丼が愛される「やまか食堂」
創業50年以上の「やまか食堂」。観光客だけでなく、地元のお客さんも多く立ち寄る名店です。
地元の人がよく注文するのが写真左のカツ丼。観光客の人がよく注文するのが写真右のソースカツ丼だそう。どちらも800円。
お肉が厚切りでやわらかジューシー。あぁうまい。食ってみな。飛ぶぞ。
「藤八の滝」(とうばちのたき)
山奥にある滝スポット。夏に昭和村を訪れるなら絶対プランに組み込みましょう。涼しくて緑いっぱいで気持ちいいです。
奥会津昭和の森キャンプ場 展望台
村内のキャンプ場の中にある、昭和村を一望できる展望台。しかしすごいところにある村だよなあ。