「収入も少なく生活もままならなかった東京時代とは違う充実ぶり」大分にUターン転職したWebデザイナーのお話

「収入も少なく生活もままならなかった東京時代とは違う充実ぶり」大分にUターン転職したWebデザイナーのお話

Masashi Naito

Masashi Naito

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こんにちは、ディレクターのまさしです。

「場所にとらわれない働き方を実践しよう!」という想いではじまった LIG の事業「どこでもオフィス」の企画で、大分県に来ております。

 
今回、東京から大分に U ターン転職をして Web デザイナーをしている藏本佳美さんにインタビューしてきました。

kuramoto 藏本 佳美さん
大分県日田市出身。株式会社ティーアンドエスおおいた クリエイティブ部 Web デザイナー。東京の大学に進学、卒業後に念願だったデザイナーとして就職。社会人 3 年目を迎えたときに、地元日田市に東京の IT 企業のサテライトオフィスができることを知り U ターン転職。

東京と地方のどちらも経験されている藏本さん、自分と似た環境で働かれているようなので、大変興味が湧きます! 5 年に及ぶ東京暮らしを経て大分に戻った今、藏本さんが東京との違いを感じたこと、戻って良かったこと、これからのビジョンなどについて聞いてきました。

 

学びたい場所が九州になかった

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ー 大分から東京の学校に進学したきっかけを教えてください。

昔から絵を描くのが好きで、大学では美術を学びたいと思っていたんです。

美術大学に行くには、デッサンの技術が必要だったため、高校時代からデッサン教室に通い絵を描くことに夢中でした。当時は、「絵を描く仕事の最先端」 =「グラフィックデザイナー」という認識をしていたので、「いつかグラフィックデザイナーになるんだ」と思い続けていました。

両親とは「福岡の大学に行く」という約束で、美術大学の進路に進むことを許してもらっていたので、進学先を決めるタイミングで福岡の大学に見学に行きました。それがかえって「もっとレベルの高い絵を学んでみたい!」という心に火をつけてしまい、デッサンの先生に相談をしたところ、東京の学校を勧められたんです。

ー それだと、ご両親との約束を違えることになるのでは?

ええ。でも何とか説得をして、一泊二日で東京の学校見学に行かせてもらいました。

東京で見たそれは、圧倒的なレベルの差でした。でもそれに打ちひしがれるのではなく、「ここならもっと高いレベルの絵を学べる」という思いだったんです。

大分に戻ってすぐに両親を説得し、条件付きで東京の大学に行くことを許してもらえました。

ー その条件とは?

「学費の関係で行くのは短大で我慢すること」、そして「大学を卒業したら九州に戻ってくること」でした。

そうして私は、高校を卒業して東京に行きました。

 

刺激的な東京生活、そして就職

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ー 東京での学生生活はどうでしたか?

周りの友だちもみんなやる気に満ち溢れていて、勉強についていくので必死でしたが、とても刺激的で充実していました。

ー 東京のあちこちにも足を運ばれたり?

友だちとしょっちゅう話題のスポットや美味しいお店にも行っていました。あと、東京に出てきて一番良かったと思えたのは、美術館がたくさんあることですね。当時は、休みのたびに美術館に行っていました。

おかげで、卒業までの 2 年間は本当にあっという間でした。

 
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ー 初めての就職はどうでしたか?

卒業後、なかなか就職できずにいたのですが、ようやく Web デザイナーとしての仕事が決まったんです。大分にいた頃は Web デザイナーという業種自体聞いたことがなかったので、まさか自分が Web デザイナーになるとは思ってもみませんでした。

業務内容は、お客様先に派遣され、お客様と一緒になってプロジェクトを進行させるというものでした。そんな環境なので、勤めていた会社よりも、常駐先の方々にとても良くしてもらった思い出があります。

ー 生活は比較的安定していたのでしょうか。

なかなかに厳しかったです。大卒と短大卒では初任給の設定が全然違っていて、当時の手取りだけでは生活するだけでいっぱいいっぱいでした。当時住んでいたのは、東京・杉並区の高円寺にある家賃 7 万円のアパートで、その家賃と生活費を引いたらほとんど手元に残らないという状態でした。

2 年目になるとさらに厳しさが増しました。というのも、2 年目には所得税が引かれるようになったため、さらに手取りが下がってしまったんです。

ー それでは、生活もままならないですね……。

何も買えないし、今後も給料が上がる見込みもない。東京の満員電車に揺られながら将来のことをぼんやり考えていたら、いつしか 大分に戻る と考えるようになっていたんです。

 

仕事を見つけてくれたのはお母さん

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ー 大分に戻るキッカケは?

元々「転職するまで 3 年は頑張ろう」と決めていまして、ちょうど 3 年経ったところで退職の意向を伝えよう、と。そのときはまだ転職先も決めておらず、「大分に戻ってから探そう。福岡あたりがいいかな」ぐらいのイメージだったんです。

ー ご両親にもその旨は伝えられたんですか?

退職前の冬の帰省時に、母に伝えました。母は大いに喜んでいましたね。

そうしたら、東京に戻って一週間ほど経ったところで母から連絡があり、「仕事先、見つけたよ」と。それが、今私が勤めているティーアンドエスの求人でした。東京に拠点を置く IT 企業で、福岡にも開発拠点を持っていたんです。

大分出身である代表の稲葉孝政が「地元・日田市にも新たに開発拠点をつくる」と言っていたニュースを母が見ていて、それを教えてくれたんです。

ー すごい展開ですね(笑)。

2 月中旬には勤めていた会社に退職の意向を伝え、大分に戻った後 ティーアンドエスに応募しました。そうして内定をいただけ、地元・日田市で Web デザイナーとして働くことになったんです。

 

大分にあるけど東京水準の企業

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ー 転職してみてどうですか?

まだティーアンドエスのことをほとんど知らなかった当時、日田市に進出することへの違和感などもあり、「 IT 企業とは言われているけど、東京ほどのレベルは求められないんじゃないかな……」なんて思いを抱いていました。

ところが求められる水準は、私がまさに東京で経験してきたそれ。いや、それ以上でした。

Web デザインだけじゃなく、コーディングなどのプログラミング技術もできないとついていけない。東京の会社ではバナー制作や画像作成が主な仕事だったので、さらなるスキルの習得に悪戦苦闘しました。今はサイトデザインをいちから手がけたり、コーディングも請け負ったりと一気に仕事の幅が広がっています。

こんな Web 制作の会社が自分の地元にできるなんて、ひと昔前では想像ができなかったことです。

 
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ー 具体的な業務内容はどんなものでしょう?

東京に拠点を置いている企業のアプリや Web サイトのデザイン、そして紙媒体のデザインなども手がけています。場所こそ大分・日田市ですが、求められるのは東京にいるのと変わらない、最先端の技術やデザイン力なんです。東京の会社で培った土台があってこそ、ですが、ティーアンドエス おおいた に来てからの方が仕事の幅も広がっているし、レベルも高まっていると実感できています。

また、出張で福岡や東京にも赴いていますし、福岡や東京のスタッフとの交流も多く持てているので、当初イメージしていた「地方で孤立するんじゃないか」という感覚はまったくありません。常に新しいことに触れられる機会があることが嬉しいですね。

 

大分に戻ってきて 失ったもの、得たもの

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ー 大分に戻ってきて生活面での変化などはありましたか?

まず、使えるお金が増えました(笑)。大分の実家に戻り、自分に合ったお仕事に出会えたおかげで「生まれて初めて自由に使えるお金を手にした」ってぐらいの気持ちになっています。

ー 確かに、東京時代は大変だったようですから……。

東京と大分とでは「物価も違う」と感じますし、何をやるにしてもお金がかかる東京に対して、大分は使えるところが限られているんです。実家暮らしでもあるので、余裕が出て当然ですよね。おかげで、ずっと我慢してきたことができるようになったのでスッキリした気分です(笑)。

欲しいものも遠慮なく手にできるようになりましたが、一年ほどでその欲求も鳴りを潜めました。なんでだろう?と考えたところ、東京にいた当時の「欲しい」は「見栄」だったんだろうな、と。もちろん「良いものは良い」という目を曇らせてはいませんが、生活に必要がないものまで買いたいという以前の欲求はなくなりましたね。

今は、将来結婚したいし、家も購入したいと思うようになって、そのための貯蓄をしているところです。

 
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ー 大分での将来設計はどのように考えられていますか?

やっぱり結婚したいです(笑)。以前はここまで強く思ったことはありませんでしたが、地元の友だちの半数以上が結婚して家庭を築いている姿を見ると、やっぱりいろいろ思っちゃいますよね。遊びに行こうと誘っても、なかなか会う時間も作れないですし。

大分にまで名前が届くほど有名な仕事をしている東京在住の友だちもいて、話をしていると「もっと頑張らなきゃ」って思いも湧き上がってくるんですが、それでも今一番の願望は「結婚」ですね。そう思えるようになったのも、地元に帰ってこれて、地元で仕事ができているからだと思います。

ー 大分で良い出会いはありましたか?

将来を考えられるような良い出会いはまだ、ですね(笑)。

実はティーアンドエスのお給料って、大分水準で見るとかなり良い方なんです。というのも、開発拠点のひとつである福岡がティーアンドエスとしての基準になっている(九州における福岡の給与水準はかなり高い方)ので、個人的には経済的な余裕が持てているんです。

だから仕事はこれからも続けていきたいですし、もっともっと仕事ができるようにもなりたい。欲張りなんでどっちも求めちゃっていますが、そんな想いを共有してくれる人に出会いたいですね。

 

成長は尽きない

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ー これからの目標を教えてください。

やっぱり、仕事のスキルをもっともっと磨いていきたいです。仕事の幅だって、まだまだ広げていきたい。IT & Web 業界って、最新の手法と思っていたことが たった一年で「古い」って言われるほど目まぐるしく変化していきますよね。当然ヒマになることなんてありませんし、私の生き方にも合っているのが一番ですね。

そして、結婚して家を建てたいです(笑)。

 

まとめ

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とにかく成長意欲が高い。藏本さんのインタビューを終えて印象に残った内容がまさにこれでした。東京から離れているハンデなんて微塵も感じさせない努力でお仕事をされている姿に、僕自身も大いに刺激を受けました。改めて、本人の気持ち次第で どこででも働ける時代が来ているんだな、と感じました。

 

株式会社ティーアンドエス 代表取締役の稲葉孝政さん 株式会社ティーアンドエス 代表取締役 稲葉孝政さん[/caption]

大分に拠点を置くティーアンドエス。大分の支社が立ち上げられた当初はメンバーが 5 〜 6 人という規模だったのですが、今年に入って 16 人まで増えるなど一気に成長している企業です。来年( 2018 年)には倍に及ぶ 30 人規模の支社とすることを目指しておられます。

「地方での雇用が増えれば、その地域に対して、いろんな形で、ダイレクトに貢献することができると思うんです」

そう語ってくれたのは、株式会社ティーアンドエス 代表取締役の稲葉孝政さん。同社が今後、この大分・日田市でどんな展開を見せていくのか楽しみです!

 

さてと、せっかく「おんせん県」の大分に来たんだし
温泉に入って帰ろう!

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JR由布院駅 足湯
住 所:大分県由布市湯布院町川北8-2
入浴料:160円
定休日:無し
時 間:9:00~19:00

足湯なら、記事を書きながらでも入れます!
以上、大分からお届けしました!

 

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Masashi Naito
Masashi Naito Agency / Web Director / Manager / 内藤 昌史

LIG入社後、観光CtoCサービスの立ち上げから事業譲渡、コワーキングスペース事業の立ち上げからグロース、地方創生事業の立ち上げ、サテライトオフィス立ち上げなど、様々な事業をゼロから立ち上げて成長させるまでのプロセスを経験。現在は、いいオフィス広島 by LIG の運営をしながらWebディレクターを担当。

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