フランツ・リストはピアノ界のアイドル?「ピアノの魔術師」は偉大な教育者でした

フランツ・リストはピアノ界のアイドル?「ピアノの魔術師」は偉大な教育者でした

ゆかりさん

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「僕はピアノのパガニーニになる!」

こんにちは、エディターのゆかりさんです。

上記のセリフ、なにやら漫画のようですが、これは『マゼッパ』『愛の夢』『ラ・カンパネラ』などで有名なフランツ・リストの言葉です。超絶技巧練習曲など、難易度の高いピアノ曲を多く残した彼ですが、数々の浮名を流したことでも有名で、当時のアイドル的存在だったとも言えそうです。

とはいえ、彼の功績は女性問題……もとい、超絶技巧の演奏や曲ばかりではありません。今回はリストのいろいろな側面もみていってみましょう。

卒倒者続出?!ピアニストの地位を高めた超絶技巧

フランツ・リストは1811年10月22日、ハンガリーに生まれます。父の指導を受け、10歳になる前から演奏会もおこなっていました。ドイツに移住してからは、あの有名なベートーヴェンの弟子であるツェルニーに師事します。

わずか15歳からピアノ講師として生計を立てていきますが、その裏には父の死という出来事もあったようです。

そしてこの頃から、彼の恋愛遍歴が続いていきます……!

ピアニストはアイドル?確かな演奏技術と…

フランツ・リスト

容姿端麗であったリストはピアニストとしての演奏技術も高く、そのパフォーマンスに女性ファンが失神したとか、忘れていった手袋が奪い合いになったなどの逸話も多くあります。なんだか「投げたピックの取り合い」を連想させるし、さらにはリストもピアノの弦を切るほどに演奏に熱が入るなど、マジでそれどこのバンドだよ。って全力ツッコミしたい。

さらには離婚、不倫や逃避行など、「芸術家ってこういう人いるよね!」という破天荒っぷり。

とある伯爵夫人との間に生まれた子どもが、のちにオペラで有名なリヒャルト・ワーグナーの妻になるコジマ。また弟子であるピアニストもその弟子と交際するなど、音楽界もなかなか狭い人間関係です。ていうか、遺伝子って怖い(師弟関係の遺伝子含めて)。

音楽から生まれるさまざまなつながり

と、女性関係をフューチャーされがちなリストですが、教育者、作曲家としても一流なのは間違いありませんでした。

作曲、演奏、標題音楽、交響詩、編曲、そして執筆活動…

標題音楽という新しいジャンルや編曲にも力を入れていました。有名な「ラ・カンパネッラ(カンパネラ)」は、正式には『パガニーニによる大練習曲』第3番 嬰ト短調「パガニーニの主題による」といいますが、これはパガニーニというヴァイオリニストが作った曲のアレンジで、今でいうと、敬意をこめたカヴァーソングに近いものがあるのかもしれません。

ショパンやシューマンといった年齢の近いピアニストたちとの交流も深く、リストもショパンについての本を執筆しています。当時のサロンに出入りする人たちって本当に多才な芸能人という感じなのでしょうね。

意外にも?!日本との接点

フランツ・リスト

また驚くことに、かの伊藤博文とも面識があったようです。ドイツで憲法を研究していた当時42歳の伊藤博文は、リストの演奏に強い感銘を受け、「日本に招きたい」と言ったとか。そう考えるとちょっとリストが身近に感じられますが、……演奏したリストはそのとき73歳。タフすぎ。演奏家あるあるだとしても、おじいちゃんタフだよね……!

教育者として、信仰心とともに

晩年まで女性関係のスキャンダルの絶えないリストですが、その女性たちは彼に多くの影響を与えました。

ある女性は彼の作曲活動の支援を。ショパンの本の執筆も、ショパンの恋人として有名なジョルジュ・サンドとの交流の影響か、とも言われています。また、教皇に再婚を許されなかった女性とは終生交流があり、その影響もあってか修道院に入ってからは「無調のバガテル」などの宗教曲を作曲。なんだ、けっこう一途じゃん……

聖職者のように慎ましやかな生活をしていたときにも、たくさんの弟子がいたようです。が、その中からも彼に心を寄せる女性があらわれます。その年齢、19歳。……って、何十歳も歳が離れてるんですけど。まあ、それほどに教育者としてのリストが優れている、ということなのかもしれません。それにしてもいつまでもモテモテですね……。

また、ロシアに招かれた際にも音楽指導の道筋を残し、のちのモスクワ音楽院の基礎となりました。そうして弟子とともに過ごしながら、1886年7月31日、リストは74歳で亡くなりました。

さいごに

浮名を流すだけではなく、それを作品に還元する。そういう感性があるからこそ、生まれるものが素晴らしいんだろうなあと改めて思った次第です。

きっと「人が好き」だったからこそ、受け継がれていった教育があるのかもしれません。それはきっとジャンルを問わず、誰かのあしあとを継いで現代があるのだな、と、……けっこう真面目な内容になってしまいましたね。

とはいえ、あのアイドルっぷりには、やっぱり音楽家ってトンチキだなって改めて思った次第でした(笑)。

それでは、また!

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すきな作家は荻原規子。すきな作曲家はシューマン。 豆腐が主食です。ピアノを弾いて生きてきました。

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