司祭さんがロウソクなどが置かれたテーブルの前に立ち、祭りは始まりました。
信徒の人たちが楽譜を見ながら聖歌を歌います。
この並び、神社に対して正面を向いているのが隠れキリシタンの人たち、横に座っている人たちがカトリック、仏教の人たちだそうです。
あんぐりした表情で祭りを見る山下さん。去年、初めて祭りに参加して衝撃を受けたのだとか。
この祭りは2000年から始まった、比較的新しいものです。
それまでこの地域に住んでいた隠れキリシタンとカトリック、仏教の三派は、互いに心理的な距離を持っていたそうです。
その溝を解消すべく、この祭りは始まりました。
カトリックのミサがおこなわれると同時に、隠れキリシタンによるオラショ(*)が奉納されます。
- オラショとは
- 祈りのこと。ラテン語の「Oratio」(祈り)を語源とする潜伏キリシタン特有の文化。元はラテン語による祈祷文が、口伝を続けるうちにラテン語とも日本語ともつかない言葉となって受け継がれていった。
それぞれの宗派の代表が祈っていきます。
彼らはもともと一つの信仰を守っていましたが、次第に枝分かれしていきました。
それが約100年のときを経て、再び共同で祈るなんて、何だか壮大ですね。
祈りだけではなく、この祭りでは聖人たちへの供え物も捧げられます。
カトリックはパンとぶどう酒を捧げます。いわゆる「ミサ」です。それに対して、隠れキリシタンは「御初穂」がおこなわれます。
「御初穂」とは宣教師がいなくなった日本で、その信仰を途絶えさせないように、ミサの代わりにおこなわれるようになったもの。
パンの代わりにごはん、ぶどう酒の代わりに日本酒、そして肴と煮しめが供えられます。
ミサのクライマックス。司祭が信徒たちに供え物を分け与えます。
希望者の人が受け取りに行っていました。
最終的に行列ができていました。
第二部の講演では潜伏キリシタン時代のことが語られます。名調子といった感じで、何も見ずに延々と歴史を語っていました。
なんだか不思議な時間でした。
隠れキリシタンは今もいる
祭りの物販があって、本が売られていました。著者はムンシ・ロジェ・ヴァンジラさん。1999年にコンゴ共和国から留学してきて、現在は南山大学専任准教授。宣教師として祭りにも参加していて、この本を手売りしていました。
ロジェさんは2004年に隠れキリシタンの帳方(世襲制で引き継がれる代表者のこと)だった故・村上茂さんに出会い、隠れキリシタンの調査を始めました。この本は村上さんが亡くなる2005年5月までにおこなった複数のインタビューや、その後の聞き取り調査を元にした伝記です。村上さんの生涯を通して、隠れキリシタンがどういう信仰を持っているのかや、枯松神社がどういう神社なのかが書かれています。
枯松神社のある黒崎地区には遠藤周作文学館もあります。祭りにはその学芸員の方も来ていました。
遠藤周作の『沈黙』は黒崎地区が舞台となっているそうです。『沈黙』は幕府から弾圧を受けている時代に、ポルトガル司祭が日本に潜入するというストーリー。今年、ハリウッドでの映画化も決まっていますね。遠藤周作は黒崎教会の神父から話を聞いて小説のイメージを膨らませたそうで、村上茂さんの祖父にも話を聞きに行ったのだそう。
まとめ
隠れキリシタンの祭り、とても貴重な体験ができました。遠藤周作の『沈黙』の舞台にもなったっぽくて、遠藤周作の研究者の方も来られてました。 — 菊池良 / Kikuchi Ryo (@kossetsu) 2015, 11月 4
祭りのあと、公民館での会食に参加しました。それは普通の打ち上げのようで、刺身を食べたり、ビールを飲んだりしていました。
カトリックや隠れキリシタン、仏教徒が楽しく飲み食いする光景は100年もなかったのかと思うと、なんだかすごいことだなと思いました。
余談ですが、帳方の村上さんと名刺交換したら肩書きが「かくれキリシタン」になっていて、すごくカッコよかったです。
【参考文献】
ロジェ・ヴァンジラ・ムンシ(2015)『村上茂の生涯』聖母の騎士社
【菊池の「行ってきた」記事】 なぜ売り上げを使い切ったらダメなの?会社の経費でハワイに行ってきた 何で管理されなきゃいけないの?出勤の打刻をして静岡に行った 炎上マーケティングばかりしているから、イケダハヤトの家を燃やしに行った話