※落語に興味ない人も気軽に読める記事です。と、アピールしておきます!
こんにちは。エディターのあっきーです。LIGではクライアントのオウンドメディアの記事・企画制作などをサポートさせていただいております。
私事ですが、数年前から落語にお熱です。2020年に上京して以来、週1〜2回のペースで寄席通いを続けており、一般的な30代男性よりは落語業界に貢献しているといっても過言ではないと思っております。
そして最近ふと思ったのです。落語には編集者として身になる「気づき」や「ノウハウ」が詰まっているな、と。
おもしろい記事の書き方やコンテンツマーケティングについて述べた記事はごまんとあふれていますが、落語に着想を得て編集・制作に活かすという趣旨の記事は2021年11月末現在、ネット上にもほぼありません。
これってなんだかすごくもったいないことだと思ってまして。落語は元来、我々のごく身近で愛されてきた大衆芸能です。気の遠くなるような時間をかけて磨き上げられた演出の技術、そして現代の人間にも通じる噺(=話)自体のおもしろさ。これって、おもしろ記事に使えそうなアイデアがたくさんありそうですよね。いえ、現にあるんです。
ということで、今回は僕が落語を通して学んだ「おもしろい記事」を作るためのアイデアについて紹介したいと思います。
- この記事はこんな人におすすめ
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・編集・執筆業務に初めて携わる人
・おもしろい記事をつくるためのアイデアを探している人
・記事・企画制作にあたってヒントがほしい人
目次
【前提】そもそも、おもしろい記事ってなに?
今回の記事を読み進めるにあたり、まずはここから考えてみる必要があるかと思います。一般的によく言われているおもしろさとはInterest(関心がもてる)かFunny(笑える)の2タイプですが、もう少し噛み砕くと、「知的欲求を満たす記事」と「感情をシェアする記事」と言えるのではないかと思います。
知的欲求を満たす記事
まず「知的欲求を満たす記事」は、読者が知りたい情報を提供しているかどうかが、「おもしろさ」に直結するといえます。例えば会話をしていてわからない単語や「あれってなんだっけ?」ということをググることってありますよね。そうしたときに、悩みや不安を解決してくれる記事を見つけ「へ〜」と思わず声を漏らすような場面もあると思います。
要するにこのカテゴリに属する記事は、読者の欲しい情報がずばり書かれていればおもしろいと感じてもらいやすいです。例えばWikipedia、アンケートなどのデータに基づく情報はこのパターンに当てはまりやすいといえます。
感情をシェアする記事
一方で「感情をシェアする記事」は、趣味嗜好やライフスタイルなど、読者のパーソナリティにより、「おもしろさ」の度合いが大きく変化します。
例えば僕は好きなバンドのインタビュー記事やライナーノーツ(音楽CDのジャケットに付属している冊子)を読むのが好きですが、さきほどのパターンと違ってこの場合は悩みや不安の解決しているわけではありません。好きなミュージシャンの意見や思いを記事の中で分かち合い、本人が感じた感情をシェアすることで新たな気づきや発見が生まれます。
要するにこのカテゴリに属する記事は、読者が知らない情報や価値観(気づき)を与えられる情報があればおもしろいと感じてもらいやすいです。誰かの体験談、インタビュー記事といった一次情報はこのパターンに当てはまりやすいといえます。
現代も昔も「おもしろさ」は変わらない
知的欲求を満たすこと、感情をシェアすることが「おもしろい」と感じる根拠のひとつに、落語の噺でも同じロジックが働いているという事実があります。例えば以下のような例です。
①知的欲求を満たす
隠居(物知り爺さんとでも思っていただければ)に疑問に思ったことを聞きに行く噺(やかん、茶の湯、寿限無などが代表例)。
②感情をシェアする
他人の体験談や噂話が原因で感情を揺さぶられたり、行動を起こす噺(時そば、短命、まんじゅうこわいなどが代表例)。
現代も昔も、人がおもしろいと感じる物事は同じといえるでしょう。つまるところ、必ずしも「おもしろさ=Funny(笑い)、Interest(関心)」にならないということを覚えておく必要があります。記事の中に無理に笑える要素をねじ込むのは却って逆効果。自分ならでは、そのメディアならではの世界観を築くのが大切です。
落語とは、数世紀単位で語り継がれる「すべらない話」
さて、本題である4つのアイデアの話のまえに、まずは落語って何? という人のために解説を。僕がよく例えるのが、落語とは、すべらない話と同じようなものということです。
というのも、落語は古くから大衆娯楽として庶民に愛されてきた話芸。感覚的には、映画とかゲーセンに行くような気分で昔は寄席に通っていたのだとか。そのくらいカジュアルに体験できるものなのです。
演じられる噺には原作があるものや、落語家(噺家ともいう。この記事では落語家で統一)が自ら創作するものもあり、かつては数え切れないくらいの噺が存在していました。
当然すべての噺がウケるわけではありません。ウケないものや時代に合わなくなったものはやがて演じられなくなり、良いものだけがしだいに厳選されていきます。そうして「ふるい」にかけられ続けて残った噺だけが、何百年と経った現代でも演じられているというのがポイントです。
立川談志は落語について一言でこう表しました。
落語とは人間の業の肯定である
解釈は色々とありますが、要は人間のだらしなさを正そうとする噺ではなく、良いところも悪いところも含めて人間らしさを笑ってやろうぜ、というのが落語のおもしろさではないかと。現に勧善懲悪(善事をすすめ、悪事をこらすこと)の噺はほとんどありません。
会計の料金を必死にちょろまかそうとしたり、息子が生真面目すぎるからといって遊郭で遊んでこいと送り出す親がいたり、ありとあらゆる人間の業が登場します。
そんな様子を聞きながら「ああ、人間って馬鹿だなあ」と気軽に楽しめる芸能。それこそが落語の本質ではないでしょうか。
と、まとめたところで本題に入っていきましょう。
落語に学ぶ「おもしろい」を作る4つのアイデア
では、落語にはどのような「おもしろさ」が込められていて、どのように記事制作に活かせるのでしょうか。今回は以下の4つのアイデアを紹介したいと思います。
- 起承転結は考えなくていい
- 登場人物の役割を確立させよう
- 自分にしかできない世界観を考えよう
- 人を不幸せにしないことを心がけよう
①起承転結は考えなくていい
僕の好きな落語の噺に、「らくだ」というものがあります。ざっくりあらすじを説明すると下記の通りです(読まなくても差し支えありません)。
ある長屋に「らくだ」というあだ名の乱暴者が住んでいる。ある日、兄貴分の熊五郎がらくだの家を訪ねると、らくだが昨晩食べたフグにあたって死んでいた。葬儀をあげてやろうと考えた熊五郎は、通りがかった紙くず屋(不用品を回収して換金する商売)に声をかけ、長屋の住人から香典を集めてこいと命令する。
熊五郎に酒や料理も集めろと言われた紙くず屋。熊五郎に勧められて酒を飲まされた紙くず屋だが、実は酔うと性格が豹変する酒癖の悪い男だった。さっきとは打って変わって熊五郎を怒鳴りつけ、「酒をもってこい!」と怒鳴る紙くず屋。酔っ払った二人はらくだの死体を火葬場に運ぼうと、漬物樽に入れて担ぎ上げてあるきはじめる。
途中、樽の底が抜けて死体を落としてしまった二人。暗い夜道に酔って寝ていたにわか坊主をらくだの死体と勘違いして樽に押し込み、火葬場まで向かう。焼き場に樽を放り込むと、坊主が慌てて目を覚ます。「ここはどこだ!」と驚く坊主に「日本一の火屋(ひや。火葬場のこと)だ」と教える。すると坊主は「冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯」とつぶやき、噺が終わる。
初めてこの噺を聞いたとき、僕は心底思いました。
と。
これまでの展開を無視して、結末を無理やりぶった切ったように思えて仕方ないこの噺ですが、実はこれ、オチさえあればどんな噺も無理やり終わらせられるという落語の最大の特徴を活かしています。
噺のなかで絶対に回収できない伏線を張ろうが、一度出てきた登場人物が秒速で退場しようが、落語なら許されるし、むしろ無茶な展開をとることにより生まれるユーモアやオリジナリティがあるのです。これは噺に起承転結がない落語だからこそのおもしろさといえるでしょう。
記事の企画を考えるとき、企画背景や課題解決方法など、実現性を重視して考えがちになっていませんか? しかし、起承転結が必要ないからこそ生まれる、想像できないおもしろさというものは、落語の噺に見られるように存在し得るんです。
ときには企画背景や課題解決を無視して、ストーリーや構成案から考えてみるのはいかがでしょうか? 普段の企画作成の過程では思いつかないような、意外なアイデアが生まれるかもしれません。
②登場人物の役割を確立させよう
落語の噺の数はとても多いですが、現在の寄席ではそのうち300ほどの噺が演じられているのだそうです。そんなに噺の数が多いと、登場人物の名前を覚えるのも一苦労。ですが、実は落語はどの噺も登場人物の名前や性格がだいたい同じという、ちょっとしたスターシステムのようなものを取り入れています。
例えば田中太郎、ジョン・スミス的なありふれた主人公的な立ち位置が八っつぁん、熊さん。ドジなキャラとして親しまれている与太郎。物知りでおなじみのキャラクターとしてはご隠居さんというふうに、登場人物にはおおまかな役割が決められています。
この立て付けがあることで、ある程度落語に慣れてきた人であれば、初めて聞く噺でも登場人物を聞くだけで役割を想像できるため、噺がすんなり入ってくるというわけです。
これって、記事を作るうえでも活かせるのではないでしょうか。特にインタビューや対談記事では、誰にどのような役割をしてもらうかを明確にし、読者にもそれが分かるように提示しておくことが大切といえるでしょう。
LIGブログの場合は、このような感じで記事の冒頭に登場人物紹介を挟む場合が多いです。複数人登場する場合は、紹介文の中でその人のキャラクターを特徴づける一言を入れていますが、「ああ、この人はおちゃらけてるんだ」「この人は真面目な人なのかな?」など印象をもってもらうことで、記事中のセリフもすんなりと受け入れてもらいやすくなるのではないかと思っております。
③自分にしかできない世界観を考えよう
落語は何十年、何百年と語り継がれている噺を演じる芸能です。現在寄席で演じられている噺は約300ほどあるのは先述の通りですが、落語家の数は東西あわせて現在約1000人ほどいるのだとか。
現代の寄席はその1000人が、限られた数の噺を演じているわけです。ゆえに寄席を訪れるたびに同じ噺を見ることもザラですが、なぜ飽きないのかという理由が落語家さんそのものにあります。つまり、同じ噺でも、演じる人が違えば大きく印象が変わります。
例えばお涙頂戴の人情噺をおもしろおかしく演じる人もいれば、その逆も然り。噺の展開や結末は全く同じでも、声の調子を変えたり、アドリブを加えたりと、噺のなかに落語家さんの世界観を感じ取れるわけでして。それこそが落語の醍醐味のひとつといって間違いないでしょう。
玉石混交の情報が渦巻くネット社会。例えば「おもしろい記事の書き方」と検索すれば、様々な記事が表示されます。しかし、検索に引っかかるようむやみにキーワードを盛り込んでいたり、同じような内容の記事ばかりだったりと、同じテーマを取り扱っている以上、内容が似通うことも少なく有りません。
そんななかで読者に自分の記事をおもしろいと思ってもらうためには、自分にしかできない世界観を表現することも重要です。「自分なんて何もできないし、世界観を表現するなんて……」とネガティブに考えてはいませんか? 今回は落語に着想を得た記事ですが、どんなに小さな趣味・嗜好でも、あなたが好きなものはあなただけのアイデンティティとなります。せっかくの自分らしさを記事に生かさない手はないですよ!
④人を不幸せにしないことを心がけよう
最後はアイデアというよりは心構えの一つとなりますが、今回の記事でもっとも重要な部分かもしれません。これは線引の難しい問題でもありますが、時代背景もあいまって、落語にはいわゆる放送禁止用語もばんばん登場します。
しかしながら、実は人を直接的に蔑んだりする表現や、害を与える様子をリアルタイムで描写するような噺はほぼありません。その理由として、落語家・立川談慶氏は著書『教養としての落語』でこのように語っています。
やはり、落語とは「皆でニコニコ笑って楽しめる」という最大公約数的なところを理想とした芸能なのでしょう。(中略)今の日本には、様々な「笑い」が溢れています。時折立ち止まって、「その笑いに”品”があるかどうか」を考えてみてください。差別をしたり、相手をこきおろしたり、おとしめたり、一方的に傷つけたりといった笑いが、本当に心を豊かにしてくれるものでしょうか。
禁止されるほどやってみたくなる心理現象を「カリギュラ効果」といい、得てして人は制限されたものに惹かれがちです。特に、いわゆるおもしろ系の記事を考えるときは、ついセンシティブな表現を使いがちになってしまう……という経験をしたこともある人がもしかしたらいらっしゃるのではないでしょうか。
そんなときは立川談慶氏の言葉のとおり、「本当にこの企画に笑いが必要なのか」を考えてみてはいかがでしょう。記事中を通してお伝えしてきましたが、「おもしろさ」は笑いだけから生まれるわけではありません。自分の世界観と合った表現ができているかを、今一度見直してみるのもよいのではないでしょうか。
まとめ
「起承転結は考えなくていい、登場人物の役割を確立させよう、自分にしかできない世界観を考えよう、人を不幸せにしないことを心がけよう」という4つのアイデアを紹介しました。
企画や記事のヒントは思わぬところに隠れています。今回は落語をもとにしたアイデアを紹介しましたが、自分の趣味や暮らしにフォーカスしてみれば、意外な発想が見つかるかもしれません。
月並みな表現ながら、日々いろいろなトピックスにアンテナを立てておくことが編集者としては重要なのでしょう。インプットとアウトプットを大切に、これからも日々邁進していきたく思います。
以上、あっきーでした。