1000本突破
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命の尊さを説く稀代の名作!『火の鳥:鳳凰編』

おきく

2020年末から『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が大ヒットを続けていますね。

私自身も実際に劇場に足を運んで、煉獄さんの一言「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」という言葉に心が打たれました。私のように、この「生きる」ということについて大きく胸を打たれた方も多いのではないでしょうか。それが大ヒットの要因であると私は思っております。

生きる」というテーマについては、個人的に「鬼滅の刃」よりも心が打たれる作品があります。それは、手塚治虫先生の名作『火の鳥』です。この作品は、人はなぜ生きるのか、何のために生きるのか、ということについて深く描かれております。『火の鳥』の代表作ともいわれている「鳳凰編」を元にして、自分が一番心に残ったシーンをご紹介できればと思います。

『火の鳥』とは

作者は手塚治虫さんで、1954年〜1986年と30年以上に渡り連載を続けてきた漫画です。

火の鳥とは本作品の主人公で、フェニックス(不死鳥)をモデルにしているそうです。物語の中で「火の鳥の血を飲んだ人間もまた、永遠の命を得ることができる」という伝承があります。「黎明編」や「未来編」など時代ごとに章分けされており、各時代の人々が火の鳥の永遠の命を求め、生きることについて嘆き苦しみ喜ぶという姿が描かれています。

鳳凰編とは

今回のテーマ「鳳凰編」は1970年頃の作品で、単行本の5巻~6巻に収録されています。

聖武天皇が奈良の平城京の東大寺に大仏を建立した「奈良時代」を舞台としています。主人公は二人いて、一方が人間として大きく成長していき、もう一方は堕落しやがては悲劇的な最後を迎えるというストーリー展開となっています。

我王
生まれてすぐに不慮の事故に遭い、片腕を失い、片目が潰れてしまう。人々から忌嫌われており、青年になるときには都の盗賊となり、恐れられる。
茜丸
「大和の茜丸」といわれるほどの有名な彫刻家で、彫刻を作ることに対して強い情熱を抱いている青年。旅の途中で我王により右腕を斬り付けられてしまい、右腕が使えなくなるが、努力で左腕だけで彫刻を掘れるようになるまでに復活。

人々を救う仏師として成長していく我王

五体不満足の大悪党である我王。もはや手をつけられない状態にまで荒れていましたが、恋人である速魚の死(というよりも我王の勘違いによる殺害)や、良弁僧正との出会い、全国行脚の旅を通じて、人間として仏師として大きく成長していくことになります。そして良弁僧正が即身仏になったことがきっかけとなり、人は何のために生きるのか、死ぬために生きなければいけないのかということについて考えるようになります。やがては人々を救う仏師として成長していきます。

権力と名誉欲に溺れる茜丸

一方……努力を重ねて左腕を右腕と同様に使えるようになるまで復活した茜丸。その後も情熱的に彫刻を作成を続けていき、やがては朝廷からも注目され、東大寺の建立の制作責任者として任命されるようになります。しかし朝廷内に蔓延る腐敗に感化されたのか、自身の支援者を巧みに操ったり、多くの人々が苦しんでいることを尻目に建立を続けたりしていきます。時がたつにつれて、情熱的だった彫刻家の姿が見る影もなくなっていきます。

そして鬼瓦制作で直接対決

東大寺の建立の残り作業としては、屋根部分に設置する鬼瓦のみとなりました。当初朝廷は、開発責任者である茜丸に制作依頼しておりましたが、我王の噂を聞きつけ、我王と茜丸の二人に競わせ良かった方を設置する方向となりました。我王としては、都の政治利用のための制作は、まったくもってやりたくないと断ったものの、捕らえられてしまい渋々制作を行うことになります。一方、茜丸としては、ここで負ければ今まで築いてきた地位を失ってしまうのではないかということで、必死になります。

そして制作に取り掛かった二人。明暗が分かれていきます。

怒りのエネルギーをぶつける我王

我王は制作にあたり、今までの生い立ちのことを考えます。不慮の事故で五体不満足となり、周りから忌み嫌われていたこと、人々が苦しんでいるにもかかわらず重税を施す朝廷など、怒りのエネルギーが頂点に達します。そして怒りの頂点に達したところに、目の前に火の鳥が現れます。我王は、火の鳥から自身の子孫の末路についての映像を見せられ、さらに苦しむことになります。しかし火の鳥に「苦しくても辛くてもそれでも生きるのだ、その怒りの感情をすべて目の前のものにぶつけるのだ」と説かれ、やがて制作に没頭します。

まったく意欲が湧いてこない茜丸

一方茜丸は、まったくもって制作が進んでいない状況です。なぜなら、以前と比べて制作に対する思いが大きく失われていたから。彫刻作りの旅など、左腕を使えるように努力していた当時の熱い気持ちが失われてしまったことに気づいてしまったのです。もはや茜丸は神頼みというような状況となっていきます。

勝負の結果

この勝負の結果は、強い情熱を注いだ我王の勝利となりますが、茜丸の策略により、結局は敗北に追い込まれてしまいます。やがて我王は片腕を切り落とされてしまい、都を去り、山奥に移り住むことになります。

物語の結末

その後、茜丸は正倉院に発生した火事を止めるべく奮闘しますが、焼死してしまいます。命が消える最後の瞬間。火の鳥が目の前に現れて、もはや人間として生まれ変わることがないと告げられます。

一方、山奥に移り住んだ我王は、上っていく太陽を見て大泣きします。「こんなに美しいものを見ることができるのは、自身が生きているから。生きていることによってこの感動を味わえているからだ」と。両腕がない状況ではあるものの、口だけでも彫刻を掘り続けて、力強く生きていくことを誓います。

ざっくりとなりますが、物語は以上となります。

考察

ドン底の人生から這い上がっていき、大きく成長していく我王。一方で努力で彫刻家として名を上げたものの、やがては堕落していく茜丸という対比表現になっていますね。手塚治虫先生がこの作品を通じて伝えたかったことが何か、自分なりの考察はこちら。

人は変われるし、あっという間に変わっていく

人間の寿命は伸び続けているとはいえ、80年足らずという状況です。そのなかで、大きな挫折やうまくいかないこともたくさんあると思います。栄華を極めることもあるでしょう。限られた命のなかで、努力をすれば我王のように変わることもできるし、驕ってしまえばあっという間に堕落するということを伝えたかったのではないでしょうか。

人として生まれたことを噛み締めること

あらすじでは触れていませんが、この作品は「輪廻転生」についても語られています。亡くなれば次は獣、虫……と生死を繰り返すことについて、良弁僧正は我王にこのように説いています。「輪廻転生によって生まれ変わるものの、次は二度と人間に生まれ変わることはないかもしれない」。つまり手塚治虫先生は読者に対して、「人間として生まれたことを日々強く噛み締めて、一生懸命生きてほしい。生きていれば辛いこともあるけれども、その逆に喜びも楽しみも感じることができる」ということを伝えたかったのではないかと思います。

現代に生きる自分にとって

私たち人間は、死という宿命に日々近づきながら生きています。生きているという喜びを感じられる時間は、本当に限られています。生きているなかで辛いことや悲しいことはたくさんあるでしょう。逆に、喜びや楽しみもたくさんあります。次は人間に生まれ変わることがあるかどうかもわかりません。この本を通じてあらためて感じたのは、生まれたことを強く喜び噛みしめながら、力強く生きていこうということです。生きていて無駄な日は1日もない、人生はあっという間です。LIGのテクニカルディレクターとして力強く生きていこうと思います。

P.S.

このLIGブログを書くにあたって、自分の目の前にも火の鳥が現れました! 力強く一生懸命書きなさいと! 生きる思いをブログにぶつけるのだと! 一生懸命書きました! 最後までありがとうございました!!