みなさんおはこんばんちは!
私、2018年10月LIGに入社しました長島、通称「ミスター」と申します。
ナガシマという名前なので終身名誉監督より勝手に「ミスター」をいただき名乗っています(「そもそも漢字が違うじゃないか」というツッコミ、ありがとうございます)。
LIGでは、主に「door」というインフルエンサープラットフォームに関するお仕事をしています。
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私ミスターは「人」に特化した広告を生業としています。「人」を起用して場所やサービス、商品の知名度をあげたり、「人」と「人」を繋いで物事をうまくいかせたり……。「人」が大好きで、毎日楽しく「人」と過ごしています。
そうなると、私の書くLIGブログでも、大好きな「人」を紹介していかなくては、と思っています。ミスターがたくさんの人に知ってもらいたいと思う「あの人」に逢いに行き、突撃してくる、そんな企画です。
記念すべき第一回目の「突撃! あの人に逢いたい!」で特集するのは、ZUKKY(ズッキー、本名:鈴木幸治)さん。
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ZUKKYのInstagram
ZUKKYは「ALS」という難病の患者です。その難病と戦う取り組みを始めた彼のことを、ぜひ知っていただけたらと思っています。
ZUKKY(ズッキー)のプロフィール
本名:鈴木幸治。1980年3月15日、福岡県直方市に生まれました。子供の頃から野球に没頭する、元気で明るい男の子でした。
23歳のときに上京。アパレル業界で活躍することを夢見て東京へとやって来ました。
アパレル店員をしながら、夜は飲食店でアルバイトをする、そんな生活を送っていました。人と話すことや触れ合うことが得意だった幸治はコニュミケーション能力を買われ、人気ブランドやアパレルメーカーで活躍していました。
やりたいことを自分の力でやり遂げる。自分の後輩にはやりたいことをもっともっと持ってもらえるようにする。後輩にも上司にも好かれる、そんな幸治の思いは多くの人の心を動かして来ました。
ALSについて
ALSの発覚
2017年2月、出張で飛行機に乗ったときのこと。荷物を持ち上げようとした幸治は、手にこれまで味わったことのない違和感を覚えました。
そのときのことを「思ったように腕に力が入らない。物を掴む力を入れると少し痛みに近いものを感じた」と幸治は話しています。
それが難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の始まりでした。
2017年2月、出張から東京に帰って来た幸治はいくつもの病院を転々とすることになります。この、「手の違和感」の原因がわかりませんでした。いくつかの病院で診察を受ける中、なんとALS(筋萎縮性側索硬化症)の可能性があることがわかりました。しかし病院は安易に告知をすることはできません。慎重な検査が続きます。
そして、あの「違和感」から約5ヶ月後の2017年7月、幸治は正式にALS(筋萎縮性側索硬化症)の宣告を受けました。宣告を受けた幸治はこんな風に受け止めたと話します。
「SNSや本などで名前くらいは知っていた病気だが、まさか自分が診断されるとは思ってもいませんでした。当時の彼女と一緒に病院で病気の話を聞いたのですが、彼女や友達、会社の仲間に申し訳ないという気持ちを強く感じました。一人になると未来への不安に、全身を覆いこまれたことを覚えています」
ALSという病気
さて、みなさんはこのALSという病気をご存知でしょうか?
身体を動かす神経が変性し、全身の筋肉の動きに障害が及ぶ進行性の神経疾患。新たにこの病気にかかる人は、人口10万人当たり年間1~2.5人。国が指定し治療費の公費補助のある特定疾患の一つであり、受給者は全国に約9000人いる。発症年齢の平均は60歳ぐらいだが、40歳以下で発症する例も約1割程ある。
引用:コトバンク
ALSは正式名称「筋萎縮性側索硬化症」という病気です。簡単に説明すると、手・足・顔などの筋肉を動かすためにはたらく脳の神経細胞が侵食されてしまう、という病気です。人により発症や進行の違いはありますが、呼吸をするための筋肉もうまく動かすことができなくなってしまうため、発病から早くて3年、4年で自分での呼吸もできなくなってしまいます。
……すなわち病気の発症から余命3年から4年ということも、大いにありうるのです。
医師からの情報と自分なりに病気のことを調べた幸治は、ALSのことを知れば知るほどに心が重くなりました。
近しい仲間に話せばたくさん心配してくれて、時には涙を流してくれる。「生活やお金のことは何も心配しなくてもいいよ」と声をかけてくれる人もいました。優しい言葉があればあるほど心苦しくなったと幸治は話しました。病気について話すことが体力を使うと考えるようになり、自然と自分を殻に閉じ込めてしまうときもあったそうです。
初めて両親に病気を告白したのが、2018年2月。幸治がALSの宣告を受けてから7ヶ月が経っていました。
病院での診断とリハビリを続けていますが、この病気はいまだ「治療法」が正確に見つかっていません。日本国内で1万人弱の患者がいるといわれているこの病気に「完治」の前歴はないそうです。
幸治はこの2月から、脚をうまく動かすことができなくなっていました。転倒してしまい足の骨を骨折。それ以来、車椅子での生活を余儀なくされています。
ALSに対する今のZUKKY
2018年夏、幸治は同年代に自分と同じALS患者がいることを知ります。その患者さんは病気を色々な人に知ってもらうための活動をしていました。
自分にも、何かできることがあるのではないだろうか?
自身の病気を克服するために、そしてALSという病気が「治る病気」になるために、何かできるのではないか? ということを考えるようになりました。
一緒に悲しんでくれた人たちのためにも、自分が笑顔でいるためにも。この病気のことを多くの人に知ってもらえるよう、幸治は「ZUKKYZプロジェクト」の活動をはじめました。
自分の得意な洋服をつくることから、はじめています。この洋服を通して、ALSという病気のことをたくさんの人に知ってもらいたいと願っています。
売り上げの大半は「せりか基金」という団体に寄付をしています。せりか基金は、ALSを治すための研究を応援する団体です。
小さなことからではありますが、幸治は「ZUKKY」としての活動をはじめたのです。
ZUKKYからのメッセージ
私を知ってくださったみなさんへ
この記事を読んでくださったみなさま、初めまして。鈴木幸治改め、ZUKKYといいます。
記事にもありましたが私は約一年前にALSという難病の告知を受けました。ALSという病気は未だに解決する方法が見つかっていません。むしろ原因も定かになっていません。数年の余命を宣告されていながら30年以上も生き抜いたという患者さんのケースもあります。
この病気は特質なもので脳や五感は正常に動き続けています。つまり自分が思ったり考えたりすることはできるのに、それを手や足が答えてくれません。まさか自分が。そんなはずがない。毎日そんな気持ちだった一年前と今を比べると、今は何よりも「生きたい」という気持ちが強くなったように思います。この病気になって前向きに考えられるようになったこともあります。多くの人に会ったり話せたりすることに、とても大きな幸せを感じるようになりました。
車椅子に乗っていて自分を指差す人もいます。でも、もし気になったらぜひ声をかけてほしいと思います。「かっこいい車椅子だね」そんな風に声をかけてくれたおじさんがいました。僕はそれだけでもとても嬉しかった。
私たちは同じ人間の一人です。
このALSという病気がこの世の中にはあって、ALSと一緒に生きている人がいること。
ALSだからって変に気を遣わないで普通に接してほしいと思います。
世界中からこの病気がなくなるために僕は僕ができることをがんばります。
おわりに
ミスターは引き続きZUKKYプロジェクトを応援します。ZUKKYさんが笑顔を絶やさぬよう、自分のできることをしようと思います。読んでいただいたみなさま、ありがとうございました。
今日の間違い探し
さ〜て、ミスターブログ最後のお楽しみ、間違い探しだよ!
ぜんぶで5つの間違いを見つけてね!
答えは第二回のお楽しみ! それではまた!