どうして「お疲れさま」はOKなのに「ご苦労さま」は失礼なの? 正しい使い方とその変化

どうして「お疲れさま」はOKなのに「ご苦労さま」は失礼なの? 正しい使い方とその変化

トギー

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こんにちは! ライターのトギー(@tototogy)です。
日々の生活の中で、ふしぎな言葉や文化に出合うことがあります。

例えば、「お疲れさま(お疲れ様)」と「ご苦労さま(ご苦労様)」。

目上の人に対するあいさつとして、「ご苦労さまです」を使うのは失礼だと言われることがあります。無難なあいさつして使われているのは「お疲れさまです」。

これ、ふしぎだと思いませんか? 「お疲れ」も「ご苦労」もニュアンスは似ているのに、どうして「ご苦労」という表現だけが失礼にあたるのでしょうか?

その真相を知るべく、「お疲れさま」の方が適しているとされる理由や、正しい使い方、その歴史的背景をひもといていきましょう。

もともと「ご苦労さま」は、立場が低い者が目上の人をねぎらう言葉だった

「ご苦労さま」のあいさつは目上の者が使うべきとする理由としてよく挙げられるのは、“武家社会において主君が家来の奉公を労う言葉としての「ご苦労であった」が語源であるから”というもの。時代劇でも、よくそんな場面を見る気がします。

しかし多くの言語学者が、この主張に異を唱えます。

例えば日本語学者の飯間浩明先生。著書『遊ぶ日本語 不思議な日本語』の中で、18世紀の文書で見られた家来から主君へのあるあいさつを紹介しています。

御苦労千万、今宵ももはや九つ、しまらく御まどろみあそばされよ」
(現代語訳: 明日は暗いうちからお城へ参上なさるのはご苦労この上ないことです)

出展: 浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」

目下である家来から、目上である主君に対して「ご苦労」とあいさつしていることがわかります。主君の者が家来の苦労をねぎらうときには、ご苦労ではなく「大儀であった」が使われていたそうです。

社会言語学者の倉持益子先生もこの主張を支持。論文「『御苦労』系労い言葉の変遷」では、18世紀の文書「唐辺僕術」の中のこんなやりとりが紹介されています。

医者「これは御番、ご苦労。いつもよくお勤めなされます」
大家「これは忝い(かたじけない)ご挨拶」


参照元:武藤禎夫校註(1987)『安永期小咄本集』

医者が敬意を払うべき大家に対して「ご苦労」とあいさつしていますね。明治初期まではこのような使われ方が多いんだそうです。

目上の者が「ご苦労さま」を使うようになったのは明治時代

倉持先生は、江戸時代以降の文学作品に使用されている「ご苦労」のあいさつ表現を集計し、その使われ方の転換期は明治時代にあることを発見しました。

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出展:倉持益子(2011)「『御苦労』系労い言葉の変遷」明海日本語

明治時代初期までは目下の者から目上の者に対して使われることのほうが多かったそうですが、それ以降形勢が逆転。大正時代には目上の者が使うことが主流になりました。

その背景には、明治時代に誕生した軍隊の影響があると、倉持先生は考えます。

「ギイギイ、ご苦労だつた。ご苦労だつた。よくやつた。もうおまへは少佐になつてもいゝだらう。おまへの部下の叙勲はおまへにまかせる」

出展: 宮沢賢治「烏の北斗七星」1928年

幕末まで使われていた一種のサムライ言葉「大儀であった」という表現に古臭さを感じ、あえて別の表現を選んだのではないか、というのが倉持先生の見解です。

軍隊は戦争を経験しながら急速に影響力を拡大。彼らの「ご苦労」のやりとりが徐々に市民にも広がり、目上の者が目下に対して使うあいさつとして定着していったと推測されます。

「ご苦労さま」に現代的なイメージが定着したのは1980年以降

同じく倉持先生の研究によれば、「ご苦労さま」が目上から目下の者に対するあいさつであると定着したのは1980年以降とのこと。

その理由は、『学研国語大辞典』の中の「ご苦労」の説明書きの内容の変化から見て取れます。

学研国語大辞典初版(1980年)
ごくろう〔御苦労〕(名・形動)
  「苦労」の丁寧語
  他人のほねおりをねぎらう言葉として、また他人の行為・努力をあざける言葉としても使う

 
学研国語大辞典第2版(1988年)
ごくろう〔御苦労〕(名・形動)
  「苦労」の丁寧語
  目上の人に言うのは失礼とされる

初版には記載がなかったのに、第2版では「目上の人に言うのは失礼とされる」という説明書きが追加されていますね。

その後、多くの辞典で同様の説明書きがなされるように。現代と同じようなイメージが定着したことがわかります。

「お疲れさま」の起源は不明。地方では夕方のあいさつとして使われていた

一方「お疲れさま」の起源はどうなのでしょうか?

はっきりとした起源はわかっていないようですが、『日本国語大辞典』の方言の欄には、ある地域での夕方のあいさつだと説明がなされています。

『日本国語大辞典』
お疲れさま

  1. 夕方から夜にかけての挨拶の言葉。こんばんは。(長野県諏訪郡)
  2. ◇おつかれさん 新潟県新津市・中頚城郡
  3. 午後、人に行き逢った時の挨拶の言葉。(山梨県東山梨郡)

一方で、『ごきげんよう:挨拶ことばの起源と変遷』の著者である小林多計士さんによれば、「おつかれさん」は江戸時代以前の「ご苦労」と同じ意味合いとのこと。

もともとは、疲れていることが予想される夕方以降のあいさつが、「ご苦労」という表現と合体し、現代の「お疲れさま」というあいさつに変化したのかもしれませんね。

1990年代まで、「お疲れさま」は「ご苦労さま」と同じように使われていた

2015年の夏に放送された『タモリ倶楽部』という番組でのタモリさんの発言が話題になりました。

「子役がだれかれ構わず『お疲れ様です』といって回るのはおかしい。 〜中略〜 『お疲れ様』というのは、目上の者が目下の者にいう言葉。これをわかっていないんですね」

この話題を取り上げた『週刊ポスト』には、学者2人がコメントを掲載。どちらも「お疲れさま」は「ご苦労さま」と同様に上の立場の人間が言うものである、と主張しています。

1997年に出版された『新明解国語辞典第五版』にも、「お疲れさま」は上の立場の者が使うあいさつ表現であると説明されていました。

このように1990年代には、「ご苦労さま」と「お疲れさま」に大きな違いはなく、どちらも上の立場の人が発言すべきあいさつだと認識されていたようです。

「お疲れさま」が上下関係問わず使えるあいさつになったのは2000年頃

「お疲れさま」と「ご苦労さま」を同等に扱ってきたのが、2000年に入ると一変します。

明鏡国語辞典初版(2002年)
ごくろうさま〔御苦労様〕(感・形動)
 相手の骨折りをねぎらって丁寧にいう語。
 「遅くまで─でした」
 ▷目上の人に対しては「お疲れ様」を使うほうが自然

大辞林第三版(2006年)
ごくろうさま〔御苦労様〕(名・形動)
 「御苦労」をさらに丁寧にいう語。
 普通、目上の人には使わないほうがよいとされ、「お疲れさま」を使うことが多い。

どちらの辞典でも、目上の人に使う場合は「ご苦労さま」よりも「お疲れさま」が適している、と説明されています。これは2000年以降に出版された辞典に見られる傾向です。

今は「ご苦労さま」より「お疲れさま」のほうが使われている

このように紆余曲折を経たねぎらいのあいさつ。2005年の「国語に関する調査」では、仕事終わりのあいさつとして「お疲れさま」がもっとも多く使われていることがわかりました。

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出展:2005年度文化庁「国語に関する世論調査」

目上の者に対するあいさつでは7割近くが、目下の者に対するあいさつでも53%もの人が「お疲れさま」を選択。今や、「お疲れさま」は立場の上下に関係なく使われるあいさつになったようです。

なぜ「お疲れさま」だけが誰でも使えるあいさつになったのか? その理由は諸説あり

それでは、どうして「お疲れさま」は誰でも使えるのに、「ご苦労さま」だけが失礼にあたると言われるようになってしまったのでしょうか? その理由は諸説あるようです。

時代劇による誤解説

軍隊の中で使われていた「ご苦労じゃった」というセリフが、めぐりめぐってサムライ言葉と誤解され、時代劇で多用されるようになりました。そうして『ご苦労=立場が上の者が使う偉そうな言葉』というイメージが浸透し、日常生活で「ご苦労さま」と言うことに抵抗感が生まれたのでは、という説です。

一方で、「お疲れさま」にはそういった抵抗感がないため、代替表現として利用頻度が高まり、今や一般的に使われる言葉になったというわけです。

業界用語の「お疲れさま」が便利すぎて一般化した説

テレビや映像制作などの業界は日夜問わず働いているため、「こんにちは」や「こんばんは」といった時間を考慮したあいさつが面倒で、もっぱら「お疲れさまです」が多用されているとのこと。

その使いやすさが人気を集め、業界問わず「お疲れさま」というあいさつが好まれるようになった、という説明がなされることも。

“疲れ”は誰もが抱くものだから抵抗感がない説

最後は、言語学者の登田龍彦先生が“憶測”として紹介している説です。

「苦労」というのはかなりの努力の過程を含意し、使用するのを若者は敬遠する。これに対して、「疲れ」は誰でも倦怠感を抱くのでその言葉の使用に関して抵抗感はないのではなかろうか。

出展: 登田龍彦(2004)「挨拶表現『お疲れ(さま)』について:誤用における相互主観化」

どの説にも共通していることは、「ご苦労」には使いづらいイメージが多少なりある一方で、「お疲れさま」は使い勝手がよく、抵抗感が少ないということ。そういった親しみやすさの差が、「お疲れさま」は誰もが使えるもので、「ご苦労」は敬遠すべきものだと区別する文化を築きあげていったと言えそうです。

まとめ: 正しい使い方とその変化

「お疲れさま」と「ご苦労さま」の起源と使われ方の変化には諸説あるので断定はできませんが、今回私が調べたことをまとめてみます。

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言葉の意味や使い方は、時代や文化を反映させながら移り変わっていくんですね。

 
では、目上の人の労をねぎらうときに正しい表現は何なのでしょうか?

人それぞれに感じ方が違うので一概には言えませんが、現代の風潮を考えればやはり「お疲れさまです」が無難と結論付けられるでしょう。

ただし、昭和時代以前のイメージの強い年配の方には、自分より立場の低い人から「お疲れさまです」と言われると嫌悪感を抱くかたも少なくないようです。その場合には「お世話さまです」などの表現を使ってみたり、「お疲れさまでございます」といった丁寧な語尾をつけるなどの配慮があるとよいかもしれません。

とはいえ、こういったねぎらいの言葉に大切なのは、気持ちです。相手を本当に思いやった言葉であれば、どんなワーディングであっても伝わるはず。マナーばかりに気を取られて心が置いてけぼりにならないように、言葉には気持ちを込めていきたいものです。

おわりに

「言葉は変化するものである」、「言葉は生き物である」、そんな表現がされることがよくあります。

しかし、言葉の変化を知ることは、日本文化の変化をも知ることにつながります。言葉の意味表象の遷移を目の当たりにするたび、私は言葉が文化を旅しているように思えてなりません。

旅することばって、おもしろい!

トギーがお届けしました。それでは、また!

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真面目に生きてきました。そういった意味ではLIGの異端児かもしれません。え、真面目っておもしろみがないって? ええ私も同感です。こんなに真面目に生きてきたんだから、そろそろラオス住みたい。

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