拍手喝采に包まれ、観客に笑顔で手を振るアーティストたち。
カーテンコールの舞台はきらきらと輝いて見えた。
将来その中の1人と結婚し、ツアー生活を共にするとは想像もしなかった。
シルク・ドゥ・ソレイユのツアー生活
世界最高峰のエンターテイメント集団と言われるシルク・ドゥ・ソレイユ。
カナダのモントリオールに本社があり、今や世界中に18個(2015年9月現在)のショーを持つ。
アメリカのラスベガスに多くある常設ショーと、世界を回り続けるツアーショーがあり、それぞれにテーマを持つ18個のショーは、世界各国から集められた約1000人もの一流のアーティストたちによって、毎日観客を魅了し続けている。
そのアーティストの1人である私の夫は、「キダム」というツアーショーに所属している。私が合流したのは、2009年の南米ツアーから。キダムのアーティストとスタッフ、その家族や恋人たちを合わせると100人以上になり、まさに大家族で旅をしながら生活している形になる。
私の旅生活は南米のブラジルから始まった。
空港に降り立ったとき、湿気のある生ぬるい空気に迎えられたのを今でも覚えている。ホテルの前には椰子の木が並び、南国の雰囲気が漂っていた。
私はこれまでにアメリカ・ヨーロッパ・アジアなど50カ国以上訪れているが、ブラジルは今まで私が訪れたどこの国とも似ていない。雑然とした市場や町は、東南アジアに似ているようで売られている物はまるで違い、黒く日焼けした人たちが歩き回り、初めて聞く言葉が飛び交う。
強い日差しの下を、全く日焼けしていない東洋人の私が1人で歩くと視線が集まってくるのが肌で感じられる。
これからどんな生活が待っているのだろう。
初めての土地、初めてのツアー生活、日本人が全くいない環境での生活は生まれて初めてだ。
ブラジル人のカシアという少女に出会ったのは、私がツアーに合流して半年以上経ってからだった。
音楽を通して深まる絆
ブラジルの太陽みたいに明るくて、おしゃべりで、赤い髪、青い目をした綺麗な女の子。カシアと出会ったのは、ブラジル最大の都市サンパウロだった。
彼女はアーティストの1人の恋人だった。
私は英語があまり得意ではなかったので、彼女と出会うまでは深い付き合いをする友人がほとんどいなかったが、彼女とはすぐに打ち解けた。それは共通の好きなことがあったからだ。
初めて一緒に食事をしたときに、カシアは自分の夢の話をしてくれた。
「将来、歌手になりたい」と。大きな夢だ。きっと、ひと握りの人たちにしかつかめない厳しい世界。難しいだろうな、とそのときは思った。
数日後、ホテルの部屋で彼女たちと飲みながら話をしていたときのこと。
「カシアは歌がすごく上手いんだ。カシア、ちょっと歌って聞かせてみてよ」
彼女の恋人が言った。
少し照れくさそうに歌い始めた彼女の声は、かわいらしく色気があって、それでいて力強く伸びやかで、私の想像していたものを遥かに超えていた。カシアが話してくれた夢を、最初から無理ではないかと思っていた自分が恥ずかしく感じた。
彼女には才能がある。
「たしかマリ、ギターが弾けたよね? 持ってきて弾いてみてよ」
カシアの恋人はそう続ける。
お酒の勢いも少し入って、私はアコースティックギターを部屋に取りに行き、2人の前で弾き始めた。決して上手いとは言えない私の演奏をカシアはじっと聞いてくれていた。その美しい瞳を輝かせて。
キダムのショーの音楽は生演奏なので、7人のミュージシャンがツアーに参加している。カシアから「マリ、今からギターを持ってジムの部屋に来て」と電話があったのは、彼女の前でギターを弾いてからほんの数日後のことだった。
ジムはミュージシャンのリーダーで、キーボードやマンダリンを弾く。私が部屋に行くと、彼はマンダリンをエレキギターのようにかき鳴らし、それに合わせてカシアが歌っていた。美しい声、プロの演奏、それだけで音楽ができあがっていた。
カシアは私に気づき、歌を止めて言った。
「マリ! 3人でバンドを組もうよ!」
え!? 私も一緒に?
素晴らしい歌声を持つ彼女と、プロミュージシャンの彼と一緒に? 驚きと、恐縮と、嬉しさと、興奮と。いろんな感情が入り混じって出てきた。そこから私たちの短くも充実した音楽生活が始まった。
課題曲を決めてから、バーで初めての演奏をするまでには2週間もかからなかったと思う。
その日は心の底から楽しくて、私は日本から遠く離れた土地でやっと自分の居場所を見つけた気がした。
音楽を通して私とカシアは仲が一層深まり、普段もよく一緒に出かけ、お酒を飲み、私はつたない英語を使っていろんな話をした。
「私は日本が大好きだよ! 日本人はマリのことしか知らないけど、みんな優しくて礼儀正しいよね。いつか行ってみたいなぁ」
彼女はよく言っていた。
日本食は寿司とおにぎりしか知らず、日本人は私にしか会ったことのないカシア。実際に訪れて、本物の日本食や文化の美しさに触れ、たくさんの日本人と出会って、日本をもっと好きになってくれたら嬉しい。
南米ツアーの終わりと同時に、彼女との別れはやってきた。たった数ヶ月だったけど、音楽活動を含めた彼女との思い出は、私の心の中に大切な宝物として残っている。
彼女の言葉が教えてくれたこと
私たちが再会したのはそれから3年後のこと。場所はロンドンだった。
私たちが泊まっていたホテルにカシアが会いに来てくれたとき、彼女は泣きながら私に飛びついて来た。泣くつもりはなかったのに、私も涙が溢れてきてしまった。
3年の変化は大きい。私には子どもがいて、彼女は就職して英語の教師になっていた。たまにコンサートのバックコーラスとして歌っているそうだ。
ジムが弾く伴奏に合わせてカシアが歌い、部屋での短い再会の時間は音楽と共に流れていく。3年前の美しい記憶が鮮やかによみがえってきた。
カシアは私が作ったおにぎりを美味しそうに食べながら、1人でバックパックを背負って旅行したときの話をしてくれた。1人で旅行をするなんて、たくましくなったなと思う。ブラジルで会ったときは、まだ少女のあどけなさが残る19歳の女の子だったのに。
「ヨーロッパを数ヶ月旅行したの。そのとき、ドミトリーで日本人の若いカップルと一緒になったんだよ」
カシアは少し寂しそうな顔で話を続けた。
「でも、いっぱい話しかける私を変な目で見るの。ほとんど笑わないし、うん、うんって返事しかしないし。日本人がみんな優しいわけじゃないんだね」
おそらく、日本が好きな彼女は日本人に会えたことが嬉しくてたくさん話しかけたのだと思う。日本人のカップルは英語が分からなかったのかもしれないし、2人で話したいことがあったのかもしれない。でも、笑顔を見せて少しでもカシアの話を聞いて欲しかった。
海外に出ると、私たちは「日本人」という外国人になる。日本人を知らない人たちとの出会いもあり、日本人に対する印象が自分次第で決まってしまうこともある。
わたしとカシアは、たまたま共通の趣味があって仲が深まり、親友になった。しかし私は今まで「日本人に会ったことのない人」に対してどんな印象を与えてきただろうか。いつも笑顔で、平等な気持ちで、接してきただろうか。
彼女の話を聞いて、日本人としての自覚の大切さに気づかされた。
「日本人の顔」と言うと大袈裟かもしれないけど、海外に出る際にはそれくらいの気持ちを持って海外に出たい。そして、日本へ来た外国人にも、その意識で接するよう心がけなくてはいけないはずだ。
カシアには、いつか日本に行くという願いを叶えてもらい、日本で素晴らしい出会いに恵まれることを願いたい。そして、みなさんには、日本で暮らしていると薄れがちになる「日本人としての自覚」を忘れないでいてほしい。
もしかしたら、カシアが次出会う日本人はあなたかもしれないのだから。
期待しよう。自分に、そして世界に。
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ViSiON担当 しん のひと言 今、日本人が世界を快適にまわれるのも、これまでの旅人たちが築いてきた日本のイメージがあるからだと思います。世界を旅する人たちは、自分が “日本代表” くらいの意識を持っていたいものですね。 |
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