31にもなって約2週間仕事をせずにXのことを無心で追いかけてみる -5日目- #XJAPAN

舘 そらみ


31にもなって約2週間仕事をせずにXのことを無心で追いかけてみる -5日目- #XJAPAN

<第一期~Xに出会った頃の話 編>
※2015年12月5日正午から2015年12月6日正午までのレポートです

舘そらみです。

「理由もなく好き、それでいい」という境地に至ってしまいましたので、もう清々しくて。体もすこぶる調子がいい。横アリから大阪ライブまでの2日間、じっくり生気を養っております。

ライブ気分が抜けないらしく、友達からLINEが乱れ打ちされてきます。ちなみに彼女は職場の誰にもXファンだと言ってないらしく、信じられないくらい世のため人のためになる仕事をしているのですが、そうやって隠れXファンが世の中には溢れているのでしょう。ほら、あなたの隣も。仕事先の方からも一昨日、「実は私もXファンです! 横アリいますよ!」なんてメッセージが来て、全くそこかしこに隠れていらっしゃる。

さて、大阪に向かう前に、今までのXグッズを整理していました。とんでもない量が出てきて、Xって書かれたコンドームまで出てきて、どんなとっておきのときに使うんだいって感じです。HIDEちゃんのフィギュアなんて15人くらい居て、掛け時計も何個もあって、当時の私はなぜこんなにも集めたのか。てか金はどうしていたのか。どんだけバイトしてたんだ高校生。

写真もたくさん出て来ました。残っている写真の中で一番古いXモードの私の写真が、恥ずかしいけれど冒頭の写真です。お年玉でHIDEモデルの一番安いギターを買っての記念写真でしょうか。黄色いパーカーはHIDEを意識しています。胸元にバッチも見えます。壁にはXの何かがかかっていますけど、足元はパジャマだ、これは。てか、16、7年前の写真ってこんなに古臭いもんか? 私が古臭いからか?

好きって恐ろしい。当時の友人からの手紙もたくさん出て来ました。文通文化はもうほぼなかった世代ですが、Xファンは意固地に文通が好きでした。「直筆のほうが思いが通じる」とかの理由だと思うけれど、雑誌やインターネットの掲示板で友達を探しては、手紙の交換をしていました。

内容は、もう今言ってることと一緒。Xへの思いと、次のイベントへの決意と、互いへの感謝ばかり。同じだけれど、31が言う「Xが生きていく支え」は「またまたー」と笑って聞けても、中高生の「Xが生きていく支え」は笑っては聞いてられません。

中高時代の友人からの手紙を読んで、もう胸が張り裂けんばかりであります。福島に住んでいた、当時16歳の友人からの手紙がありました。X関連に来られるように、と定時制の高校に通いながら必死にバイトして、毎週のように東京にやってきていました。今から思うとその努力はどんだけだったかと、31歳の私は思うのです。とてもとても仲が良くて、でも20歳前に、男を追いかけてどっか行ってしまって連絡が取れなくなってしまった子。

「7/20のチケ、ありがとうね❤❤ 本当感謝してます❤❤ 最近ほんとたるんでたから。この日に向けて、気が引きしまったよ。7/20まで、毎日頑張ることにした。その頑張ることは、

1. 学校もバイトもさぼらない
2. Xを極める
3. ムダ使いしない

これを頑張る。涙薔も高校受験頑張ってね。今は辛いけど、明るい未来が待ってる。今をのり超えよう。いつも頑張ってねしか言えないけど、私はずっとこっちで応援してるからね」

切ない。切ない。この子たちは(自分も含めて)、なぜ中高という輝かしいときに、こんなにもXを基準に生きているんだ。なんでこんなにも刹那的なんだ。切ないです、31歳。

ということで、私とXの歴史を辿ってみる。本日は、第一期の話。そらみ、10歳頃から15歳頃までの、義務教育時代の話を堂々と垂れ流し。こうやって、私は作られました。

94年頃(10歳)

Xとの出会い。はっきりとは覚えてないが、アルバム「Jealousy」が契機。

当時、外国に住んでいた私は日本の音楽を全く知らなかったが、夏休みに1か月帰国した際、「なんか日本のCDでも買おう」と祖母にもらったお金を握りしめてCD屋に行き、気づいたらXの “エ” の字も知らないのにジャケ買いしていた。なぜ買ったかは未だに不明。運命とか思っちゃっている。聞いた瞬間から衝撃を受けるが、「クラシックとフォーク以外は流されない」家であり、すぐ外国にも戻ったため、Xという人たちが何なのかさえ知らないまま憧れはじめた。

95年頃(11歳)

Xとしてはツアーが行われたり中止になったり、メンバーの不仲や解散の噂が流れる非常に辛い時期だったが、かくいう私はそんなことを一切知らず、南国でマンゴに囲まれて育っていた。「なんかこの声キンキンするね」「うるさい」そんな家族の声に委縮し、持っているたった一枚のCDを自分の部屋でイヤホンさして隠れて聞く毎日。インターネットもなかったためXのことは一切知らなかったが、時間さえあればCDを聞き、付いていた歌詞カードの写真を見つめ続けていた。

96年頃(12歳)

Xとしてはアルバムがリリースされるなどしていたが(それ以降リリースされていない)、依然として私は南国の地でタランチュラに囲まれて生きていた。そうして年末、帰国。やっとビデオをレンタルし、夜中に隠れて見る。Xがどういう恰好をしている人たちなのかを知り、初めドン引くものの、どんどん心惹かれてしまう。

久しぶりの日本にただただ絶望し、「この世は敵ばかり」の思いを強めていくなか、Xにどんどん依存していった。いっちばんやばく切羽詰まったときに、Xの曲(Longing)を聞いて救われる。この頃より、HIDEという存在が猛烈に気になりだすが、ちょっと理解不能なお兄さん過ぎて、遠くから隠れて覗くような感覚。

97年頃(13歳)

中学に入学し、やっと「Xが好きだ」と人に言えるようになってくる。Xが好きだというカッコよさげな男子と話せたりも嬉しかった。好きなXを口に出せることでもうはしゃぎまくってどんどん好きになっていく。

そんな頃、X、解散。ちょっと理解ができなかった気がする。解散の意味するところが分からなかった。HIDEが「解散を認めない」的な発言をしていたこともあり、解散なんてしていない気がしていた。

どんどんHIDEに惹かれていく。学校の机にポスカでロゴを書き、下敷きに書き、テニス部で使っていたラケットにも書きまくっていた。解散の最後のステージとなった紅白歌合戦の映像を繰り返し繰り返し見ながら、やはり「解散ってどういうことなんだろ?」と思いながら年が明けたのを覚えている。解散の衝撃よりも、「マジでかっこいい!」という絶え間ない衝撃に虜になっていた。訳も分からずXの映像を見続けていた。

98年頃(14歳)

元旦早々、新聞に「HIDEのソロ活動加速!」という一面広告が打たれる。これは、HIDEによる「Xを失ったファンが行き場所に困らないように」という配慮であった。私も、どんどんHIDEの活動にのめり込んでいく。初めてCDを予約して発売日に手にいれる。

HIDEがオールナイトニッポンをやっていたので深夜ラジオを聞くようになったり、原宿のHIDEのお店に行ったりと、とにかくHIDEをきっかけとして自分の行動も変わっていった。学校の美術の時間には何かとXやHIDEを使った作品を作るなど、もう何も見えていない時期。こんな尊敬できて刺激的な人が居るのかと革命が起こった思いで、HIDEのすべてを逃したくなくなっていた。CD連続発売、そのあとのツアーが発表され、いよいよ私もHIDEの活動にどんどん乗って行ける時期が来るのかとワクワクした。「何と言おうとHIDEのライブに行くから」と母親に宣言もしていた。

そして、HIDE死去。学校で聞いた気がするが、よく覚えてない。そのあとの数日はよく覚えてない。どうしていたんだろう。本当に覚えていない。

ワクワクしながら予約していたCDは、予定より少しだけ遅れながらもしっかり発売され、「ジャケットが面白いから」と嬉しそうにラジオで語っていたとおり、遊び心満点だった。元気なHIDEの姿を繰り返し繰り返し見て、CDを繰り返し聞いていた。直後の追悼ライブや本人不在のツアーにも行った。HIDEと名のついたライブに行ったのはそのときが初めてで、画面の中のHIDEとの対面だった。どういう感情を持っていいか分からず、呆然としていた。

そしてそのうち、HIDEの映像やCDが聞けなくなっていった。時間がしばらく経ってから、「私はこの人と会えないのか。置いてかれてしまったのか」という事実に気づき、愕然とした。学校も猛烈に楽しくなく、HIDEやXに理解がない親とも、とてもギクシャクしだした。どんどん「Xしかないのに。HIDEしかいないのに。なのに、もうどちらもない」の思いにやられながら、どうしていいか分かんなくなっていた。ような気がする。学校が終わると赤いスプレーで髪の毛を染め、カラオケに行くとXジャンプを周りにも強要するようになる。ただお金もなかったので、頭のてっぺんだけスプレーで赤くするという非常にダサい感じだった。ちなみにこのころ、生まれて初めての彼氏ができたが、彼氏の顔も今ではおぼろげ。

99年頃(15歳)

このころ、発作のように「Xが好き」と言いふらしていた。言わないと、どんどんXやHIDEが遠くに行ってしまうような気がしていた。でも言うたびに、「自殺したよね」と言われることにもう耐え切れなくなって、HIDEのことを好きな人以外に会いたくなくなっていた。

少しずつインターネットで知り合った人たちと会うようになっていった。でもかなり年上の人たちばかりで、あまり馴染めなかった。そのころ、冒頭の手紙をくれた、ひとつ違いの子に出会う。初めて同じようにHIDEに強烈に惹かれて、同じように「もっと早く生まれたかった」と痛烈に感じている仲間と会うことで、もう私のX・HIDEへの猪突猛進に拍車がかかった。

大人と会い、地方出身の友達と出会うことで行動範囲が大幅に広がり、家に居る時間が極端になくなっていった。生まれたときから貯めていたお年玉貯金も急速に減りはじめ、家族とどんどん変な感じになっていったが、「家族よりHIDEちゃんのが大事」という悪魔のような言葉を言いながら全く気にしてなかった。ちなみにこのころ、告白をされて舞い上がって付き合うも、その人が私に告白する一週間前に私の友達に告白していたことが判明し、顎が外れる。

という、義務教育時代。もうほぼ薄れた記憶を辿りながら気づいたが、このとき出会ったX友達とは、もう誰1人連絡を取っていない。







31の今にして、寂しかったんだろうなあと切に思う。寂しくてたまらないあのころの私の心の隙間に、Xはすっと入り、慰め続けてくれたなあと思う。文字通り夢見させてくれた。依存していた部分も多分にあったと思う。

ここで義務教育が終わり、高校時代が始まるわけだが、それはもう、XとHIDEを追いかけて追いかけて、「私たち、文化継承者ですから!!!」の全盛期へ入っていく。

友達からそのころ届いた手紙にこんな文面を発見した。「1秒1秒を無駄にしちゃいけないなって。そのときそのときを全力投球で生きていきたいよ。たまに落ち込むこともあるけれど、うちらのX人生はまだまだ始まったばかり……。スピードつけてガンガンいこうぜ!!」

なんたる決意。もうバンドもないのに、「X人生はまだまだ始まったばかり」という子供たち……。

さて、それから16年。明日から、大阪にまいります。おい15歳の私よ、すごいだろ、31歳になったらいろんな土地にも行けるんだぞ、何よりXが存在してんだぞ。

今日は、明日以降が万全の旅となりますように、マッサージへ行き、美容院へ行くのです。馴染みの美容師さんに「HIDE要素の髪型にしたくなっちゃった」と送ったら、「そらみさん、しばらく髪の毛メンテに努めるって言ってましたよね……」って怒られた。どうしようかな。

てか、私出張が多いから荷造り慣れてるはずなのに、今回はちっともはかどらない。何を持っていったら「万全盤石」になるのか、あーでもないこーでもないと悩んでおります。

 

私の追っかけスケジュール
12月2日 横浜アリーナ【終了】
12月3日 横浜アリーナ【終了】
12月4日 横浜アリーナ【終了】 
12月7日 大阪城ホール【決定】
12月9日 マリンメッセ福岡【決定】
12月11日 広島グリーンアリーナ【決定】
12月14日 名古屋・日本ガイシホール【決定】
12月15日 ライブビューイング【決定】
私の追っかけレポート
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sorami 舘そらみ
脚本家・俳優。劇団「ガレキの太鼓」を主宰、青年団演出部所属。現在は執筆活動のかたわら、全国の小中学校などでワークショップを行っている。脚本を手がけた映画「私たちのハァハァ」公開中。Twitter:@_sorami

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外部ライター 東京

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