「ITバブルよりも、目の前のデザインに必死だった」Web黎明期以前から走り続ける制作会社| 株式会社テイ・デイ・エス

「ITバブルよりも、目の前のデザインに必死だった」Web黎明期以前から走り続ける制作会社| 株式会社テイ・デイ・エス

田中雅大

田中雅大

こんにちは、ペロンパワークスの田中です。

弊社は紙のカタログやWebコンテンツを制作する編プロなのですが、仕事をしていると“同じ情報でもデザインによって伝わり方がまったく異なる”ということを日々実感しています。

さて、今回ご紹介する会社は、“デザインで価値を創出する”という理念を掲げる株式会社テイ・デイ・エス。プロモーションツールからブランドロゴなどのCI/VIまで、紙やWebを問わずデザインに関わる制作物をすべて手がけています。

創業は1979年と古い歴史を持ち、デザイン業界では老舗といえる同社が第一戦で走り続けてこられたのは、「先取的に時代のニーズに応えようとしてきたから」と取締役の緒方理衣子氏は語ります。デザインの仕事を通じて見た仕事の価値観、そして見る人に伝わる設計の秘密は何なのか、ジェネラル・マネージャーでWebプロデューサーの池田圭一氏とともにお話を伺いました。

Poole:アイコン_TDS様02 人物紹介:緒方理衣子氏
コピーライターとして入社後、テイ・デイ・エスがWebサイト制作を始めた1995年頃からWebプランナー、Webディレクターを担当。その後、Web制作セクションの牽引者として、自社のWeb事業をさまざまな形に変化させながら今の形に。現在はWeb事業の担当役員として、社内ハイブリッド化(Web対応力拡大)を推進している。
Poole:アイコン_TDS様00001 人物紹介:池田圭一氏
2005年入社。大型プロジェクト案件やオフィシャルサイト、メーカーの製品サイト・プロモーションサイト等の制作ディレクションにおいて実績多数。2012年に開発チームのリーダーとして4本の自社アプリをリリー スしたほか自社サービス開発を担当し、社内マルチデバイス対応の基礎を作る。また社内ハイブリッド教育の講師として、グラフィックデザイナーのWeb対応強化にも力を入れている。

20年前にWebチームを発足。見積りの金額すら誰も分からなかった1年目

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同社がWeb制作セクションを起ち上げたのは1995年のこと。その時代は、まだインターネット黎明期の頃でした。

緒方
私はコピーライティングの業務を手がけていたのですが、いきなりWebのチームに配属されたんです。誰も教えてくれる人がいないので、まず本を買って独学でHTMLを勉強をして。当時はメールアドレスも1社にひとつしかないような時代で通信速度も遅かった。

だから、当時の案件で求められる第一の要件定義は、サイト構築を“軽くすること”でした。メインの画像は一応Photoshopで作るんですけど、重さに制約があるからやたらテキストの多いサイトになったり(笑)デザイン以前の制約が多かったので苦労はしました。

当時は右も左も分からず、「勉強に必死で、Webに未来があるとか考える余裕もなかった」という緒方氏。それでもクライアントと一緒にサイトを作り上げていく楽しさは、非常に新鮮な体験だったと話します。

緒方
HTMLも手打ち入力で、表示されないものがあったら目を細めて余計な半角スペースを探すこともありました。

あと、そもそもMacとWindowsってフォントも含めて当時は今以上に見え方が違うじゃないですか。だから「見え方が違う」というご意見をいただいたとき、OSの違いから必死にクライアントに説明することもあって。そういう地味な苦労はありましたが、クライアントも含めて「一緒に良いものを作り上げていく」という目標を共有できていたし、仲間意識は高かったですね。

設立当初、Web制作セクションの人員は数名しかおらず、人件費を稼ぐ必要がありましたが、利益が出るまでは苦労もあったようです。

緒方
まず、見積りを出す基準が分からない。当時は紙と比べて「Webは簡単に修正できる」「Webは安い」という偏ったイメージが先行していました。デザイナーよりもエンジニアのほうがまだ少なく、ちゃんとした人日計算もできないし、とりあえずページ単価を設定して作ってみたら会社にお金が全然残らなかった案件も少なくありませんでした。

その後、Web業界は2000年前後にいわゆるITブームを迎えます。ただ、そこで飛躍的なブレイクアウトを経たわけではありません。

緒方
今まで一時的に大きく売上げが上がったり下がったり、というのがないんですよ。ものすごく地道に仕事していて、それにともなって徐々に売上げも伸びていった印象です。だからITブームの頃も、その後業界の停滞期といわれた時期も、一緒に仕事をしてきたクライアントは離れなかったし、ただただ業務に集中する日々でした。

もちろん実務面では分業制を進めるなど、変化はありました。マークアップエンジニアとデザイナーの領域をきちんと分け始めたのもその頃だったと思います。ただ、弊社の強みは当時も今もトータルサポートであることなので、「これできる?」と求められれば、断らずにチャレンジしていきました。

“できることをやる”のではなく、何とかしがみついて“できるようにしていった”のが、Web制作セクションの最初の10年だったと思います。

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商業雑誌のほか、PRツール、販促カタログなど紙メディアを中心にコンテンツ制作を行う(株)ペロンパワークス所属。

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