はじめまして。
戦後70年の“知らなかった”と出会うウェブメディア「70seeds」編集長の岡山です。
縁あって、LIGブログで「戦後70年の○○事情」を連載させていただくことになりました。身近なあれこれを通して日本の戦後70年に触れるきっかけとなれば幸いです。
さて、“ビジネスマンの夏といえばビール!”ですが、「とりあえずビール!」と言われるほど日本でビールが飲まれるようになったのはいつごろなんでしょうか。
そもそも戦時中はビールなんて飲んでる場合じゃなかったのでは・・・?
今回は、ビールの専門家として多くのメーカーとのコラボレーションにも取り組んでいる「ビール女子」編集長の瀬尾さんに、「とりあえずビール!」が生まれたワケを聞いてきました。
瀬尾 裕樹子(せの ゆきこ)さん 2013年、当時群馬県の嬬恋高原ビールで働いていたときに書き始めたブログを前身として、ビールを愛する女子のためのメディア「ビール女子」を立ち上げる。現在は20人のライターからなる編集部の編集長を務める。 |
戦後ニッポンのビール事情に迫る!
そもそもビールっていつから日本にあるの?
- 岡山
- ビールって外国の飲み物だと思うんですが、いつ頃から日本で作られるようになったんでしょうか?
- 瀬尾
- 日本で最初にビールが誕生したのは江戸時代、ペリー来航のあった年の出来事なんです。日本人の蘭学者が文献を元にビールを作ってみたものの、あまりうまくできず流行らなかったそう。
本格的に醸造が始まったのは明治時代に入ってすぐ、横浜の南山手でコープランドさんがつくった「スプリングバレー・ブルワリー」が初めてのブルワリーでした。今のキリンビールの前身ですね。
- 岡山
- おお! キリンビールの始まりは外国人だったのですね。
- 瀬尾
- はい。キリンは今年、代官山と横浜に「SPRING VALLEY BREWERY」という施設を立ち上げましたが、そこで提供されているビールの1つに“初心に帰る”という思いを込めて、『コープランド』と名付けられているものもあるんです。
明治時代の日本人は「洋モノ好き」だった?
- 岡山
- なるほど。日本人が立ち上げたメーカーはなかったんですか?
- 瀬尾
- 日本人が初めて立ち上げたのは大阪の「渋谷(しぶたに)ビール」です。当時酒税がなかったことや文明開化の影響もあって、会社もどんどん増えていったそう。
しかし日本人は海外ビールの方が好きだったみたいですね。海外ビールは何世紀も前からあったわけですから、やはり美味しかったのではないでしょうか。 - 岡山
- それはそうですね。
- 瀬尾
- その後札幌の開拓民がつくったのが、現在のサッポロビールです。とは言え、その頃でもビールはまだまだ一般的なものではなく、「ハイカラさんの飲み物」だったと言われています。
- 瀬尾
- 明治30-40年代には、大阪麦酒(現在のアサヒ)が立ち上がりますが、その後酒税の影響からビール業界では再編が進んでいきます。
サッポロやアサヒ、ユニオンなどが一緒になり、「ビール連合」(正式名称:大日本麦酒株式会社)が立ち上がっていくのもこの頃ですね。 - 岡山
- いまでは想像できない豪華な顔ぶれですね・・・。
- 瀬尾
- 大正時代に入ると、第一次世界大戦による好況の影響でビールが少し人気となるんですが、その後また不況に突入し、小さい業者は姿を消していくことになります。
- 岡山
- 社会情勢の煽りをモロに受けていますね・・・。第二次世界大戦に入るとさらに厳しくなりそうですが、どうだったんでしょうか。
- 瀬尾
- その通りです。戦時中は外来語(カタカナ言葉)が使えなくなったことや物価の変動が激しくなったこと、何より原料が入手困難になったことで、一般庶民が手にすることは難しくなっていきます。
ビアホールの閉店が相次ぎ、その状況は昭和18年頃の統一価格の導入によってさらに厳しくなります。配給による限られた本数しか飲めない、もしくはまったく飲めないというのが当たり前になっていく時期でした。 - 岡山
- 以前たばこについても同じような話を聞きました。当然かも知れませんが、やはり庶民にとっては暮らしづらい世の中だったんですね。
参照ページ:戦争に負けたらたばこが進む!? 戦後ニッポンたばこ事情(前編) – 70seeds - 瀬尾
- そうですね。終戦後も進駐軍関係者には軍用物資の1つとしてビールが提供されていたと言われていますが、一般家庭で目にすることはほとんどなかったのではないでしょうか。
- 岡山
- その時代にいたらストレス溜まりそうですが、そんなことを言っていられるような時代でもないですよね・・・。
業界再編が進んだ戦前~戦時中のビール業界
戦時中はビールが飲めなかった?