こんにちは、エディターのエリー(@__erI_)です。
もう2016年。
去年は日本で初めて「春画展」が開催されましたが、観に行かれましたか?
「これはワイセツだ」「いや、アートだ」という論争が起こりながらの開催でしたが、いざ開かれるとかなりの大盛況でしたね。実際にわたしも足を運んだところ、学生からご年配まで幅広い客層で行列ができていました。
そんなこともあり、セクシャルな表現がオープンになり始めた2015年。今年注目しておきたいのは、「女体盛り」です。
こちらは昨年12月に開催された「女体盛り」のイベント、「NYOTAIMORI TOKYO」のレセプションパーティでの一枚。
いままでの「女体盛り」に対するイメージを覆す、美しい「NYOTAIMORI」の世界をご紹介します。
「女体盛り」ではなく「NYOTAIMORI」
「NYOTAIMORI TOKYO」とは、「日本で唯一のファッショナブルなNYOTAIMORI」としてイベントなどへの出張女体盛りをおこなっているサービスです。
「女体盛り」と聞くと、いやらしい笑みを浮かべたオジサマたちが「お、これは赤貝かな?」などとのたまっている情景を想像していたのですが、「NYOTAIMORI TOKYO」ではそういった猥雑さは一切ありませんでした。
世界観が作り込まれた「NYOTAIMORI」
衣装はもちろん、光から音までこだわり抜かれた「NYOTAIMORI」。
今回は純和風な雰囲気で菊などの花々に囲まれていましたが、コンセプトによってモデルや盛り付け、内装までガラリと変えているそうです。
そうしたこだわりで生まれる洗練された世界観は、巷で耳にする「女体盛り」のイメージとは一線を画します。ドキドキするのにいやらしくないのは、きっとMyuさんを始めとするメンバーが美醜に細心の注意を払っているからでしょう。
盛り付けガールズたちの気品
目の前にほぼ裸の女性がいれば、無礼な振る舞いに出る客がいそうなもの。それなのにピンと緊張感が張り詰めた空気で、全員が紳士淑女として「NYOTAIMORI」を見守っていました。
その緊張感には、盛り付けガールズたちの存在が大きく影響しています。
スッとした姿勢で女体を飾っていく盛り付けガールズたちは凛としていて、彼女たちによって場がしまっている印象を受けました。
見てたのしみ、食べてたのしむ
美味しいお寿司を振る舞ってくれたのは寿司屋の宮城野さん。隣は代表のMyu。 photo by Oi-chan #nyotaimoritokyo #nyotaimori #tokyo #japan pic.twitter.com/27mVAKGzHb
— NYOTAIMORI TOKYO (@NYOTAIMORI_info) 2015, 12月 4
女体盛りですから、食事ももちろん楽しめます。
宮城野さんが握ってくださったお寿司。正直、会場に来るまでは食事にそこまで期待をしていなかったのですが、豊富なネタでどれも絶品でした。
盛り付けられるたびに、一瞬でなくなるほどの人気。
代表のMyuさんにインタビュー
「NYOTAIMORI TOKYO」を取り仕切るのは、Myuさん。もともと自身の誕生日の催しとして始めた女体盛りに手ごたえを感じ、23歳のときにビジネス化をしたそうです。
最後に、代表のMyuさんにお話を伺いました。
ー 今回の演出でこだわったポイントはどこですか?
誰が見ても想像の女体盛りよりも美しい、と直感で感じていただけるように、モデルの佇まいと空間にこだわりました。
モデルの立ち振る舞いから、身につける装飾品やヘアメイクまで世界観を追求しました。
会場のあちこちに設置した竹のキャンドルは、今回のために熊本県の竹職人さんに頼んで制作していただいています。
ー ポールダンス、ストリップなど性をテーマにしたエンターテイメントについてどう思っていますか?
ポールダンスは元々は性的なアピールありきのものですが、今では世界大会が行われたりスタジオでのレッスンがあったりと、様々な楽しみ方をする人も増えています。
女体盛りも性的な印象が強いですが、「NYOTAIMORI TOKYO」では今までと違う新しい視点の「NYOTAIMORI」を表現していきたいです。
ー 「NYOTAIMORI TOKYO」が目指す次のステップは?
次のステップというより、まずやるべきは、新しいカルチャーとして認知されるよう努力することだと思っています。
今オーダーを受けているのは日本へ来ている海外のお客様がほとんどで、評価をストレートにしてくれるので、海外向けに展開していく必要があると考えています。
あとはショーの幅を広げていきたいです。
様々な料理人の方とコラボしたり、生演奏をつけるなど、表現の幅をまだまだ広げていきたいと考えています。
さいごに
日本ではまだ「女体盛り」に関してネガティブイメージの強い面がありますが、こうして実際に「NYOTAIMORI」を体験するとまったく「ワイセツ」ではないことを実感しました。
セクシャルなことを取り上げる際、「ワイセツか」「アートか」で論争が起こることはもはや宿命かもしれませんが、「NYOTAIMORI TOKYO」のように新しい視点で挑戦していくことはまぎれもないアートだと思います。
2016年は一体どんな表現が登場するのか、今年も取材していきます!