第1章

流星テルミドール 第1話「ヒマワリ畑」

紳さん


流星テルミドール 第1話「ヒマワリ畑」

白いため息は街のネオンを一瞬曇らせ消えていった。

肩で切る気になれない冷たい風が待ち惚ける僕のテンションを著しく下げる。

かじかむ手でスマートフォンを弄ると不在着信があることに気がついた。11桁の見慣れない数字は待ち人からの連絡でないことを意味している。

「あるいは、番号変えました的な?」

訝しがりながら折り返しの電話をかける。

 

RRRRRRRRR RRRRRRRRR。

RRRRRRRRR RRRRRRRRR。

RRRRRRRRR RRRRRRRRR。

RRRRRR…

 

頭の中で宇多田ヒカルのAutomaticが流れる寸前のことだった。

 

「…もしもし」

 

 

声を聴いた瞬間、胸の鼓動が早くなるのを感じた。

まさか、よもやの衝撃。

刹那、僕はあの夏の日にタイムスリップすることになる。

 

 

 

 

 

1.ヒマワリ畑

雨の匂いが漂う曇天の中、僕達は土の上に座って見つめ合っていた。

一面を遥かに背の高いヒマワリに囲まれ、視界に入る情報量はさほど多くない。

にも関わらず、僕は静かにパニックを起こしていた。

 

「…人を呼んでくるよ」

「それはダメよ」

「だって」

「だっても」

彼女の声に僕は逆らうことができなかった。

白いワンピースを着た彼女は、その存在全てが魅力的だった。

 

夏のヒマワリ畑に不釣り合いな透きとおった白い肌

キラキラと反射する大きな瞳

ぷっくりとしたピンク色の唇

スラリと肩甲骨まで伸びた長い髪

 

細長い美しい脚。その先の足首にぶら下がる鉄のカタマリ。

そう、鉄のカタマリ。

ノコギリを連想させる山切りの刃が、柔肌を押しつぶすように食い込んでいた。

 

「痛くないの?」

「痛いに決まっているじゃない」

今にも泣き出しそうな空の下、先に涙を地に漏らしたのは彼女の方だった。

 

「スンスン… スンスン…」

 

ツゥー と頬を伝い、こぼれ落ちる。

なるべく見ないようにしていた彼女の足首からは空気に触れたばかりの鮮やかな赤色が滴っていた。

 

「獣を捕らえるための罠かな」

「そうかも」

「そもそも、どうしてこんなところに足を踏み入れたんだ」

「それはキミにも訊いてみたかったことだけど、先に答えるわ」

彼女は頬を赤らめながら唇をキュッと結び、すぐにまた開いた。

 

「私ね、ヒマワリの種が好きなの」

「初耳だ」

「初対面でしょう」

「それはそうだけど」

「でね」

彼女は近くにあった一本のヒマワリに手を伸ばし、続けた。

 

「悪いことだとは思ったんだけど、つい…」

「この畑に不法侵入して種を?」

「そう。食べるためにね」

「お腹が空いていたわけじゃ、ないよね?」

「どうかしら」

一瞬、彼女が笑みを浮かべたように見えた。

僕は腕時計の針の方向を確認すると、間もなく昼の12時になることが分かった。

朝の情報番組が信用できるなら午後からこの地域では雨が降る予定だ。

 

「雨がくるよ」

「別に嫌いじゃないわ。キミの方は?」

「服を濡らさなければ、嫌いじゃない」

「そうじゃなくって。どうしてここに来たの」

「ああ、カメラが趣味なんだ。ヒマワリの写真を撮るために。そしたらキミが罠に」

僕は彼女に一眼レフのデジタルカメラと、それを用いて撮影した写真を見せた。

 

轍の真ん中にだけ草が生えた、まっすぐな道路。

水と油のように、しっかりと空との境界線が保たれた地平線。

石垣に突っ伏したままの猫。

風に揺れるヒマワリ。

 

「綺麗ね」

彼女は興味深そうに見つめる。

僕は動転していた。

 

人間が、それも女の子が獣を捕らえるための罠にかかっている。

これはどれほど深刻な事態なのだろうか。見たところ、足首からの出血は増すばかりだ。

骨は無事なのか? すぐに罠を外して患部を医者に見せないと。

 

 

 

 

 

「ねぇ、聞いてるの?」

「え?」

彼女は薄くて太い眉をナナメに向け、手に掴んだヒマワリをユラユラと揺らし始めた。

 

「キミは地元の人じゃないよね。旅行かな」

「…ああ、うん。そんなところ」

「カメラを持って、一人で?」

「そうだよ。そっちは?」

「似たようなもの、かな。私も途中からずっと一人」

「そうなんだ。こんなことになるとは、ついてないね」

「いや、むしろついてるかも」

「えっ」

ふと顔を向けると、彼女はうつむいて肩を震わせていた。

 

 

 

「…フッ フフフ。 アハハハハハッ」

「だってさ、獣の罠だよ」

「フツー、旅行中にこんな思い出できないよ。インパクトありすぎ」

「考えていた嫌なこと、全部忘れちゃった」

突如、彼女は壊れたジャックインザボックスのようにケラケラと笑い始めた。

激しく揺さぶられたヒマワリはガサガサと音をたて、いくつかの種が2人の頭の上に落ちる。

僕もつられて笑いそうになったが、それは後回しにすることにした。

 

「ねぇ、ごく近しい未来の話をしないか」

笑い続ける彼女に少しだけ大きな声をぶつける。

彼女は一瞬キョトンとした表情を浮かべ、ヒマワリをパッと手放した。反動でメトロノームの針のように左右に揺れる。

 

「キミの足を早く医者に診せたほうが良いと思う」

「骨に異常があるかも知れないし、傷口から感染症にかかるかもしれない」

「とりあえず罠を外して病院に行かないか」

「この畑というか、罠の持ち主には後で謝まろう」

目の前の怪我人はしばらく黙って僕の話を聞いていた。

言いたいことは全て伝えたつもりだ。

彼女はふくらはぎをさすったあと、人差し指で目の中に溜まった涙を拭い、こう言った。

 

「罠の外し方、わかるの?」

 

この上なくシンプルな質問に僕はただ首を横に振った。

それを見届けると、彼女は自分の髪の毛の中にヒマワリの種を見つけ、嬉しそうに手にとった。

 

「私ね、ヒマワリの種が好きなの」

「人を呼んでくるよ」

「待って」

「もうすぐ雨が降る。その出血でさらに体を冷やすのはマズイだろう」

「待ってってば」

「うわっ」

立ち上がろうとする僕の腕を彼女が掴み、グイッと引っ張った。

バランスが崩れ、世界が傾いたのはこの時だ。

とっさにカメラをかばい、うまく受身がとれなかった僕は彼女の体にのしかかるように倒れてしまった。

 

 

 

 

 

…気がつけば、ずいぶんと近い位置に彼女の顔があった。口を開けば息がかかりそうで、僕は黙ることしかできない。

静寂が訪れたヒマワリ畑に蝉の声が響く。さっきまでは気がつかなかったが、結構な声量だ。

ふいに彼女が耳元で囁いた。

 

「キミ、年齢はいくつ?」

「…僕は21」

「あ、勝った。私22。大学生だけど」

「だから… 何ですか」

「年上のお姉さんの言うことは聞きなさい」

彼女はこの日一番の口角の上げ方で笑った。

髪の毛からは甘いフローラルな香りが漂う。若干の汗と雨の匂いとが混ざっていた。

この時、僕はどんな表情をしていたのだろうか。

 

「私、知ってるんだよ」

「…血を見て本当は興奮してるんでしょ?」

彼女はそう言って身にまとう布をたくし上げ、足首から流れ出る血液を指ですくいとると露わになった白い太ももになすりつけた。

それはまるでトーストにイチゴジャムを塗りつけるような自然な所作に見えた。

僕は自分の心臓が十倍にも肥大したかのような感覚に陥る。

 

「そのカメラで私のことを撮りたいんだよね」

「獣の罠にかかり、鎖につながれたままの私を」

そう言うと、一つ年上の美しい彼女は髪の毛をかきあげ、耳の後ろにかけるようにして笑った。

 

 

 

僕はその様子を見つめ呆然としながら、一刻も早く雨が降ることを祈った。

生ぬるく官能的な夏の風がヒマワリのカーテンで閉め切られた部屋に滞留する。

彼女が言ったことは最初から最後まで、全てが事実だった。

 

-第2話へつづく-

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