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2016.01.27
第55話
漫画チャンネル

だって僕らはやり直せないから、人の背中から人生を学ぶ『べしゃり暮らし』vol.4

ズイショ

こんにちは、外部ライターのズイショです。

さて、『べしゃり暮らし』について気が済むまで語るこの連載。本作を一口に説明しようとすると、どうしても「人情もの」とか「泣ける話」なんて言葉に収まりがちですが、それらはあくまでもスパイスに過ぎません。
真に作者が描こうとしているものは、その先にあると僕は考えます。

例えばそれは、人生とは過去を取り返すことなどできず、ただ前に進むしかないということ。前に進む方法を探し続けなくてはならないということ。今回は“だって僕らはやり直せないから、人の背中から人生を学ぶ”をテーマに語ります。

単なるどこかの誰かの良い話に留まらぬ『べしゃり暮らし』という物語の魅力を、その一端でも感じてもらえれば、と願ってやみません。

(以下ネタバレを含みます。)

「デジタルきんぎょ」の夢の果て

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べしゃり暮らし 7 真夜中心中 (ヤングジャンプコミックス)

NMC準決勝で最高の漫才を披露したお笑いコンビ・「デジタルきんぎょ」。その翌晩、決勝進出の報を受けた藤川は歓喜の美酒に酔いしれます。そして酔った勢いのまま雪の降る街に一人裸で飛び出し、公園のベンチで横になり、なんとそのまま帰らぬ人となってしまいました。……あまりに、あんまりな結末です。

ハッピーエンドなど無いままに人生は死ぬまで続く

藤川の訃報を聞き、彼が眠る病院へと集まる家族、上妻、そして相方である金本……。NMC決勝という夢の舞台への切符を掴み、幸せの絶頂にありながらも死によって幕を閉じる藤川の物語。そしてそこには、遺された者たちによる“これからも続けていかなくてはならない物語”があるのです。

「それからというもの、二人はいつまでもいつまでも幸せに暮しましたとさ。めでたしめでたし」
そんな口上で終えられる物語など実際の世の中ではひとつもなくって、幸せだろうが不幸だろうが死んだその時に限って物語は終わりを迎え、さもなくばいつまでもいつまでも続いていくのです。

「死」というどうにも悩ましい物語装置

藤川の死という展開は、連載時から当然賛否両論ありました。しかし、安易なお涙頂戴と言われればそれまでなのですが、『べしゃり暮らし』を主人公・上妻の成長譚だと考える私には、それでも「死」というものに物語上の必然を感じずにはいられません。

その理由は、“「死」を伴わなければ知ることのできない何か”を上妻は学ばなくてはならなかった、という一点に尽きます。

言えなかった言葉、まだ言える言葉

上妻は相方・辻本とエセ関西弁のクセを巡り、仲違いをしています。自分の方が面白いというプライドが前に出て苛立つ上妻。上妻の才能を認めるがゆえに自分の思いの伝え方に悩む辻本。

互いが互いに言えぬ言葉を抱えている状況のなかで二人は、それを胸の内に残したまま死別する「デジタルきんぎょ」の物語に立ち会います。

そして、それをきっかけに二人は、言えなかった言葉をぶつけ合う術を身につけ、コンビとしてまた一歩前進するのです。
先人の言えなかった言葉を知ったからこそ、自分が今言うべき言葉を探せるようになる。でもそんなことは、きっと現実世界においては誰だってやっていることなのでしょう。

やるしかないし、学ぶしかない

物語という視点から見れば、やはり「デジタルきんぎょ」というコンビは上妻・辻本の二人にとって、「ありえたかもしれない自分」の一つであったのかもしれません。

互いにぶつかり合うこともできずに反目し、そのまま共に成長して地位を築き、なにひとつ本当の言葉を伝えられぬまま、ただただ互いの存在が胸の内で大きくなっていく。そんな未来が上妻・辻本の二人にもあったのかもしれない。
そんな未来を避けるために必要な言葉を二人が見つけるには、藤川の死は物語上の必然であったのかもしれない。

金本と藤川の二人が邂逅を遂げ、NMC準決勝で最高の漫才を披露するに至ったきっかけは、そもそも上妻にありました。
“だからお礼に死んでやれ”と藤川に言うのはあまりに酷です。しかし本来であれば何十年、あるいは生涯どうにもならぬかもしれなかった金本との確執が解消されたとき、その命の灯が消えてしまったことは、ある意味でそれもまた必然なのかもしれません。

それでも人は足が動く限りに進むより仕方ありません。そんな風に歩む背中が視界に入るのならば、そこから学ぶべきところを学び、足の動かし方を工夫するより仕方ありません。

そうして行けるところまで行き、その背中を、後ろを歩く後輩たちに見せる。それを殊更に意識して生きる必要はないにせよ、きっとそういう風に私たちの人生はできているのでしょう。

まとめ

「デジタルきんぎょ」の物語から学び、乗り越え、上妻・辻本の二人はまた次の一歩を踏み出します。桜の季節が近づき養成学校へ入学する時が迫るなか、新たな問題が上妻に降りかかります。しかし、彼はまたきっとそこから人の背中を眺め、何かを学んでいくことでしょう。

そして、上妻がそうしていくように、僕もまた上妻の背中から“学ぶべき何か”を探し、追いかけ続けたい所存です。
それでは、また次回もお付き合いのほど、何卒よろしくお願い申し上げます。