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2015.12.27

「きのうまでの自分を越えろ」フェラーリにも挑むHondaの挑戦がしびれる

ナッツ

こんにちは、ナッツ(@nuts612)です。
いま観たい映画はロッキー最新作の「クリード」です。

夢に向かって挑戦している姿って、めちゃくちゃカッコいいですよね。だけど、大人になって現実を知れば知るほど、挑戦することを忘れてしまいがち。あなたはいま、チャレンジできていますか?

今回は皆さんご存知、Honda(本田技研工業株式会社)の「チャレンジングスピリット」についてご紹介します。

チャレンジし続ける企業、Honda

まずはこちらをご覧ください。
(ぜひイヤホンをつけるなどして、音付きでお楽しみください)

Hondaの創業者である本田宗一郎氏は「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」という言葉を残しています。CMを見て分かるとおり、本田宗一郎氏のチャレンジングスピリットは、いまなおHondaのDNAとして受け継がれています。

では、Hondaはこれまでにどのような挑戦をしてきたのでしょうか?

1954年、世界への挑戦を発表した社内宣言文

本田宗一郎氏の最初の世界への挑戦は、マン島TTレース出場でした。当時、日本車のバイクが挑戦したこともなかった世界最高峰のレース「マン島TTレース」。
挑戦、そして勝負にこだわり続けた本田宗一郎氏だからこそ、このマン島TTレースは重要なものでした。

参考:Honda全従業員に向けて発表された「マン島TTレース出場宣言」

しかし世界とのレベルの差はやはり大きく、悔しい想いを経験。それでもマシンの改良を重ね挑戦し続けて、宣言から7年経った1961年、125ccクラス、250ccクラスともに1位〜5位を独占。世界に “Honda” の名を知らしめます

「レースは走る実験室」二輪の次に挑戦したF1

F1

マン島TTレース優勝を機に、バイク=Hondaとして全世界に知られるようになったHonda。Hondaの挑戦はこれだけでは終わりません。

「これからは、バイクではなく自動車の時代だ」と、Hondaは自動車業界へ参入します。そして1964年にはF1レースへの出場を発表。そしてF1参戦2年目の1965年、メキシコGPで優勝を飾ります。
このときHondaは「レースは走る実験室」として、F1を通じて開発された技術を次々と大衆車へと応用していきました。

26歳の若手を起用し生まれた「S660」

Hondaのチャレンジングスピリットはレースや技術開発だけではなく、企業文化からもにじみ出ています。

2015年4月、軽スポーツカー「S660」が発売開始されたのですが、開発責任者はなんと26歳の若手社員。通常、開発責任者を任されるのは経験豊富な40、50代の若手社員だそうで、20代がそのポジションに就くというのはHondaとしても初めての試みでした。
しかし、前例がないことへ挑戦するのがHondaらしさ。26歳に開発責任者を任せるというのは、まさにHondaのチャレンジングスピリットを感じさせられる出来事ではないでしょうか。

新型NSXは日本人として応援したい一台

新型NSX-2新型NSX(Honda Racing THANKS DAY 2015にて)

なぜ僕がここまでHondaのチャレンジングスピリットに心を奪われているかと言うと、キッカケは先日ツインリンクもてぎで開催された「Honda Racing THANKS DAY 2015」というイベントです。

特にイベントの目玉であったHondaのスポーツカー「新型NSX」。F1ドライバーの佐藤琢磨氏がハンドルを握り、実際に走っている姿を見れるということで、多くの観客の注目を集めました。
動くNSXはやっぱりカッコいい! しかし、カッコいいのはNSXの持つヒストリーにも潜んでいました。

NSXのライバルはフェラーリにポルシェだった

NSX1990年に発売された初代NSX

初代NSXが発表されたのは、20年以上も前のこと。スポーツカーと言えばフェラーリ、ポルシェといった名前が挙がる中、そこに挑戦をしかけたのがHonda。

「世界に通用するHondaの顔を持ちたい」という願いから、「新しいスポーツカー」と未知を意味する「X」という想いを込めて、NewSportsCarXの略、NSXが誕生しました。
NSXは、Honda初となるMR駆動方式を採用、また市販自動車としては初のオールアルミボディーで設計されるなど、当時の革新的な技術が詰まった1台だったのです。

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