アツい想いに感動!近代洋画、日本油絵の開拓者。上野「東京藝術大学 − 高橋由一展」

アツい想いに感動!近代洋画、日本油絵の開拓者。上野「東京藝術大学 − 高橋由一展」

たかち

たかち

上野駅公園口から15分ほど歩くと、東京藝術大学に到着します。

大学に併設されている「東京藝術大学大学美術館」は、季節ごとにコンセプトの違う展示をしており、周囲の博物館や美術館に劣らない人気を誇っています。
6月末まで開催されているのは「高橋由一展」。

皆さん歴史や美術の教科書で一度は見たことある筈、鮭の油絵が大変有名ですね。
高橋由一は近代洋画、日本油絵の開拓者。
知っているようで知らない、高橋由一の世界を覗いてみましょう。

6月某日、東京藝術大学へ。
キレイで広くて上野公園があって美術館もあるなんて、なんとも羨ましい。
高橋由一展と一緒に「春の名品選」というのも開催されているので、合わせて見るとおトクです。

大学とは思えぬサービス精神旺盛な美術館。
音声ガイドは通常の作品解説だけでなく、高橋由一の弟子が経緯を語るというドラマ風演出までされていました。

会場に入ると一番最初に高橋由一の生い立ちが紹介されます。

高橋 由一(たかはし ゆいち、文政11年2月5日(1828年3月20日) – 明治27年(1894年)7月6日)は江戸生まれの日本の洋画家。近世にも洋画や洋風画を試みた日本人画家は数多くいたが、由一は本格的な油絵技法を習得し江戸後末期から明治中頃まで活躍した、日本で最初の「洋画家」といってよいであろう。

高橋由一が生まれた江戸時代は、油絵すらなかった時代でした。
武士の生まれでしたが20代半ばから絵を勉強しはじめ、本格的に画家として活動をはじめたのは35歳からだと言われています。

最初に油絵をはじめたばかりの自画像が展示されていました。

丁髷ちょんまげを結っていたのがいつ頃までなのかははっきりしていないが、みずから「由一」と名乗るのが明治維新(1868年)頃と考えられているから、最後の武士姿を記録に留めるとともに、画家高橋由一の誕生を告げる記念碑的な制作ではなかったかと想像される。

この他にも、画家として初期の作品が並べてありました。
上海に派遣された際の絵日記や、油絵画家として活躍する前の珍しい水墨画も!

この頃から高橋由一は「油絵は写真に勝る」と豪語していました。
迫真的、写実的に表現された色彩は再現性と耐久性において油絵の方が優れている、と。
いつまでも残る油絵に、高橋由一はどんどん惹き込まれていきます。

第十一代山田荘左衛門顕善像 – 長野県中野市の旧家山田家の資料のなかから発見された新出の肖像画作品。

高橋由一はこのように多くの著名人の肖像画を描いていきました。
その中には岩倉具視や大久保利通など、当時の行政を司っていた政治家も!
当時の西洋に影響された軍服のようなキラッキラした装飾服がとても印象的でした。

肖像画の中で有名なのは花魁・小稲。重要文化財に指定されています。

花魁 – 吉原の稲本楼には代々小稲という売れっ子の花魁がいた。明治5年(1872)4月28日の『東京日日新聞』に、由一が小稲の肖像を描いたとする記事があり、本図がそれにあたると考えられている。

当時の花魁の絵は、明治とは言えど、デフォルメされた美人浮世絵がほとんどでした。
小稲は完成したこの絵を見た瞬間「私はこんな顔じゃありません」と泣いて怒ったそうです。

ですが、高橋由一の「見たまま、今日の姿を油絵として残したい」という気持ちは揺らぎませんでした。

肖像画の次は、風景画の展示になっています。
横浜に住むワーグマンという英国人画家に弟子入りした高橋由一は、江ノ島の絵をたくさん残していました。
他にもご存知不忍池や隅田川など、多くの名所を描いていきます。
その意図は「浮世絵で知った風になっている名所の本当の姿を、庶民に知らせたい」という想いから。
写実的な油絵にこだわる理由は、当時の日本人のためを想ってのことだったんですね。

由一は油絵を普及させることを第一に考え、広重や北斎が描いてきた庶民に馴染みのある江戸の名所地を意識的に選んで描いた。桜や紅葉、茜空、雪などが描きこまれた風景画は、名所浮世絵の油絵版ということができる。

ここに写真は載せられないのですが、「鵜飼図」という作品がとても素晴らしかったです。
岐阜県の鵜飼の様子を描いたものですが、迫力がありながらもとても繊細で見惚れてしまいました…

その次は静物画です。
油絵の普及を目論む高橋由一は、日常に溢れる身近なものを描いていきました。
中でも食材に注目し、その質感表現に工夫をこらしたそうです。

豆腐 – まな板の上にぞんざいに置かれた豆腐に油揚。これから味噌汁でもつくろうかという臨場感がある。絵具の粘着性を利用すればゴツゴツ、ザラザラ、ブヨブヨなど様々な質感表現が可能であることを身近な素材で実証している。※京都展でのみ展示

甲冑図 – 明治10年(1877)の第1回内国勧業博覧会に出品され、その後靖国神社に奉納された現存する由一作品のなかでも最大級の大きさをもつ貴重な作例である。描かれているのは鎧、兜に弓矢、太刀、武具の類であるが誰の所有になるものかはわかっていない。

他にも為留められた鴨の絵や、桶に乗っている鯛の絵などがありました。
生き生きとしていて、ひとつひとつが本当に美しく描かれていて、うっとり。

そして最後はもちろん、こちらの絵。

– ただ吊された鮭を描いただけの絵がなぜ重要文化財に指定され、教科書に掲載され、試験問題になるのか。改めて作品をよく見てみると、まず実作品の意外な大きさに驚かされる。実物大かそれ以上にも感じる大きさとともに、その質感表現は、「写真みたいな」というよりも「触ってみたくなる」迫真性がある。さらに重要なことは、このような特徴をもつ作品はヨーロッパを探してもないということだ。物真似ではないところに生まれた極めてユニークな芸術的価値が近年とみに見直されている。

縦長の油絵は珍しく、日本の住空間に合わせて掛け軸のように飾ってほしい、という意を込めてこのサイズになったそうです。
鮭の絵は当時から人気だったようで、高橋由一は数枚描き残したとのこと。
そのうちの3枚が展示してありました。

展示は3FとB2Fに分かれているのですが、B2Fは東北で土木事業を記録していた時の絵が展示してありました。
開発されていく東北の新しい道路、臨場感のある岩肌、素朴な東北の庶民…
石版画として100点以上も展示されていたので、ぜひそちらもご覧ください。

正直美術にも歴史にも疎い私は、「西洋の油絵めっちゃカッコイイから真似しようぜ!」というようなノリだったのではないか、と勝手に考えていました。
高橋由一展を見て、猛省。
何百年も褪せずに残る写実的な油絵には、たくさんの可能性が秘められていたんですね。

高橋由一展は6/24までです!皆様お早めに。
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東京藝術大学大学美術館
〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
開館時間:午前10時00分~午後5時

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LIGインターン生のたかちです。LIGの自社メディア『温泉JAPAN』にて日本一周湯巡り旅を連載、現在はメディアディレクターです。お酒と温泉と写真が好き。

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