かつて †蒼桐零威† だったすべての僕たちへ

かつて †蒼桐零威† だったすべての僕たちへ

まさくに

まさくに

ようこそ、今宵も月光に眠りを奪われたものたち――。

管理人の †蒼桐零威†(あおぎりれいい) です。

嘘です。こんにちは。本当はバックエンドエンジニア正訓(まさくに)です。

さて、突然ですが皆さんには名前がいくつありますか。いやいや、現代を生きていて、このLIGブログをご覧になっていただけている皆さんのこと、何を言っているかわからないということはないはずです。インターネットで、いくつの名前をお持ちなのか、僕はうかがっています。2つでしょうか。5つでしょうか。もっとですって? やりますね。

少し古い統計ですが、総務省平成26年度版の情報通信白書では、実にTwitterの75.1%のユーザーが匿名で利用しているとあります。これは当時のアメリカの倍以上でした。おそらく、感覚ですが当時のインターネットより実名制が進んできた気がしますので、この割合は減ってきているのかもしれません。ですが、まだまだ多くのユーザーはネット内で匿名、偽名で活動をしているのではないでしょうか。

僕はiモードと一緒に成長してきた世代でした。ネットが手の中に収まるようになってきているときに、冴えなくモテない思春期真っ只中ですることといえば、いくつもの厨ニ名を駆使して小説を書く、詩を書くなどで、ままならない鬱屈の研鑽に余念がありませんでした。

皆さんも多かれ少なかれ、そうではありませんでしたか。おお、おお、そうでしょう、そうでしょう。「ぼうふらみ」さん、「センチなミンチ」さん、「凍海」さん、そして、そう、お久しぶりです。「自失ピエロ」さん。戦士たちが、戦士たちが帰ってきた。僕もずっとあなたたちと同じように、ネット上でいくつもの名前を持っていました!

少し遠い目で失礼します。

――僕らは、僕らはなぜ、いくつもの名前を作り、そして捨てなければならなかったのでしょうか。そのたびに何を思い、思うべきだったのでしょうか。今回書きたいのは、それら忘れられた名前を偲ぶ/鎮魂歌/レクイエム/です。何を言ってるんでしょうね僕は会社のブログで。
 
 
参ります。

新しい自分と出会うために

皆さん、間違いなく、自身の本名をお持ちですよね。この世で最も心地よい音は自分の名前を呼ぶ音だ、という話を聞いたことがあります。体感として、とても賛成できる説です。僕の名前、正訓(まさくに)は発音しやすい名前ではないので、昔からあまり人に呼ばれない名前でした。だからこそ自分の名前で呼ばれることが大好きです。

多くの人が同じように自分の名前を呼ばれることを心地よく感じるのではないでしょうか。ですがTwitterを眺めても、匿名偽名のタイムラインが当たり前で、本名でTwitterをやっている人はまだまだマイノリティのようです。なぜ、人は心地よい自分の名前を捨て、新しい名前をつけなければならないのでしょうか。

まずは現実的な目的として人にバレたくないことを書くときでしょう。たとえば職場の愚痴、先生、同級生へのヘイトが溢れてしまうときです。ありふれていますね。けしてバレてはいけない、でもロバの耳を黙っていることができない。あるいはそこまで意識していなくても身元バレをそこそこ防ごうとして、何となくのリスクヘッジとして名前を作る。

これは自分の偽名がカモフラージュとして機能する場合です。この場合、今まで見てきた方々の多くは、当たり障りのない名前でした。自分という存在を隠せればいいので、それほど考える必要がありません。たとえば「ヒゲ大魔神」、「ニット坊や」、あるいは「イヨちゃんパパ」とかが多いように思います。名前にそれほど意味はないのですね。なので、このケースを本稿では語りません。名前に意味がないので語る必要がない。

本稿で語りたいほどの本当の重症の名前は、人生史に暗然としたたる汚点を残す、本当の †蒼桐零威† とは、そんな理由で名前をつけやしない。もっとどうにもならない衝動を抱え、三半規管が絶望で目詰まりし、脳みそは自己嫌悪の怨嗟で埋まる。ここで話したいのは、そういう人間の、そういう時期に作られた名前なんです。

そんな僕らが名前をつけるべきタイミングは、そう、いつだって自分を再定義したいときでしたよね。ネットに触り始めるのが中学生以上だっとしても、十数年、自分の本名と付き合ってきたことになります。それがどんなに心地良い音だとしても、しがらみはすでに自分を縛りつけていた(ように思えてしまう時期でもある)。

別に新しい名前を積極的につけたいわけじゃない。つけるしかなかった。僕らは新しい自分を作るしかなかったじゃないですか。Webは僕らが新しい自分を生み出す場所として、申し分ありませんでした。

無限の地平、新しい関係、新しい自分の言葉、新しい自分が、そこにはいともたやすく作れました。肥大化された自意識を糧に、満たされぬ酸っぱい感情を依代に、 †蒼桐零威† が爆誕した瞬間です。黒歴史開幕の予兆。

僕はそうやって生まれた名前たちのことを愛しています。

曖昧な自分を転々として

そうしてできあがった新しい名前。いいえ。あえて言いたい。新しい命の誕生だったと。はじめまして。”胡桃の流転”さん。果たして、あなたはどこの住人でしたか? あなたがまず居場所だと決めたのはどこでしょうか。

今はめっきり呼ばなくなったと思うのですが、それらの名前がまだ「ハンドルネーム」と呼ばれていたころ、僕らの主戦場は個人のサイトでした。インターネットというものが社会人、学生と広まり始めはしたものの、まだSNSという概念がなかったころです。

そこそこインターネッツに詳しい人たちが個人のサイトを運営していて、それらの大部分はテキストサイトと呼ばれていました。彼らは「管理人」と呼ばれ、自分のサイトを更新するのを生業にしていました。人気管理人は今でいうインフルエンサーだったと思います。

そして僕らは †蒼桐零威† でしたので、当然、管理人になりたいと思いました。管理人という甘美な響きに恋い焦がれました。先日サービスが終了したジオシティーズは自分が管理人になれる一番簡単な方法でした。Teacupでチャットを作り、Ninjaツールズでカウンターを置きました。ときどきハーボットといった変わり種に心ときめかせました。でしたよね?

そして僕らは、朝までチャットに勤しんだりしました。当時はWebソケットなんて使ってませんでしたから、手動でページを更新しまくりました。今思えばあれは一種のF5アタックだったと思います。そして新しく訪れる魅力的なサイトを見つけると、関わり合いになりたいと願い、その掲示板にさりげなく自分のサイトのURLを残したりしました。

それから †蒼桐零威† 名義で、さまざまなことを発信しました。主に日常のことを自虐的にネタにし、あるいは懐古主義を露呈し、あるいは社会問題を少し舐めたりしました。ネットという虫眼鏡を通して社会を見るコメンテーターになった気がしました。意味なくfontタグを弄りまわし、ひたすら面倒なHTMLの編集にもめげませんでした。

年代にもよると思うのですが、僕らの場合は、その状態がしばらく続きました。その間にネットの世界は行きどころのないマグマのような鬱屈が溢れ、カオスが鍋底で煮立っていきました。今思うとそれは地獄だったと思うのですが、 †蒼桐零威† はそのマグマとパケット代を糧にグングン大きくなりました。

今はギガが足りない時代だと思いますが、従量課金制の当時、パケット代は天井知らずでしたので、「パケ死」という言葉が月末を風靡しました。今となれば、あんな危険な無限課金装置を持たせた親はすげぇなと思います。 †蒼桐零威† は、自分のサイトや有名サイトを30秒ごとに訪れていたものですから、当然パケ死で何度も臨死体験をします。それほどに、僕らの居場所はそこにあったといえます。

僕でいうと、当時、漫画封神演義の妲己を思って書いた詩を詩の投稿サイトに投稿したところ、そのサイトの管理人から「よくわかりませんが、頑張ってください」と書かれたことは、恥ずかしさのあまり、今でもいっそ肉塊になりたいと思います。

†蒼桐零威† は三度死ぬ

やがてひとつの大きな時代がやってきました。mixiの誕生です。今でこそモンストで有名な社名は株式会社ミクシィですが、mixiリリース当初、運営会社名は株式会社イー・マーキュリーでしたね(その後社名変更されています)。僕らは自分のコンテンツを気軽に発信できる仕組みももちろん、「つながる方法が仕組みとして実装されている」という点に心を鷲づかみにされました。

あのころの皆さん、あしありでした。

さて、名前の話で言うと、長命だったとしても、この辺りで一度、 †蒼桐零威† は死んでいるのではないでしょうか。プラットフォームの環境の変化、システムの変化、人間関係の変化、何よりも自分の変化から †蒼桐零威† と名乗るのが難しくなってきたころだと思います。

そう、 †蒼桐零威† は脱皮のときを迎えたのです。

mixiから新しい名前を使ったという方も多いのではないでしょうか。ですがまだまだ僕らは自分を悟るには未熟者で、一度 †蒼桐零威† だった人間が、そうそう簡単に †蒼桐零威† をやめられるわけがないんです。考えあぐねた末、僕らはこの辺で新しく自分を再定義したつもりで、新しい †蒼桐零威† を生むしかありませんでした。

mixiは内輪ネタと、公開ネタを同時に扱える妙技ともいえるUXを持っていました。あのオレンジ色のインターフェースに人生を変えられた人も多いのではないでしょうか。かくいうこの僕もその一人で、mixiでは多くの大切な出会いがあり、彼らとは10年以上を経た今でも友人関係を続けられています。

そしてやってくる世界を飲み込んだビックウェーブ。SNSの大きなうねりが此岸にやってきました。そもそもmixiってSNSというものだったんだ、と気づいたときです。相次いでTwitter、Facebookの黒船が襲来してきました。一億総インターネット中毒時代の幕開けです。

しかしながら正直に言いますと、そのウェーブは僕ら †蒼桐零威† にはたまったものではありませんでした。インターネットで居場所を得て10年選手の僕らをあっさり置き去って、海を渡ってきた新人類に覇権を握られた思いでした。

僕ら †蒼桐零威† にとって、最も重要なトピックは、リアルの友人とつながるか否か、でした。その点において、君たちは気づいていないだろうし、覚えていないだろうけど、僕はあのころ、身を裂かれるような苦しみを覚えました! 想像してみてください。妲己を思って書いた詩を同僚に見られたら、舌を噛み切って慚死(ざんし)しますよね。素直に考えてつながれるわけないだろ! 無邪気にアカウントを聞かないでください。

†蒼桐零威† は本気で考えました。いずれかのアカウントを教えるしかない、でも †蒼桐零威† の存在は続けなければならない。僕らが出した苦肉の策は、そう、別アカ。また新しい †蒼桐零威† の創出でした。

そうして僕ら †蒼桐零威† みたいな人種は、自分を何度も自分を定義し直しました。その都度、複数の名前を持ち、複数の仮面を持ち、複数の文体を持ち、それから複数の名前に別れを告げて、いくつかの人間関係がリセットされて、ここまでやってきたのです。すべては自分に見合った居場所を見つけ、自分を自分として許せる自分を見つけるためでした。

しかしふと気づくと、世の中は2020も直前。

思えば遠くまで来たものです。ネットとリアルの境目がどんどん薄れてきています。みんなインターネットでも本名や、自分の顔を抵抗なく出すようになってきました。それから僕らもどうしようもなく大人になってしまいました。

SNSも日常となり、家電さえインターネットにつながる最近のことです。暑さから逃げるようにして電車に転がり込み、無意識に近い動作でポケットからスマホを取り出しました。会社までは30分。昨日の疲れごと引っ張っていく、満員電車にも慣れました。

そうして一瞬、ふとスマホの黒い画面に写った †蒼桐零威† と目が合ったのです。彼はいつものニヒルな顔ではなく、どこか清々しい顔で、優しく微笑んで言いました。「もう、僕の役割も終わったんじゃないのか?」と。そんなことを言い始めるんです。

「もう自分で自分を定義するフリをしなくてもいいんじゃないか?」

「ちょっと待ってくれ、何を言い出すんだ、零威。僕はまだまだ零威なんだよ。お前がいなければまだダメなんだよ」

「そんなことはないさ。もう十分に自分というものを知っただろ?」

「全然そんなことはない。見てくれよ、まだこんなに鬱屈が」

「フフフ、まるで夜空の星みたいにきれいな光じゃないか」

「そんなことない、待ってくれ、行かないでくれ、零威!」

「いいんだ、これで。もう僕は行かなくちゃ」
 
 
 
――なぜならもうとっくに、僕らは、自分と出会えていたのだから。
 
 
 
ウォウウォウ イェイイェイ

そして僕らは自分と出会う

私事ですが、最近まで駆使していたネット上の名前をすべて捨てました。それなりに長くインターネットの中に住んできましたが、これからはこの自分ひとつでやっていくことになるでしょう。僕にとってハンドルネームを捨てるということは、思い出の一部を切り離すことであり、人生の部分を整理することなので、とても厳粛な気持ちになりました。

それと同時に「散らばった自分が集まる」という感覚も芽生えました。ハンドルネームの自分とは、自分を再定義し自分以外の自分を得るために作ったもう一人の自分でした。それらが役割を終え、自分の中に還ってきた気持ちです。

†蒼桐零威† が不要になったから捨てたのかというとそういうわけでもありません。僕の場合はむしろ逆になってきたことを感じたからです。昔は †蒼桐零威† の名前をかぶらなければできなかったことが、今はもう †蒼桐零威† なしでできるようになってきたのです。

この記事のようにポエムを言うこと、自分の考えを主張すること、そういった今までなかなかできなかったことを、自分自身として言えるようになってきました。 †蒼桐零威† は、いつしか自分と同化し、成長し、もはやあえて定義する必要のない存在になっていたのです。

皆さんがどのようなネット体験をしているのか知りません。僕のように一つひとつの節目を作って、自分に区切りをつけてきた方もいるでしょう。都度、自分の名前を考えるけど、特に区切りなどはなく風化していった方もいるでしょう。あるいは匿名サイトで自分の名前を持たず、ずっと生きてきた方もいるでしょう。

ただいずれの場合も、新しい自分を定義するとき。それはもしかしたら、自分が望む自分になるための階段を定義するときだったんじゃないか、そんなことを今は思います。それらはやがて自分の心に溶けていき、自分の一部になっていく。自分によって作られた人格は、良くも悪くも、すべて自分に還ってくるのではないか、とそんなことを思います。どこで、どんな名前で振る舞っていても、それは間違いなく自分なのです。

皆さんの名前だった人格はいま、どこで、どんな顔をして眠っていますでしょうか。きっとその名前で失ったもの、思い出せないものもたくさんあるでしょう。それを思うと、少し寂しくもあります。ですが、それと同時に、別の名前で生きてきたときに得たものも、間違いなく今の自分の中で力になっているでしょう。だから、決して悲しむことはありません。安心しておやすみ。自分を知るための自分、かつて †蒼桐零威† と呼ばれ、戦った者たち――。

それでは、バックエンドエンジニアの正訓でした。

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まさくに
まさくに バックエンドエンジニア / 伊藤 正訓

漢字で書くと正訓。バックエンドのエンジニアです。静岡と石川に住んだことがあり、現在は千葉に住んでいます。誰かが作ったシステムに対しては、正常系だけを通るように並列処理やデッドロックが起きそうな処理を避けて操作する職業病があります。好きな色は紫、好きなキーボードの位置は「i」、好きなご当地ヒーローはセッシャー1です。

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